音楽・ライブ評論

2005年07月19日

クレモンティーヌ&カルロス・リラー一粒で二度おいしいー

クレモンティーヌクレモンティーヌが来日するというので久しぶりにブルーノートに出かけた。しかも共演者がボサノヴァの巨匠カルロス・リラアルバム”クーラー・カフェ”以降のフレンチ・ボサが聞けるのかと期待してでかけた

予想に反して、クレモンティーヌが歌ったのは、シックスティーズの懐メロフレンチソング集レトロな雰囲気の海に行きましょ的な曲、男と女のテーマ、水色の恋にサントワ・マミーまで飛び出したまあ、これはこれで彼女の声の質と合った曲が多く、なかなか楽しめたサントワ・マミーは歌唱力のなさが目立ってしまって残念だったが

その後でカルロス・リラが登場、一緒にボサノヴァの名曲”マリア・ニゲン”を歌った後クレモンティーヌは退場、カルロス・オン・ステージとなるカルロスはもう60歳を超えているはずだが、声は少しも衰えず、つたない日本語で解説を加えながら次々と熱唱していく。その歌とギターの表現力は完璧で聴衆は彼の世界に引き込まれていくクレモンティーヌファンの女性客が多いようだったが、カルロスへの拍手のほうが大きかったのも当然だろうカルロスと比べると、クレモンティーヌはルックスと声がかわいいだけのアマチュア歌手で、フランス本国ではまるで無名というのがうなずけてしまうカルロスとの共演はボサノヴァに目覚めた彼女にとって名誉のことではあるが、大きなリスクだったといえよう

カルロスがステージを去った後の、リズム隊3人によるパーカッションの共演が、恐らくこの夜のハイライトだったといえようメインの二人がいない、しかもパーカッション・イベントが一番というのも、皮肉な話だがそれだけ、サポート・ミュージシャンの質が素晴らしかったということだパーカッション、ベース、そしてギターの3人は、特に素晴らしかった。ギタリストがクレモンティーヌとデュエットしたが、その声もギターもジョアン・ジルベルトかというほどの見事な表現力だった

クレモンティーヌだけでも、カルロスだけでも、短調なライブになるところが、二人が共演したおかげで、60年代の懐メロシャンソン、そしてボサノヴァと二つの音楽が楽しめたなんか得した気分のコンサートでした


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2005年07月12日

ECMレーベルの至福ーインテリ向け癒し系ジャズー

tabula rasaECMレーベルとの付き合いは高校時代に遡る。ECMに”入門”したきっかけはキース・ジャレットケルン・コンサートやソロ・コンサートをみんなで聴いていたブルーノートやプレステージとは異なる独自の音色に衝撃を覚えた友人がコルトレーンやドルフィーなど主としてアメリカジャズを聴いている中、ひとりECM、ヨーロピアン・ジャズにはまりこんでいったジャズ好きからすれば邪道であろうというか、その頃からジャズも聴いていたが、ロックもクラシックも相当聴いていたので、ジャズ好きからすればその時点で×だろう

キース・ジャレットから派生して聴くようになったのがヤン・ガルバレク名盤”マイソング”で聴ける泣くようなサックスに心を奪われ、それ以来最も好きなミュージシャンの一人となった彼はそのようなバラードも得意だが”北欧のコルトレーン”と呼ばれているようにラルフ・タウナーとのアルバム”ソルスティス”などではその吼えるような音色も十分堪能できるヤンは3年ほどまえにグレゴリオ聖歌を歌うようなコーラスグループと来日、その時のコンサートに2度でかけた。もちろん素晴らしかったが、やはりジャズを演奏するヤンを聴きたかったのが本音だ

上記の例のようにECMのミュージシャンはお互いのリーダーアルバムで共演しているので、”あのアルバムのミュージシャンが、ここでも演奏している”といった発見が楽しみキース、ヤン、ラルフ、そしてパット・メセニー、チャーリー・ヘイデン、エグベルト・ジスモンチ、ナナ・ヴァスコンセロスなどはお互い共演しているはずだ

最近文化的な生活をするようになったのと、癒しが必要になったのと二つの理由で、再びECMを聴きたくなってきた。その時出あったのがECMの幸せ。というサイト訪れれば一幸斉さんの批評は信頼できるとすぐ分かるここで紹介されていたアリルド・アンデルセンの”ザ・トライアングル”、”エレクトラ”、ヤコブ・ヤングの”イブニング・フォールズ”は全て素晴らしかった”イブニング・フォールズ”でのドラマー、ヨン・クリステンセンとの20年ぶりの”再会”も感慨深かった一幸斉さん、ありがとう

