社会評論

2005年11月27日

国立博物館と美術館の民営化ー実現されれば日本はますます文化後進国となるー

政府がすすめる公務員削減と行政組織スリム化の一環として、標記の試みが検討されているらしい。平山郁夫氏と恩師の高階秀爾先生が、11月9日文部科学省に、民営化を国立博物館と美術館へは導入しないよう訴えた、ということだ。(日経新聞11月26日40面による)

お二方の主張は、文化芸術の振興は市場原理や効率性・採算性とは相容れない面があるので効率性を追求するのは極めて危険で、文化芸術の衰退に通じる、というものだ。高階先生は”民営化の最大の問題は運営主体が数年毎に替わる可能性があることで、長期的な視野を必要とする美術館経営にそぐわない””美術館のコレクションは100年単位で形成され評価は未来に問われる、フランスの美術館が短期的評価のみで作品を集めていたら、今頃ゴッホもセザンヌも残っていない”と述べられている。異論を挟む余地はないだろう

政府からの交付金自体、来年度以降の中期目標では減額率が3%ほどに引き上げられる見通しらしく、東京博物館では出費のかさむ企画展の数を減らし、イベントへの施設貸し出しに力を入れ、それでも経営が苦しければ現在北斎展が開催されている平成館、表慶館の一時閉鎖も検討するということだ

お二方の主張に対し政府の行革推進グループは”公共サービスの提供にあたっては質の維持・向上を前提に官民問わず、最もコスト効率性の高い事業者を選定する、公的組織が優れているというのは官尊民卑に他ならない”と反論している。美術品の価値などは計算できるものではなく、質の維持などというのは全く計りがたいものであり、何とでもいえる。となれば、判断基準は自ずとコストのみとなるのは自明であろう

政府の主張がとおれば採算重視の企画展ばかりとなり、先ほど東京で開催され、現在韓国で開催中の”アジアのキュビスム展”のような、植民地時代の記憶に触れる戦前・戦中の日本の油彩画をクローズアップし、日韓の国民感情を和らげるような意義があるが、採算的には合わないような画期的な試みも開催不可能となるだろう

そもそもこのような案が政府から出されること自体が、いかに日本が文化後進国となったかを物語っている本来はインテリであり、文化の振興を促進すべきエリートであるべき官僚が、全く文化を理解しない、実学のみに通じ、趣味はカラオケ、ゴルフという輩に成り果てていることが根本原因だろう上野で開催される美術展に行っても、ほとんどの人は主婦、若い女性、そして引退した老夫婦であり、現役世代の男性は少数だ。上野の美術展に足しげく通うエリートはほとんどいないというのが日本の現状ではないだろうか

戦後の復興教育の中で、法学部、経済学部などの実学が尊ばれ、哲学を語るインテリなどはほとんど現存しない。学生運動に花をさかせた団塊の世代より若い受験戦争以降の世代は、いかにしてよい大学に入り、いかにしてよい省庁、会社に入るかしか考えてこなかったからだ印象派を創始したのはモネかマネかという2択の質問には答えられても、”モネはどういうところが素晴らしい画家でルノワール、シスレー、ピサロなどとはどういう点が異なる、だからモネは好きだ、特にどの作品が好きだ”などと語れるエリートはどれほど存在するのだろうか

受験戦争により文化後進国となった日本は、受験戦争で育った世代が決定権を持つ時代に至り、さらに文化後進国になろうとしている日本は経済では既に世界で2番目の大国となった。かつてのように文化でも先進国になることを目指す必要があるのではないだろうか


2005年08月08日

郵政民営化法案ー否決当然、総選挙もしょうがないか?−

郵政民営化法案が参議院で否決された。ここ数日の動きを見ていると、予想通りの結果といえるだろう。なぜ否決されたのかについては、いくつか理由があると思う。
 
第一の理由は郵政民営化が国民にとってプラスかマイナスかがきちんと理解されていないことではないか?過疎地の郵便局は当然赤字であっても、残すべきだと思う。反対に、我々の血税が郵便貯金から道路公団などに還流する流れは、断つべきだろう。この法案のメリットとデメリットの双方が十分に説明されていないことで、議員さん自身が理解されていなかったり、十分審議をつくしていない法案をとおすことへの抵抗感があったのではないだろうか?
 
