映画評論

2005年11月15日

シン・シティー損得ではなく、義で動く男の世界を描ききった!ー4

シンシティライブドアの取締役、上司の事業部長の方々には本当によくしていただき、今でも感謝している今後も変わらぬお付き合いをさせていただきたいと思っている。自由に会社を運営させていただき、おかげさまで業績も右肩上がり、来期には上場するつもりでいたライブドアグループでは上場前にストックオプションもいただけるので、損得だけを考えるならば、私がジェイ・リスティング社長を辞することなどありえなかっただろう私がやめたのは自分のポリシー、生き方に従ったからである全く後悔はしていないそういう不器用な人たちならば共感できる映画が、このシンシティ

原作はフランク・ミラー彼の描く世界は常に義を通すために、誇りをかけ、命をかける男たちの世界だ、武士道精神に憧れがあるのではないだろうか

最初に彼を知ったのはボストンのニューベリー・コミックスというオルタネティブやミクスチャー系に強いCD屋。アナログデバイセズ本社のアメリカ人エンジニアと音楽話で盛り上がったときに、それだけ詳しいならタワーレコードになんて行かずにここに行けと教えてもらった。そこではCDの他にオルタネティブ系のミュージシャン好みの服、フィギュア、そしてコミックが売られていたその時に初めて、アメリカにもマーベル(スパイダーマン、ファンタスティック・フォーなどの子供向けの、勧善懲悪ヒーローもののコミック)ではない大人も読めるコミックが存在しているのを知ったここで面白そうなコミックを買い揃えるのが出張の楽しみになったのだが、一番気に入っていたのがダークホースから出版されていたフランク・ミラーの”300”である

”300”とは、300人の意味で、古代ギリシャの英雄スパルタのレオニダス王と300人の親衛隊の物語わずか300人で2万人のペルシャ軍に立ち向かい、敵を撤退させるまで追い詰めたが、内通者のせいで全員壮絶な討ち死にをとげるという史実を基にした歴史コミックだレオニダス王は西欧社会の英雄で、ルーブルにもダビッドかアングルが描いた大作が飾ってあった記憶がある。アテネとのペルシアの侵略に屈しないという約束を、死を賭して守った王とその親衛隊の姿は、ノンフィクションであるという事実がさらなる感動を呼ぶシン・シティは同じ作者なので買ってみた。舞台は古代ギリシャから未来の空想都市に飛ぶので最初はとまどったが、内容は一緒、義を死を賭して貫く男の世界である

映画版シン・シティはコミックを忠実に再現している3つのエピソードを一つの映画の中にまとめていて、それらが前後しながら進むので少々わかりづらいのが欠点ではあるが、反対によくここまでまとめあげたものだと感服した。やはりデスぺラードのロバート・ロドリゲスだからこそ可能になったといえようか

3つのエピソードの主人公には共通点がある、前述のように義をとおすためには命を賭ける、相手が権力者だろうとその信念は揺るがないという点だ。レオニダス王が時の最高権力者、ペルシャのクセルクセス王に挑んだ”300”にも通じる、ミラーの永遠のテーマもう一つのテーマは男が女を守るために命をかけるという点だ。すべてのエピソードの主人公には守るべきヒロインが存在するそして倒すべき仇敵も

最初のエピソードの主人公、マーブは醜い大男、その醜さのために娼婦を買うこともできない。その彼に優しくしてくれた娼婦が、例え自分を守って欲しいという利害のみで彼に優しくしたのだと分かっていても、彼女を天使と呼び、そのいきずりの天使のために命を投げだし、最高権力者に立ち向かうミッキー・ロークが外見は怪物だが、中身は素晴らしくやさしい男を見事に演じきっているヒロインは前述の高級娼婦、仇敵はケビンというとんでもないキャラこの邪悪な存在を演ずるのがロード・オブ・ザ・リングシリーズで善良な主人公フロドを演じたイライジャ・ウッドというのも面白い

2番目のエピソードの主人公はドワイト、娼婦たちの街、オールドタウンの用心棒。彼も街を我が物とするマフィアの手先と壮烈なバトルを繰り広げる。演ずるのはクローサーでの好演が光ったクライヴ・オーウェン、ここでの演技も素晴らしいのだが、日本で人気がいまいちなのは渋すぎなのか

3番目のエピソードはブルース・ウィリス演じる定年目前だった老刑事ドーディガンと、救われた当時少女だったナンシーとの恋物語、彼女は現在はストリッパー。ブルース・ウィリスはその演技も素晴らしいそしてドーディガンに逆恨みするイエロー・バスタードとの闘争は見ごたえがあるこのキャラも相当きているかも