ヤン、アリルド、ヤコブ、ヨンは全てノルウェー人ノルウェー人のジャズ・ミュージシャンの演奏力、曲への理解、洞察力は申し分ない非常に深みのある、知的な演奏を繰り広げてくれる。今度はECMの幸せ。で紹介されている、やはりノルウェー人のトルド・グスタフセンのアルバムを買ってみよう

ECMから1枚を選ぶのは至難の技だが、トップの写真を選ぶ際に考えに、考えてとりあげたのが、写真のARVO PARTの”タブラ・ラッサ”。これはロンドン留学時代、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート出身の画家の家で出あった1枚ジャズではなく、エストニア生まれの作曲家ARVO PARTによる現代音楽。演奏者はキース・ジャレットとギドン・クレメールなど東ドイツやロシアの絵画もそうだが、西洋の退廃的なな文化圏では生まれ得ない、抑圧された世界でのみ生まれうるこのARVO PARTの深遠な音楽を聴いたときの第一印象は”この現代にこのような曲を作曲できる人がいるのか”という衝撃だった二人の演奏ももちろん非の打ち所がないこうした世に埋もれていた素晴らしい音楽を、商業的に成功できるかわからないというリスクおかしてまで世間に問うところが、このレーベルの創始者マンフレート・アイヒャーの素晴らしいところだ

この”タブラ・ラッサ”は非常に重いので万人向けではないが、他のアルバムは”涼しい”ジャズなので、これからの季節に合ってます。癒し効果もあるので、是非聴いてみてください


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2005年06月27日

ファンホ・ドミンゲスーメセニー、アミーゴに匹敵?ー

ファンホ・ドミンゲス先日ファンホ・ドミンゲスのコンサートに行ったのは、本当に偶然。ラテン音楽雑誌の”ラテーナ”のサイトを見ていたら、彼のコンサートが宣伝されていた。大好きなピアソラを弾くというのと、そのただ者ではなさそうな風貌からチケットを衝動買いしたそういうわけでCDも聴いたことがなく、何の予備知識もなしに、草月ホールにでかけた。

聴衆はかなり普通じゃない。スーツを着ている人などほとんど皆無。草月流に関係がある人なのか、アーティスト風の方が多い。みんなどんな仕事してるんだろうっていう感じだった

最初の3曲はピアソラではなく、20世紀初頭の古いタンゴ作品だそうで、今いるのは日本ではなく、アルゼンチンかという錯覚に陥る。この時代のタンゴなんて日本で聞けるところなんてないだろうから、ちょっとした旅行気分だ。第一部の曲はすべて戦前のよき時代のアルゼンチンという雰囲気の曲で、ティーンズの頃によく連れて行かれた、全日本社交ダンス選手権のラテンの部でかかる曲のようで、懐かしかった

休憩をはさんだ第2部はいよいよピアソラあの暗い感じの不協和音が鳴り響く1本、または3本のギター(ベース)であのピアソラ5重奏団の厚い音を再現するなんて、なんという素晴らしいテクニックだろうテクニックも素晴らしいが、その感情表現も文句なし。かつてオーチャード・ホールで見たギドン・クレメールの”ビバルディとピアソラのエイト・シーズン”のリサイタルを上回る出来だ

ピアソラが父の死を悲しんで書いた”アディオス・ノニーノ”、”レヴィラード”などのピアソラ作品も素晴らしかったし、原曲が非常に軽い曲で聴く気にならないはずのショパンの小曲”英雄ポロネーズ”、”子犬のワルツ”、”華麗なワルツ”のメロディーは、ファンホの手にかかり、重みのある名曲として再現されていたパラグアイの名曲”カテドラル”にも感動させられた。

ホールはクールビズのためかかなり暑く、ジャケットを脱いで鑑賞していたが、ステージライトを浴びたファンホは紳士なのか、ジャケットを脱ごうとせず、かなり暑そうだった。それでも素晴らしいアンコールを2曲も聞かせてくれた。

ファンホのテクニック、表現力はパット・メセニー、ヴィセンテ・アミーゴに勝るとも劣らないと感じたサイン会は興味がないので並ばなかったが、CDは2枚買ってしまったお気に入りアーティストがまた増えた


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2005年06月10日

ミハイル・プレトニョフー気難しそうな巨匠、本当はいい人ー

ミハイルサントリー・ホールの聴衆の前に現れたプレトニョフはプロフェッサーという風格を備えていた観客に全く媚びることがなく、”うん、うん”という感じでうなづきながら拍手に応えている。ピアノまでたどりつくと、座るや否や、おもむろに弾きだした