第二の理由は、執行部のコミュニケーションのとり方が下手すぎたことだろう。衆議院採決前の執行部による恫喝で、多くの議員の反感を買ってしまったことが、今回の採決の結果に大きく影響しているのではないか?
 
第三の理由は、第二の理由にも関連するのだろうが、勝ち馬にのるといった心理が働いたのではないか?マスコミによる数々の報道で、法案否決が優勢という状況は、議員であれば当然把握していただろう。また、法案否決イコール衆議院解散という首相のやり方に、ついに森前首相までがさじを投げたという報道が飛び出しては、”首相についていっても大丈夫か”という心境になってもいたしかたなかろう?
 
私自身、郵政民営化がプラスなのか、マイナスなのか理解しておらず、この法案自体について語るつもりはない。しかし、一つだけいえるのは、もっとうまいやり方があったのではないか?ということだ。
 
まず、法案についてプラスとマイナスをきちんと説明し、国民一人一人に理解していただくことが大切だったのではないか?次に、反対派の議員の意見ももっと聞き、少なくとも過疎地の郵便局については赤字でも維持するなどの特例を設け、融和を図ると共に、過疎地の方々の不安を取り除くべきだったのではなかろうか?そして、態度を決めかねている議員を味方につける際にも、上から下への恫喝ではなく、下から上への態度で協力を仰ぐべきだったのではなかろうか
 
ともかくも法案は否決されたわけだが、解散総選挙については、残念ながら、やむをえないのではないだろうか?NHKのインタビューでいくつかの政党の幹事長や幹事長代理が、否決が国民の意思の表れだと語っていたが、果たしてそうだろうか?今回の参議院での否決イコール国民の意思とは全く思えない。この時期の解散は政治空白を生むなどの理由で問題だという意見も一理あるが、もうこうなっては郵政民営化の賛否を国民投票に問うしか道はないのではないか
 
国民が郵政民営化に反対なのか、賛成なのか、もうすぐ答えがでるだろう。少なくとも私は、投票の前に出来る限りこの法案についての情報を収集し、理解に努めるつもりだ。

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2005年08月01日

金太郎飴偏重社会から個性重視社会へー芝浦アイランド計画ー

sibaura 芝浦アイランド計画というプロジェクトが進行しているのをご存知だろうか?三井不動産などがJR田町駅の芝浦口からまっすぐ歩いて7,8分ほどの、旧海岸通りと海岸通りの間の埋立地で進めている巨大プロジェクトだ。49階建ての超高層住宅数棟にスーパー、医療クリニック、幼稚園・保育園、公園など約4000戸、10,000人の人が暮らす街を造ってしまおうという構想らしい

さらにこの芝浦地区と天王洲地区にハーバーを建設しようという構想を東京都が先月発表した恐らくこの芝浦アイランドのあたりにできるのではないか?レストランに高浜運河沿いに店を出す権利を与え、船でレストランに食事に行けるらしい

実は私もこのエリアに住んでいるのだが、シーカヤックか小型のモーターボートを買って、T.Y.ハーバーブルーワリーに船で行けたら面白いのにという話を友人によくしていた”よくそんな面白いことを考えるよね”って言われるだけで、あんまり相手にされなかったがモーターボートは家の前の運河につなぐと不法係留で都か国から文句を言われそうだが、カヤックは家のストーレージに入れておけばよいので、今でも真剣に考えているそこにこのハーバー計画のニュースであるハーバーが完成したら絶対に船を置こうと心に決めた休日は葉山の後輩のクルーザーに乗せてもらうとして、平日はうちの船でお台場まで飛ばして、レインボーブリッジとフジテレビを見ながらワインを飲めたら最高だろう家の周りにマンション建ちまくりで、もう家からレインボーブリッジ見えなくなったし