曲はベートーベンのピアノ・ソナタ第7番。第1楽章からその情熱をぶつける演奏に、観客は緊張感を強いられる。まさに、真剣勝負といった趣だようやく第1楽章が終了し、”さあ緊張をときほぐし、一息つき、第2楽章の”悲しみ”の主題を堪能しよう”と思ったら、ほんの5秒ほどの合間でまた弾きだしたこれでは、会場にいっぱいいらっしゃるおじいちゃんたちは、咳払いもできないので、苦しいだろう

第2楽章も非常に重い主題に、重い演奏。息を抜く暇を与えられなかった聴衆は、その素晴らしい感情表現と超絶技巧のラッシュで、疲れを強いられていく第3楽章、第4楽章へもやはり、ほとんど間がなしに進行していく観客にあわせることなどせず、”ベートーベンの音楽に集中した精神状況を中断させたくない”という思いなのだろうまさに、商業主義に毒されていない、本物の巨匠だ思わぬ展開に、”この緊張感の中で誰かが物を落とすとかそそうをしでかしたら、公演ドタキャンで有名なミケランジェリのように、この気難しそうなロシア人は怒って帰ってしまうのでは”という思いがめぐったまさにその時、”バタン”という大きな音が会場に響き渡った”やばいよ〜”と思って顔を見るが、曲に集中していて気づかないのか、怒っているのか定かではない。難しい顔をしているのだけは確かであるそして、ありえないことが起こる上記のどちらの理由かわからないが、なんと、演奏を中断せずに、次の曲、ベートーベンのピアノ・ソナタ第8番”悲愴”へとなだれこんだのだ

第1楽章の演奏は私がもっているケンプ版などよりも遥かに素晴らしい演奏で、”あー、怒っているんじゃなくて、集中しているからそのまま演奏したかったのかな”と感じられた。しかし、極度の緊張をほぐすための楽章と楽章の間の数十秒の間を与えられず、さらに、曲と曲の間の数分間も与えられず、聴衆の疲労は濃くなっていく。真剣に聞いていると疲れるのである、ベートーベンはそれ以前のモーツアルト、ハイドンのロココ調の優美な、メロディアスな曲と異なり、このベートーベンの第7番から、人間の内面の情熱をほとばらせる曲が出現したわけである。当時の人の驚きは、ストラビンスキーの春の祭典に大ブーイングが起きた時に匹敵する驚きであっただろうモーツアルトならともかく、このベートーベンのソナタ2曲を、この巨匠の演奏で連続で聞くのはきついこの激情の第1楽章の後の第2楽章はそうした事情もあり、まさにラフティングで激流を抜けた後の、広い、静かな流れに出たときのように、激しい雷雨が去った後の静けさのように、いつもにまして美しく感じれらた

悲愴の後は休憩をはさんで、ショパンの24の前奏曲休憩でMUMMのシャンパンを飲んだので、気分も軽やか私が持っているポリーニ版に劣らぬ名演奏だったしかし、この夜のコンサートが最も盛り上がったのはアンコールだったアンコールは演奏時間も短く、1曲終わった後に巨匠が立ち去るので数分の休憩もとれ、聴衆は演奏に集中できる。そのため、遂に巨匠と聴衆の心が一つとなり、スタンディング・オベーションが起こるそうなると、巨匠はアプローズにうん、うんとうなずき、また座るや否や演奏を始める。リストの小曲を弾き終え、2曲目のアンコールが終わったところで帰ってしまったかわいそうな客も結構いた。しかし、巨匠と観客の一体感は強まっているので、2曲目のスタンディング・オベーションは1曲目よりも盛り上がったその様子を見ると巨匠は”ふー”と大きなため息をつくと、中曲を弾き始めた、ショパンのノクターンこの演奏は白眉だったもちろん、さらなる絶賛のアプローズが吹き荒れるすると、なんと、巨匠は4曲目のアンコールを引き始めたのであった

この4曲目のアンコールは流石にみんな予期していなかったので、感動していた。気難しそうで、観客のことなんかまるで考えずにマイペースで演奏する”やな奴”かと思ったが、それは単なる曲へ集中するための職人意識だったわけだ。本当は、疲れているのにアンコールを4曲も演奏してくれる”すごいいい人”だったのだ

あれだけ集中しながら、感情を入れ込んだ、しかも技巧の高い演奏を休みなしにしているわけだから、その疲れは並大抵ではなかっただろう聴いているだけでも、これだけ疲れたのだから3曲目のノクターンを演奏する前のため息は、”すごい疲れているんだけど、これだけ感動してくれているのだから、小曲ではなく、中曲を弾くか”という言葉の表れだったのだろう

かつて、LAでキーシンのリサイタルを聴いた時、5回のアンコールがあったそのときも感動したが、昨晩の感動には及ばないだろう。プレトニョフの本当のファンになりましたただし次回は曲にもっと集中できるように、曲と曲の間はもちろん、楽章と楽章の間にもっと時間をさいてほしいものだ


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2005年05月24日

カエターノ・ヴェローゾー現代最高のラテン・アーティスト・ライブー

カエターノカエターノを知ったのは、今から15年ぐらい前、トーキング・ヘッズのリーダー、デビット・バーンによるMPBのオムニバス版”beleze tropical”でそこに収められた名曲”Terra”と”Queixa”は今でもお気に入り明るい、思わず口ずさみたくなる名曲だただ、その頃はカエターノよりもシコ・ブアルキにのめり込んでいた。カエターノを本当に好きになったのは7、8年前ぐらいからで、DVDも3枚、CDもそれ以降の作品はすべて(7、8枚ぐらい)持っている。現在では最も好きなアーティストだその表現力が豊かな、艶のある声は本当に心に染み入ってくる男性ボーカルの中では、かつてインドの2等列車で聞いた盲人の声、絶頂時のパバロッティと並んで私の中では最高位にランクされている一番記憶に刻み込まれたという意味では、南インドの列車の中でたった一人で、ホテルも予約しておらず、夕日が沈んでいくという状況で聞こえてきた、天使のような歌声、神様が生きていくために視力の代わりに与えたんだろうという盲人の声が、もちろん原体験として鮮烈ではあるが、それに劣らないぐらいに、私の心にはずーと残っている歌声だ”音楽には言葉はいらない”とは、こうした英語圏以外のアーティストが証明してくれているのではないか?歌詞が分からない人にも訴えかけてくるものを持っているわけだから

声の質自体と表現力、その両方が素晴らしいことがもちろんベストだが、どちらかというと、表現力こそが何十年のキャリアを築いていくアーティストと、すぐに消えてなくなっていくアーティストとの差別化要因だろうスタンディング・オベーションが起きるか、起きないかの違いは、技術点(演奏者ならテクニック、歌手なら声)ではなく、芸術点(表現力、こめる思い)ヒラリー・ハーンは表現力がもちろんあるが、どうしても”若いわりには”という接頭語がついてしまうそのため、先日のリサイタルでは、残念ながら聴衆の感動を奪えず、スタンディング・オベーションにまでは至らなかったのだろうカエターノはもちろん、スタンディング・オベーションとブラボーの嵐だった

カエターノも今年63歳、DVDで見られる軽快な独自の踊りや、つやのある歌声は残念ながら、消え去っていた。8年前のライブにいけなかったのが悔やまれるしかし、その表現力は健在である声も最初はかすれていたが、徐々に艶が蘇り、80点というところまでは戻ったという感じだった。英語の曲はラブミー・テンダー以外はまあまあ、やはりポルトガル語のものが心に響いてきた。最初にカエターノを知った上記の2曲でライブが締めくくられたのも、感動だった

この1週間、車の6連奏CDもすべてカエターノ週末には3枚のDVDを見直した面倒くさがりの私がここまで準備してライブに行くことはありえない最も好きなアーティストのライブに行けて最高に幸せだったといいたいところだが、仕事のほうで厭な事があり、そういう気分にはなれなかったやはり、こっちがよければ、あっちが悪いのが人生ですよね、世の中そんなに甘くない

プライベートでいい思いできたので、明日からも仕事頑張ります


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2005年05月18日

ヒラリー・ハーン リサイタルー何故若いのに表現力があるか?−

hirariヒラリー・ハーンのリサイタルに出かけた。場所はリメンバー・シャクティ以来、今年2回目の東京オペラシティ。しかし、客層は全く違う。きちんと髪を分けたサラリーマン風の人が多い。こんなしっかりされた雰囲気の人たちを大勢見るのは久しぶりだ。うちの業界はやっぱり特殊だよな〜というのが最初の印象だ人生裏街道を渡ってきた私は、こういうしっかりした善良な人々を見ると、気後れしてしまう。コンプレックスかも