そういうわけで、昨日ユーフォリーヨットクラブの昔のメンバーとゴルフに行った際に、この芝浦アイランドとハーバー計画の話をして、モーターボート購入計画を持ちかけたその時、外資系投資銀行に勤めるひとりのメンバーが面白い話をしてくれた。彼と今ロンドンにいるメンバーが東大の都市工学学科に在籍中に、ゼミで取り上げられたのが、まさにこの芝浦アイランドプロジェクトだったそうだほとんどの学生が小規模住宅が密集する案を出してきた中で、そのロンドンにいるメンバーが超高層住宅プロジェクトを発表したそうだ。そして、ヨット好きの外資系投資銀行のメンバーはヨットハーバーがある街づくりを提案したそうだ。

残念ながら16,7年前、二人の意見は両方とも一笑にふされてしまったそうだその二人の少数意見が16,7年後の現在まさに現実化しようとしている反面、ほとんどの学生の意見である小規模住宅が密集する街づくりはブループリントで終わってしまった

1980年代終わりごろの日本は、個性的な人物や意見は敬遠され、組織で皆と同じように行動することが好まれる時代だった。街を走っている車も白の四角い車体のセダンばかりだった私は朱色のVWシロッコに乗っていたが、なんで同じ値段だったら白いBMWの318にしなかったんだとよく聞かれたものだ

2005年、日本も世界標準に近づき、ようやく個性が重視される時代になった。今まで肩身が狭かった我々の時代だちょっと早く生まれすぎちゃったけど、最近は楽しいです


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2005年05月06日

尼崎脱線事故ーやはり会社の体質が問題だった!!−

尼崎のJR電車脱線事故の根本原因はやはり会社の体質が問題だったようだ。1.脱線事故で事故車両に乗り合わせた運転士に、事故をほったらかしにしたまま、時間通りの出社を指示した、2.当日ボウリング大会を中止せず実行、宴会で飲酒したという、非常識な新事実が5月5日の日経朝刊に載っている。一体この会社の体質はどうなっているのか?
 
調査がすすむにつれ、今回の脱線事故が、運転士のスピードの出しすぎと急ブレーキが直接の引き金となったことが明らかになった。しかし、問題の根本は運転士にある訳ではない。運転士はある意味この体質の被害者である。問題はこのJR西日本の体質を作り上げた張本人である上層部ということにならないだろうか?
 
今回の二つの非常識な真実については、全てこの会社全体の意識、仕組みの問題だと社長が認めている。それだけではなく、今回の脱線事故の遠因についてもこのJR西日本という会社の体質にあることは明らかだろう。1.商業主義に走り、過密なダイヤを作り上げ、オーバーランによる遅延の挽回のためのスピード超過を招いた、2.運転士として不適切なものを、引き続き運転士として登用し続けた、3.車掌が運転士のオーバーランを咎めるどころか、過小報告に手を貸した、こうした儲け主義と社員への甘えの構造が今回の事故の本当の原因ではないかと既述のブログでも指摘した訳だが、今回の二つの新事実でそれが証明されたこととなる。
 
二つの電車区の係長が脱線情報を放置していたということだが、JR西日本の聴取にも"(運転士が)脱線した電車には乗っていなかったと勘違いした”とか”けが人がいると聞いた記憶がない”などと答えているという。謝罪するどころか、こうした余りにも低レベルの言い訳をしているなど考えられない!!自分たちの会社のミスで100人以上もの方が亡くなられ、遺族の方々が断腸の思いでおられる。その気持ちを全く考えずに、こうした言い訳が平気できる社員が管理を任されているなど、常識の範囲を逸している。私自身今回の事故で知り合いが被害にあったわけでもないが、これだけ腹が立つわけである。遺族の方々の胸中を察することなどできようがない!!
 
日経には、その電車に乗り合わせた乗客も、近所の住民も救助を手伝ったとある。人間として当然のことだろう!私の部下がその電車に乗り合わせ、救助を手伝いたいと連絡してきたら喜んでOKを出すだろう。当事者であるJR西日本の、しかも同じ仕事をしている運転士が、救助をしないなどは考えられない!!係長が出社を指示しても、”事故で苦しんでいる人を見捨てて置けないので、救助にまわります”と何故言えないのか?問題は、そうした人間として当たり前の事に気づきもしない体質ができあがっていたということだろう。その責任は誰にあるか?上層部であることは自明である!!
 