舞台に現れたヒラリーは黒のブラウスに緑色のチャイナ風のスカート姿過去に見たことのあるアンネ・ゾフィー・ムター、サラ・チャン、ミドリの黒のリサイタル・ドレス姿とは全く異なる。非常にカジュアルで、まだ24歳のアメリカ人というのも、うなずける

最初の曲はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第32番。明るい、長調の曲で、私が余り好みでないのもあるかも知れないが、退屈だった。しかし、2曲目のバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番は圧巻だったもちろんシェリング、グリュモーなどの巨匠の域には達していないが、この若さでこの難曲を見事な感情表現で弾きこなしている1曲目のモーツァルトとは感情移入の度合いが全く比べ物にならないように感じられた。テクニックのみではなく、これだけの感情表現ができるのがやはりグラモフォン専属となった理由だろうか私はあらゆるジャンルの音楽を聴いているが、やはりバッハにかなう音楽はこの世に存在しないのではないかと改めて感じさせられた。ヴァイオリンのみでこれだけの複雑な音楽空間を作り上げるなど、他の誰に出来るのだろうか?この曲を聴けただけでもこのリサイタルに来た価値があったというよう

3曲目もよく聞き慣れた曲で、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第28番。短調の物悲しい曲で、私には1曲目より優れた演奏だと感じられた。楽器のトラブルで20分ぐらいの中断をはさんだ4曲目は、フォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番。スーク版のフランクのヴァイオリン・ソナタの裏面として学生時代によく聞いていた曲だ器楽曲ではバッハと並んで私が好む19世紀のロマン派、印象派に通じる曲調といえよう。ピアノのナタリー・シュウとの二人の演奏ではこの曲が1番素晴らしかった人間の内面性がにじみ出てくる、沈思できる、格調高い音楽が好きだ学生時代には、アルゲリッチ、ポリーニ、ミケランジェリなどの奏でるシューマン、ドビュッシー、ラヴェル、リスト、ショパンなどのピアノ曲と並び、スークの奏でるフランク、フォーレのヴァイオリン・ソナタにものめり込むことができた。演奏された4曲中、3曲が耳に慣れ親しんだ曲だったことで、さらにこのリサイタルを楽しめた

日本にもヒラリーと同じぐらいのテクニックを持つ音楽家はいるはずだ。日本人の少年・少女がチャイコフフキー・コンクールだとかいろいろな国際コンクールで優勝したというニュースを、昔から何度となく聞いてきた。しかし残念ながら、彼らは世界に通じる音楽家にはなっていない。ヒラリー・ハーンとどこで道を分けてしまったのだろうか?それはやはり、感情表現だろう

世界に通じる日本の音楽家は内田光子にしろ、ミドリにしろ、諏訪内にしろ皆海外で教育を受け、海外に拠点を移している。他の芸術、人生などいろいろなことを学び、考えないと感情表現は身につかないのだろうか?器用な日本の少年・少女はテクニックで世界を席巻するが、感情表現が必要となる真の音楽家には日本では成長できないのだろうか?

素人考えだが、世界的でも屈指の教授陣を日本に招聘し、世界的なコンクールに優勝した金の卵を育てるわけにはいかないのだろうか?それともやはり教授だけ呼んでも、周りの環境が整わないと難しいのだろうか?久しぶりのクラシック・コンサートで、そうしたことばかりを考えさせられてしまった


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2005年05月05日

パット・メセニーとブライアン・アダムスーいい人のライブー

Patパット・メセニーとブライアン・アダムスのライブに出かけたどちらも素晴らしく、それぞれ2時間40分、2時間15分と非常に長かった。最近は2時間を過ぎるライブは珍しい。ひどいときは1時間ちょっとで終わったりする。観客のことなどまるで考えていないアーティストが非常に多いなんで二人のは長いのか?1.二人ともいい人だからだ2.プレーヤーとリスナーが一体となったからだ

ライブの醍醐味はやはりこのプレーヤーとリスナーが一体化することだろう。この一体化がないとプレーヤー、リスナー共に不満足で、最悪の結果となる私が今まで行ったライブでこうした例がレッチリの4年ぐらい前のライブ。”カリフォルニアケーション”が出た直後のライブで、このアルバムで初めてレッチリファンになったリスナーがほとんどだったらしく、新作以外の曲ではまるで盛り上がらない業をにやしたフリーが、”今日のライブはDVDで発売される、だけど盛り上がってないからこのままだとスーパー・ボールから拍手を輸入しなくちゃならない、次は盛り上がるぞ"と吼えたそれに対して、英語を分かっていないのに"オー”とか叫ぶから大丈夫かよと思ったら、やはり次の曲も盛り上がらなかったすると、そのまま帰ってしまい、アンコールもなし1時間ちょっとで終了となってしまった一体感のなさと悪い人の複合要因だ。パットとブライアンと正反対のケースだ

まず、パットの公演は最新アルバム”THE WAY UP”の全曲演奏で始まった。1アルバム1曲という40分ほどを一気に演奏、なんとライブの途中でスタンディング・オベーションが起きたこれこそ観客と演奏者の一体化の好例だろう。その後もは拍手で何度もライブが中断されたこの後はトランペットを含んだクインテットの演奏から一転して、ギターとドラムのデゥオなど小編成をからめながら、かつての名曲が奏でられる。本当にパットの全てを堪能できるライブだったパットのほうでも、自分の全てを聞いてもらいたいという感じで、ファン・サービスもあるが本当に演奏が好きなのだということが伝わってくる

パットは20年たっても全く変わらないくしゃくしゃな髪と人なつっこい端正な笑顔、ボーダーのシャツにジーンズの気取りのなさ世界一のギタリストとは思えない飾り気のなさだ。いい人を絵に描いたらまさにパットになるんじゃないだろうか?この人の音楽からはその人柄が伝わってくる郷愁を感じさせる、本当に優しい、暖かいものだ。実際にしゃべったことがあるわけではないが、いい人に違いない

ブライアンのライブも最初から盛り上がりまくり"18 Til I Die"から観客が英語の歌詞を歌いまくっている、まるで日本ではないようだそれだけ本当のファンが多いということだろう。中盤にはブライアンが"誰かエキサイティングな女の子、一緒に歌おう”と呼びかけ、”青いTシャツの女の子”、と指名し、本当にデュエットしたこの岐阜から来た女の子が非常にのりがよく、全曲英語で歌いまくり、観客席からも大声援ここまでプレーヤーとリスナーが一体化することも珍しいだろう曲はメラニー・Cとアルバムではデュエットしている"When You're Gone"その後はギター片手にブライアンがソロで歌ったりと、幅のある大満足のライブだったブライアンのアップテンポの曲を聴くと、本当に元気が出る。そしてバラードを聴くと、一人でいるのは寂しくなる。それだけ心に響いてくる。いい人だやはりいい人の音楽を聞くと心が温かくなり、元気をもらえるような気がする

アメリカにはVH1という大人向けの音楽番組があり、そこでパットの”ラスト・トレイン・ホーム”を見たことがある。機関車がアメリカの大地を駆け、車輪に焦点があてられる、音楽のイメージそのままの映像だ。まるで、故郷に戻るための列車の中の人物の、”もうすぐ懐かしい人たちに会える”というワクワク感が伝わってくるようだ日本にもこうした大人向け音楽番組があればよいのだが、何とかしてほしいものだ


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2005年04月18日

PAL方式のDVDプレイヤーーヨーロッパ版DVD再生可能ー

Bebo & Cigalaワールドミュージックが好きだヌーベル・シャンソン、フラメンコ、イタリアン・ポップ、MPB,ライ、ハワイアン、インド、香港などほとんどの国の音楽を聞くその中でも特に好きな国を挙げるとブラジル、イタリア、フランス、スペインとなるCD,レコード合わせて1000枚くらいかな〜
 
ワールドミュージックのCDは、最近は日本でも簡単に手に入るようになってきた。ワールドミュージック・ラヴァーにとっての問題は、DVDである。特にヨーロッパものが深刻だブラジル音楽のDVDは日本でもある程度は手に入る。ブラジル音楽は日本、アメリカで人気があり、アメリカ版のオールリジョンのものか日本版で、手に入るわけだ(日本とアメリカではリジョンコードが異なるが、同じNTSC方式のためオールリジョンのものはOK)。ヨーロッパものが手に入らない理由としては、ヨーロッパ音楽が日本では人気がないため日本版は少なく、日本のNTSC方式とヨーロッパのPAL方式が異なるため、ヨーロッパ版は日本のDVDプレーヤーでは演奏できないためだ
 
しかし、どうしてもヨーロッパもののDVDが欲しい特にフラメンコドットコムでビセンテ・アミーゴやBebo&CigalaのPAL方式のDVDを見つけてからは、この気持ちが抑えられなくなった弟がヨーロッパ輸出向けのPAL方式のLDプレーヤーを持っていたことを思い出し、秋葉原にヨーロッパ仕様のDVDプレーヤーを探しに出かけた。最初に立ち寄った老舗のオーディオショップ”テレオン”で見つけたのが、DENONのDVDプレーヤー”DVD3910”だ。このプレーヤーは日本向けなのだが、NTSC/PALが両方再生可能だという。日本とヨーロッパは同じリジョン2なので、このプレーヤー1台で、日本製、ヨーロッパ製両方のソフトが再生できるのだこのDENON”DVD3910”をその場で買って、持ち帰ったのは言うまでもない
 