社長以下上層部は、事故の原因分析、直接的な原因だけでなく、それ以上に今回の事故に至った会社の体質分析をすすめてほしい!その後に問題のあった人々の処分を明確化し、再発防止策を発表し、遺族の方々から本当の意味の許しを得ていただきたい!!進退については世論が決めてくれるだろう?!
 
 

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2005年04月28日

尼崎脱線事故ー商業主義から安全第一主義への教訓となれ−

25日に起きた尼崎の列車事故の犠牲者が100人を超えそうとのことだ。当然のことだが、日本国民全てが、遺族の方々に心からお悔やみを申し上げたいという気持ちで一杯だろう。しかし、同時にJR西日本に対して怒りを感じている方も少なくないであろう。
 
今回の事故については複合要因でおきた訳で、事故の真の原因究明には時間がかかるとマスコミは火消しに躍起(?)だが、多くの人々が原因の一つは23歳の運転士にあったと考えていることは確かだろう。1.車掌時代の2度のミス、一つはブレーキをかけることを指示すること忘れたというもの。もう一つは目が虚ろだと指摘されたというもの。そして昨年5月に運転士になりたての6月に起こした100メートルものオーバーラン。この3つから想起される不安は、果たしてこの運転士の精神状態は正常だったのかという疑問だ。目が虚ろだと乗客に指摘されただけで処分を受けること自体がまず理解し難い。それだけで処分したということは、何か目が虚ろになる原因をJR西日本当局が認めていたということにはならないだろうか?目を虚ろにさせるものとして瞬時に思いつくのは、精神的な病、薬、酒の3つであろうか。そしてこの3つは全て精神を麻痺させ、瞬間的な判断力を低下させるものだ。車掌時代の指示ミス、オーバーランにつながってくるわけで、やはりこの精神的な病、薬、酒などにより、この運転士の瞬間的な判断能力が低下し、こうしたミスが起きたと想起される
 
問題は、なぜこうした車掌時代に2度も処分されたこの運転士を昨年5月に運転士にし、さらに6月のオーバーランの後も処分期間が過ぎた後に運転士を続けさせたかということだ。マスコミによると国鉄民営化による採用抑制で若い運転士に頼らざるを得なくなり、教育が行き届いていないためこうしたミスが起きたという。しかし、問題なのは教育をうけていない若者にあるのだろうか?私はそうは思わない。若くても優秀で、ミスをおかしておらず、ミスを犯す不安を感じさせないのなら問題ないのではないか?問題なのは年齢ではなく、この運転士の誰にも不安を起こさせる過去の経歴だ!!
 
かつて逆噴射という流行語を生んだ羽田沖墜落事件というのがあった。私は今回の事故の記事を読んで、すぐにこの事故との類似性に思い至った。この事故を起こした機長は若者ではない。ベテランである。しかし、精神状態が安定していなかった。私の記憶が正しければ、その大惨事を引き起こす前にも、パイロットとしての適性不足が指摘されていた。しかし、会社は温情で彼にパイロットとしての仕事を続けさせた。そのことが事故につながった。
 
今回の運転士も明らかに運転士としての適正があるとは言い難い。この大惨事の直前の停止駅でもにも40メートルのオーバーランを犯している。私が駅員だったら、その時点でその運転士を運転台から引き摺り下ろし、運転をやめさせるだろう。この運転士は以前にもオーバーランを引き起こしている問題運転士なのだから。車掌が行ったことはこれと正反対で、40メートルのオーバーランを隠蔽し、6メートルと報告することだった。隠蔽行為が許されないことは、最近起こった自動車メーカーの件で周知されていると思っていたが、残念ながらそうではなかったようだ。
 
パイロットにしろ、運転士にしろ人の命を預かっている仕事である。温情主義で部下をかばうなど言語道断である。部下に厳しくするのはできれば避けたいし、飴ばかりを上げたい気持ちはもちろん分かる。しかし、こうした命を預かる職場では許されることではない。こうした部下への迎合と、私鉄との競合による商業主義が重なり合って今回の大惨事が起きたのではないか?
 