その後は上記のフラメンコドットコムでビセンテ・アミーゴとBebo&CigalaのPAL方式のDVDを注文、無事に3日後にスペインから小包が届いたこれに合わせて5.1chスピーカーもB&Wの7シリーズに買い替えた
 
無事接続も終わり、SEAC社の光コードもサラウンドアンプと新DVDプレーヤにつないだ本当に映るのか?期待と不安が半々ぐらいの気持ちでDVDプレイヤーのプレイボタンを押すと、Bebo&Cigalaの映像が映った、まさに感動ErosやPatriciaKassのLDをフランスで購入してきて、映らなかった時の雪辱が遂に晴らせたB&Wのサラウンド・サウンドと50インチPDPの映像も圧巻だ
 
その後の1時間はまさに至福の時間ジプシー臭を漂わせるロンゲで、ひげを生やし、ホアキン・コルテスをさらに濃くした顔のCigala,その歌声は力強く、哀愁を漂わせ、絶品である。そこに加わるフラメンコ・ギターとアコースティック・ベース。それだけでも素晴らしいのに、そこにBeboのピアノがかぶさる。丸い眼鏡をかけ、大学教授といった風貌のBeboはまさにピアノの魔術師である。独特のアレンジでCigalaのボーカルを引き立たせていく。彼に比べるとキューバの魔術師と呼ばれるカミーロもまだまだであるトマティートとこのカミーロのデゥオアルバム”スペイン”が名盤と言われているが、このカミーロのピアノをさらに変幻自在にし、その上に現代フラメンコでも最高のシンガーが加わった感じといえば、いかにこのDVDが素晴らしいか理解していただけるだろうか?”スペイン”など比べ物にならない素晴らしいできである。
 
私の1000枚のワールド・ミュージックのコレクションでもトップ10に入る極上アルバム!!それが音だけでなく映像も加わるわけだ。この二人が来日することなどまずありえないであろうまさに幻の映像であるこのDVDを見れただけでも、PAL方式のDVDプレイヤーを買った甲斐があった
 
その後はPAL方式のヨーロッパ版DVDを探して、ネット・サーフィンしてま〜すAmazon.frにも行ってきてエティエンヌ・ダオとジャック・デゥトロンのDVDをゲット特にデゥトロンはかつて重い思いをしてフランスから持ち帰ったLDの1枚だったので、手に入れた感激も一塩でした
 
ところで、2000年のITバブル崩壊以降、ヨーロッパのECサイトはイギリス、フランス、ドイツに限られているようで、アマゾンもイタリアとスペインのサイトがなかったのは驚きでした。私がかつて日本の社長を務めたフランスNO.1オークションサイト”オークランド”でもイタリア、スペインはもとより、日本、デンマークにまで手を広げていたのに。まあ広げすぎだったから日本、デンマーク、イタリアはすぐに閉鎖になったわけだけど
 
というわけで、エロス・ラマゼッティやMANGOなどイタリアのアーティストのDVDどこで買えるか、もし知っていたら、ぜひ教えてください
 
 

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2005年03月11日

K.d.ラングーレズビアン・ヒロインがコメディエンヌへー

k.d.lang今年2回目のライブK.d.ラング92年のグラミー賞獲得アルバム”Ingenue”は傑作アルバムで、アダルト・オリエンテッド・ポップの中ではお気に入りの1枚だここ最近は彼女の歌に触れたことはなかったが、あの独特のセンスにあふれた素晴らしいハスキーボイスを聞きに、東京フォーラムを訪れた。金曜日に7時からライブなんて何年ぶりだろうそれだけでも気分は
 
ステージに現れた彼女を見てびっくりまん丸
 
90年代にレズビアンであることをカミングアウトし、一躍レズビアン・ヒロインとなった彼女ダブルのジャケットを着、きれいな彼女をはべらせ、颯爽としたその立ち姿は、その頃はほっそりとしていて、”これは女でもほれるよな”というかっこよさだったところが、ステージに現れたK.d.ラングは、まん丸
 