交通機関に求められるのは利便性もあるが、安全が第一である。余裕をもった安全第一のダイア組み換え、安全を最重視した車両導入、そして安心して命を預けられる職員による運営体制が求められている。
 
 

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2005年04月14日

日本人の理解力はアメリカ人より落ちたか?ー受験の弊害ー

最近ブログで映画評論を書き始めたわけだが、共感できて、TBしたいと思えるようなブログを探すため、同じ映画のタイトルのついたブログを流し読みしている。残念ながら、TBしたいと思えるブログはほとんどなく、そのあまりのレベルの低さに驚いている。特に”サイドウェイ”への評価があまりに低いのに愕然とし、このブログを書くことにした。
 
”アビエイター”にしろ、オスカーこそ主要部門で逃したが、今回のアカデミーでも多くの賞にノミネートした秀作である。この映画の魅力は一言で言うと、伝説の人物ハワード・ヒューズの魅力につきる。大ヒットするハリウッド映画を作る、アメリカで1番の大金持ちになる、世界最速記録を打ち立てるという1つでもほとんど不可能に近い夢。それを3つとも現実に追い求め、もちろん才能、環境もあるが努力によってそれを実際に達成した人物の偉大さに共感し、憧れるという非常に単純な映画である。努力すれば何でも可能な自由な国というアメリカン・ドリームが息づくアメリカ人が酔いしれるのは当然であろう。
 
しかし、日本での評価はどうか?私が読んだブログでは共感できなかった、3時間は長くて疲れた、特に後半がだれたという意見がおおくみられた。この映画を見に行く目的も、夢を追い求め、実現した人物の人生に酔いしれるというよりは、レオ様を見たいという非常に軽いノリのほうが圧倒的に多いのではないか?そうなると、映画での前半でのかっこいいレオ様が、後半では気のおかしくなったオジサンになるわけだから退屈になるのもしょうがないのか?しかし、この映画は魅力はむしろ後半だハイライトとなる法廷シーン(空への夢を語り、負けて当然の法廷で勝利に導いたシーン)と、周囲にキチガイ扱いされながらも完成させた強大な飛行機が空に舞い上がるシーンはいずれも後半であるいつから日本人は、こうした、あることを達成したことという美への共感を、なくしてしまったのだろうか?私は見たことがないが、NHKの人気番組”プロジェクトX”に感動するのは中高年だけなのだろうか?
 
サイドウェイに至っては、アメリカのほとんどの主要都市の批評家協会賞を総なめにし、アメリカ中でピノ・ノワールブームを引き起こしているほどの大ヒット作だ。教養があるとかないとかではなく、人生の深みがある程度わかれば共感できる映画だろう。残念ながら日本のブログでの評価は非常に低く、退屈だとか、共感できないとか散々で、TBしたいものは1つしか見つからなかった。
 
それでは、なぜ日本のブログで、本家アメリカの一流批評家とは全く正反対の、負の評価が氾濫しているのだろうか?第一の問題は”オレ流”の氾濫であろう。ここでまず本当の”オレ流”について勘違いしていると思うのだが、落合監督は3冠王であり、歴史に残す不世出の野球人の一人だ。だからこそ”オレ流”が許されるのだ単なる市井の人が、なぜこれほどに自信を持ち、自分の意見をとうとうと述べられるのかは本当に理解に苦しむそこには権威あるものへの尊敬の念などまるでない映画についてはプロである批評家すべてが素晴らしいといっっていようが、どこ吹く風で、オレ的には退屈だったで終わりであるこの自己の能力への盲信はどこから来るのか?テレビゲームのやりすぎで、現実とバーチャルの区別がつかなくなっているのか、それとも教師への敬意の欠如が、悪い点数をつけている教師が馬鹿だとか、こんな学校の授業で点数が悪くても俺は天才ミュージシャンだから大丈夫だと思い込んでいるのか?この発想は非常に危険なものとなりうる。天才である自分を認めない社会への敵視は犯罪、無差別テロへと結びついていく。小学校への乱入事件、突然見ず知らずの人へ切りつけるなどの事件は、”すごい自分”を認めない社会への敵視からきているのではないか?この過大な自信と権威への尊敬の念の欠如が結びついた”俺流”が、こうした批判ブログが氾濫する第一の理由だろう。
 