そういえば、来ている人も、あんまおしゃれじゃない中高年のカップルもちらほら。10年ほど前の東京でのライブは、おしゃれなレズビアン・カップルで一杯だったと聞いていたから、客層があまりに違うやっぱこのまん丸じゃ、もうおしゃれなレズビアンのファンも少ないよな
 
しかし、彼女が歌い始めると、聴衆は一気に彼女の世界に引き込まれる彼女の一番の素晴らしさは、やはりその伸びのある、歌唱力なのだからさっそうと、かっこよく歌う、若者向けの音楽、アコースティック・ギターにロックスタイルのバンドを加えたサウンドから、大人向けの、しっとりしたジャズスタイルに音楽性を変化させたようだ。やっぱこのまん丸じゃ若者に受けないから、ターゲットを中高年に変えたのだろう名曲”コンスタント・クレービング”も、”Ingenue”ではアコースティック風味を効かせたおしゃれなロック調だったが、この日のピアノ、アコースティック・ベース、ドラムにバイオリン、ビオラのストリングスを加えた編成では、ソフト・ジャズ調で、まるで違う曲のように聞こえた。これなら中高年のカップルがいるのもうなずける
 
まん丸の体で、バレリーナのようにくるくるとステージで回り続ける姿はユーモラスで、”かつての美人女優がお笑い女芸人になった”という感じこの姿を、かつて彼女に憧れたレズビアンの方が見たくないというのも納得かも彼女のしゃべりも非常に面白いもちろん英語なので、外人の聴衆とのやり取りになっていたが、自分がレズビアンであることをネタにした語りも面白かった例えば椅子に座るときに、”スカートをはくのにまだ慣れていないから、ひっかかりそう”とか、名曲”ミス・シャトレーン”の歌の途中でミスをミスターに変えてみて、”なぜみんなが私をミスター・シャトレーンと呼ぶのかなー”などと歌い、観客席を沸かせていた
 
最新アルバムは彼女のカナダ人としてのD.N.Aを思い出させるためのアルバムだそうで、そこから3曲続けて、全部で4曲歌っていた。1曲目の
ニール・ヤングの”ヘルプレス”、3曲目のレナード・コーエンの(ジェフ・バックリーもカバーしていた)名曲”ハレルヤ”は圧巻だった。やはり同じカナダ人のアーティストとしての思い入れも強いのだろう
 
ライブ自体は1時間半にも満たない、短いものだったが、日常を忘れさせてくれる至福の時をすごすことができた

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2005年02月14日

インドジャズライブ!!

remember shakti今年はライブも月一回は行きたい!!まず行ってきたのがリメンバー・シャクティというインドジャズバンドのライブ。1960年代にマイルスのバンドにいたイギリスのギタリストジョン・マクラフリンのバンドだ。彼はその後パコ・デルシア、アル・ディメオラ、ラビ・シャンカールなどと競演し、次第にワールド・ミュージックに目覚めていく、そして最後に行き着いたのがその中でもインド音楽ということか。
 
バンドは彼以外はすべてインド人、しかもタブラのザキール・フセイン以外は彼の子供の世代に当たる、若手ミュージシャンばかりだ。かれらの少年時代から知っているという紹介があったが、どうもその頃からミュージシャンとして育てていったらしい。
 
この音楽性を反映してか、聴衆もほとんどが見事に一見して普通じゃない、アーティスト風の人ばかりだ。原宿の自然音楽バー誤解のオーナーいっちゃんとそのアーティスト仲間など大勢来ていた。やはりその手の人には話題だったらしい。そこにサラリーマン風の50−60代のおじさんがまざっているのは、昔のジョンのファンなのか?
 
ライブはまさに圧巻。特にザキール・フセインの30分にもわらるタブラソロは今まで聞いたすべてのパーカッションソロの中でも間違いなく1番といえる、その力強さ、様々なバリエーションで、30分をまったく飽きさせなかった。マンドリン奏者シュリニバスも同じ弦楽器奏者として比べても、ジョンよりもすばらしく、ジョンが引き立て役と思えるほどの演奏の完成度の高さだったボーカルのシャンカールも非常な美声の持ち主で、かつてインド一人旅をした際に間違えて乗った二等列車で聞いた、今まで聞いた中で一番すばらしい歌声、盲人の物乞いの歌を思い出させられた。最後は皆がスタンディングオベーションを送り、もちろんアンコールの後の再度のスタンディングオベーションの中で、3時間近いライブは幕を閉じた。今年最初のライブがあまりにレベルが高かったので、この後がちょっと心配です
 

cornell5553 at 22:04|この記事のURLComments(5)TrackBack(0)