私の感覚では、これだけの賞をとっている映画に批判を加えるのは非常に勇気のいることである。その批判が非常に説得力のあるのものでないと、数多く書かれた専門家による賞賛よりもすぐれたものでないと、恥をかくことになるからである。日本人の羞恥心の低下についてはいまさら述べるまでもないだろう。電車の中での飲食、化粧、馬鹿騒ぎ。こうしたことは10年ほど前まではマスコミを賑わせたが、今では話題にもならない 
 
3番目の問題は、日本人特有の”赤信号みんなで渡れば怖くない”の発想であろう。羞恥心のない少数派だった電車での飲食もこの”みんながやっているから大丈夫である”という意識により多数派へと変わる。この権威ある賞へを獲得した映画への批判も、1.過大すぎる自信2.羞恥心の欠如3.赤信号意識が重なり合い、圧倒的な多数派を占めるに至ったのだろう。
 
大分回り道をしたが、標題に戻る。この二つの映画への批判から考えられるのが、日本人の考え方に深みがなくなってきているのではないかということだ。20代の部下と接していて思うのだが、思いつきで物事を言い過ぎている。頭が非常に切れる部下でも考え方にもう一歩が足りないその少しで答えが変わるということは、多々あるものだ。この映画についての評でも分かるが、他人の意見を聞かず、じっくり考えずに感覚で”あー、長かった。オレとは合わなかった”で終わりである。
 
かつてはアメリカ人は皮相的で、考えに深みがないという声を耳にした。昔は確かにそう思った。”プロジェクトX”に感動するアメリカ人はあまりいないかもしれない。しかし、現在はどうだろう?アメリカ人はアビエイターとサイドウェイに感動できるが、日本の若者は長い、深みのある映画を理解できなくなっているのではないか?
 
受験の弊害で論述問題が国立を抜かしてなくなり、4択などの選択式や、記憶力のみを試されるようになり既に数十年たっている。我々の年代はまだ読書をしていたこともあり、この受験の弊害による読解力、論述力の低下を補っていたのだろうが、読書(漫画でも小説でも中身の濃いもののこと)もあまりしなくなった世代ではこの論述力、読解力が相当落ちているのではないか?
 
まともな小説を読ませ、その感想文を書かせるという教育をしていかないと日本の将来は非常に不安だ。教育の変化が求められている。
 
 

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2005年04月11日

食後のカプチーノーイギリス、アメリカのリストランテではOK−

カプチーノイタリアンは大好きだ先週もカノ・ビアーノ、レスタジ、リヴァ・デリ・エトゥルスキで食事をしたどのレストランも素敵で、旬の素材を使い、食材、調理法など多少の日本風な味付けをして(店によって異なるが)個性を出しているアメリカ、イギリスのイタリアン・レストランと比べても遜色がないむしろそれ以上かもしれないアメリカ、イギリスと比べた時の日本のイタリアンレストランの問題は、食後のエスプレッソにあると思う
 
カプチーノを飲むのは朝で(同じ意味では、フランスのカフェ・オレ、イギリスのミルク・ティーも同様だ)、それ以降はエスプレッソというのがイタリアの文化だ。BARで一日中、レストランでの食後には口直しに、エスプレッソに砂糖を入れ、かき混ぜて、一気に飲むこの風習に慣れているイタリア人が、イタリアで食後にカプチーノを頼む日本人を怪訝に思うのは至極当然だろう。
 
しかし、日本ではどうだろう?スターバックスでも皆が頼むのはカフェ・ラテ、カフェ・マキアート、カフェ・モカなどのロング・ドリンクで、エスプレッソを頼んでいる人はほとんど見かけないつまり日本人は濃いエスプレッソを飲みなれておらず、ミルクを混ぜて飲むのを好むということだろう。その日本人がなぜある程度高級なイタリアン・レストランでエスプレッソを飲むのか?それは1.ウンチク好きな日本人はイタリア人に習い、飲みたくなくてもエスプレッソを飲む2.気取り屋の日本人はウェイターの、彼女の視線が気になり、馬鹿にされたくないと、エスプレッソを飲むの2点に尽きるのではないか?普段からエスプレッソを飲みなれているならともかく、たまにリストランテに言ったときだけ”エスプレッソ、ドッピオ!!とかダブルで!!とか言ってるのってかなり格好悪いと思う
 
この点、イギリス人や、アメリカ人は立派である。もともと食への関心が低いということもあるのだろうが、そこには他人の目を気にせず、飲みたいものを飲むというポリシーが見受けられる私もロンドンやN.Y.Cではその時飲みたいものを堂々と飲める
 
しかし、日本では残念ながら、他人の目が気になる小人物の私は、”食後にはエスプレッソ、普通のコーヒー、ハーブティーがあります”と言われると、その時カプチーノが飲みたくても、”コーヒーお願いします”と言ってしまうことが多いトラットリアクラスではカプチーノを頼めても、リストランテクラスではいいずらいのだ。ただし”ドッピオー”と言ったりはしないが
 
ここは日本だ!!普段からエスプレッソを飲んでいる人を除いて、アメリカ人を見習って、みんなでリストランテでもカプチーノを頼もうリストランテのオーナーさん、カプチーノも選べるようにしてください
 
 

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2005年02月21日

迎合マネージメントと迎合恋愛ー叱らない現代男ー

最近あることに気づいた。なんと接点があまりないはずのフリーのオタク系ときれいどころモデル系とが、非常に似ているということだなぜかと考えると、なるほどと納得できた。両者とも他人に合わせずに、自分勝手に生きてきたからだオタク系は会社に属せず、フリーで自分の好きなように生きている、また、会社に属しても、大抵は小さな、ビジネス論理が働かない会社であり、挨拶もせず、遅刻もOKのようである。実際筆者もこうした部下を多く持ち、苦労した経験がかつてあるのだが、挨拶一つできるようになるまで、厳しく指導してきたにもかかわらず、なんと1年もかかったほうれんそうの”ほう”でさえ、1年たってもできない普通の会社に勤めるビジネスマンではまったくありえないことである。今まで厳しく指導されたことなど前代未聞だそうだ。質の低い上司の場合、彼らに嫌われたくないため、かれらにあわせる迎合マネージメントをするためだ
 
他方、きれいな、若く、ちやほやされている系にも同じ現象が見られる。ちょっと”それはよくないんじゃない”とか咎めると”こわーい”とか言う。そこで大抵の男が”あーごめん、僕が悪かったよ”とか謝るものだから、”こわーい”と言えば自分の意見が通ると思っている私の場合、”ふざけるな、お前が悪い、なぜならこうだからだー”と言うのだが、ここでも返ってくる答えは”私にそんな厳しいことを言う人なんてあなたが初めて”というものだ。要するに、間違ったことをしても咎められることがないわけだこれこそ現在の男性の間に爆発的に流行しているデルモ、デス系への迎合恋愛だ
 
昔は、迎合マネージメントも、迎合恋愛もありえなかった!!火事や雷と並んでおやじは怖い存在だった。現在はおやじというと職場でも、家庭でも邪魔者扱いされ、うるさく小言を言うものとして、嫌われる状況となっている。そうしたこともあり、職場では強くなってきた部下へ迎合する親父が増えているのではないか?また、恋愛でも”口うるさくて親父みたい、”こやじ”と思われたくない若者がきれいな女性のいいなりになっている
 
しからない上司、しからない恋人は、責任感もないなぜなら、若くて、まだ性格を直せるうちに悪い性格を直せず、将来困ることになるのは、困ったチャン部下と困ったチャン女の子だからだ!!困ったチャン部下は、30才を過ぎて、初めて仕事ぶりを直そうにも、ほうれんそうもせず、あいさつもしないことが身についてしまっているこうした人を雇う会社は少数だろう。
 
きれい系女の子も同様である。20代の頃はそれでもやっていけるが、30を過ぎて、30代半ば近くになってくると、男も外見にだまされず、中身で結婚しようとする。20代の頃より外見は年を取るごとに衰えていき、中身は”タカピー”系の女の子と結婚したがる男は、これまた少ないでしょう特に彼女らが結婚したがる高収入の、堅物じゃない男の気持ちとしては、”いくら元モデルとかデスとかのブランドがついていても、恋人にはいいけど”って感じでしょう
 
 
この問題にも解決策は二つしかない一つは上司は部下を、そして男性陣はきれい系をもっとびしびししつける事そして、部下は上司の言うことを、きれい系は恋人(お友達?)の助言を真摯に受け止めること嫌われるような嫌なことを言ってくれる人は、現代の東京ではなかなかいないのだから
 

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2005年02月17日

信号ー横断歩道を渡る際に見られる日本人のマナーの変化ー

信号10年ほど前でしょうか、外資系の会社に勤めているときに、仲のよいアメリカ人に信号について質問をうけました。なんで日本人は青信号を緑信号ではなく、青信号というんんだ、あの色が日本人は青に見えるか?"というものでした。これにはもちろん色盲じゃないから緑に見えてるよ、確かにそうだ、緑じゃん、なんで英語のようにグリーンライトって言わないんだろう と答えました。普段当たり前だと思っていることが実は変だと気づかされるのが、外国人とつきあう楽しみの一つです

 

次の質問がなんで日本人は車がぜんぜん全然来ていないのに、赤信号だと渡らないんだ、アメリカだと信号が赤でも車がいないときは道を渡るよというものでしたが、これに対しては日本人は規律が行き届いているから、たとえ車が全然来ないときでも道を渡らないんだ、俺は日本人ぽくないから渡るけどね と言うと、日本人は論理的だか、非論理的だかよく分からなくなると言われました。もちろん論理的だ、ただし、非論理なのは分かっているけども、規律をそれ以上に重んじるのが日本人の美徳なんだと誇らしげに答えたのをよく覚えています。

 

ところがどうでしょう、あれから10年、日本人の赤信号での行動はまったく正反対となりました。赤信号で、車が左折できずに渋滞になっているのにも関わらず、赤でも平気で歩いています、中には携帯でメールを見ながら下を向いていて、信号が青なのか、赤なのかも気にもかけていない者まで多く見かけられます

 

これはまさにモラルの低下が引き起こした結果でしょうかつては他人に迷惑をかけるなということを教育されたものです。どんな職業についてもいいが、とにかく人様には迷惑をかけるようなものにだけはなるなというせりふをよく聞いて育った我々の世代から見れば、現在の10代、20代の人の迷惑など関係ない俺流はまったくもって理解不能です。アメリカ人が赤で信号を渡るのは、車が来ていないから、渡っても誰にも迷惑をかけないからであって、車が来ているときは渡らないのがルールです。もちろんアメリカでも例外の人はいるけれども、日本のように、車が来ていても赤信号を渡る人が多数派なのが、現在の日本の特徴でしょう、まったく、他人の迷惑を考えるという発想が、かけています悲しむべきことは赤信号、みんなで渡れば怖くないという標語が大好きな中高年も若者に便乗し、最近は赤信号でも、左折の車がつかえていても、平気で道を渡るようになっていることです中高年の参戦で、赤信号で道を渡るという風潮はますます盛んになってきています

 

対処法は二つあります。一つは、モラル教育により、他人に迷惑をかけることをやめるよう訴えること、車に乗っている人の立場で考えるようさとすことでしょう。ただでさえ切れやすい若者が、赤信号で渡る同胞のために、1回の信号の切り替えで2台しか左折できなければ、自分が10台目に並んでいると、4回も信号を待たなけらばならない、我慢できるわけがないもし赤信号で渡る人がいなく、1回に5台左折できれば、1回ですみ、2回目で左折できる こうしたことを、免許の切り替え講習などで、教えていただきたい!!もう一つは、イギリスのように、歩行者信号が青の時間を短くし、歩行者信号が赤になってから、車の信号が赤になるまでの時間を長くすることです。この案いかがでしょうか?

 

本当に日本人は個が弱く、情けない10年ほど前に世界に誇れる規律を誇ったこの国が、世界一の安全を誇ったこの国が、今ではモラルも崩れ、犯罪もどんどん増えています。みながモラルを崩すと、自分は自分、他人は他人なのに、自分も、自分もと悪い方向にすすんでしまっているのが現状でしょう。この赤信号、みんなで渡れば怖くない気質はどうにかしてほしいものです

 


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