この3つのエピソードの主人公が端役で他のエピソードに登場するのも楽しめる。マーブ、ドワイト、ドーディガン、3人ともスパイダーマンやスーパーマンのような分かりやすいヒーローではない。ドーディガン以外は殺人鬼で、犯罪者だ。法的には犯罪者かもしれないが、義理を貫くという意味では善人である。”黒いヒーロー”とでもいえば分かりやすいだろうか

義を重んじる人にはおすすめな映画です。損得しか考えない人なら”アホじゃないの”って思うかも


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2005年09月22日

Be Cool(ビー・クール)−トラボルタはかっこよすぎー4

be cool最初に断っておくと、このユマ・サーマンとジョン・トラボルタのダンス・シーンを見ると思い出されるのは”パルプ・フィクション”だが、この映画はタランティーノ作品ではないしかし、二人に加えハーベイ・カイテルも出演しているし、ギャングスターが暴れまわるし、恋もありで雰囲気は似てるかも原作のエレモア・レナードはタランティーノの”ジャッキー・ブラウン”やこの”ビー・クール”の前作である”ゲット・ショーティ”の作者でもあるので、この4作品の雰囲気が似ていても当然かも一番大きな違いとしては、同じギャングが主人公でもタランティーの作品のような残酷描写は少なく、女性にもおすすめという点か?

前作である”ゲット・ショーティ”を見た人ならもちろん、見ていない人でも楽しめる娯楽作品一番の魅力はトラボルタ演じる主人公が少しもあわてず、騒がず(クールに)難問をすべて解決していくところ。とにかく、トラボルタ演じるチリ・パーマーが本当にかっこよ(クール)すぎる度量は大きく、腕っ節は強く、しかもジェントルマン、こういう映画を見ると女の子の男に対する要求が高くなるから困っちゃうよね

ユマ・サーマンも相変わらず魅力的だし、米国では人気のプロレスラー、強く、二枚目の象徴のようなザ・ロックが、反対のイメージのゲイの、三枚目の役を演じているのも笑える音楽好きにはエアロの名曲”クライン”のライブ、ブラック・アイド・ピーズとセルジオ・メンデスとの共演にしびれるだろう残念ながらシンデレラガールとなるリンダを演じるクリスティーナ・ミリアンは知らなかったが、でも彼女の歌唱力は素晴らしかったしかし、映画の中のせりふでもあるように、本当にゴスペルを教会で歌っている太ったおば様たちには彼女ぐらい歌える人はいくらでもいるんだよねー

L.Aの美しい風景や店が見られるのが前作同様、この作品の魅力のひとつになっている前作で登場したダニー・デビートとトラボルタが出会うオープンエアのレストランにはたまたま行ったことがあったが、そこでのフローズン・カクテルを飲みながらのランチは最高だった今回の作品でも行ってみたいお店が目白押しだが、セットではないので誰でもいける所がいい今度L.A.に行ったら行ってみよう

笑いあり、恋愛あり、アメリカンドリームの実現あり、ハラハラドキドキあり、レイカーズのゲームでのハーフタイムのキス・シーン(年取ったカップルやちびではげのダニー・デビートと美女とのなど、こういうアメリカは本当に好き)ありと、アメリカ人の好むすべてが詰まった映画といえるかも僕はあまり典型的な日本人じゃないかもしれないけど、日本人でも楽しめる映画だと思います、おすすめです


cornell5553 at 23:51|この記事のURLComments(14)TrackBack(0)

Be Cool(ビー・クール)−トラボルタはかっこよすぎー4

be cool最初に断っておくと、このユマ・サーマンとジョン・トラボルタのダンス・シーンを見ると思い出されるのは”パルプ・フィクション”だが、この映画はタランティーノ作品ではないしかし、二人に加えハーベイ・カイテルも出演しているし、ギャングスターが暴れまわるし、恋もありで雰囲気は似てるかも原作のエレモア・レナードはタランティーノの”ジャッキー・ブラウン”やこの”ビー・クール”の前作である”ゲット・ショーティ”の作者でもあるので、この4作品の雰囲気が似ていても当然かも一番大きな違いとしては、同じギャングが主人公でもタランティーの作品のような残酷描写は少なく、女性にもおすすめという点か?

前作である”ゲット・ショーティ”を見た人ならもちろん、見ていない人でも楽しめる娯楽作品一番の魅力はトラボルタ演じる主人公が少しもあわてず、騒がず(クールに)難問をすべて解決していくところ。とにかく、トラボルタ演じるチリ・パーマーが本当にかっこよ(クール)すぎる度量は大きく、腕っ節は強く、しかもジェントルマン、こういう映画を見ると女の子の男に対する要求が高くなるから困っちゃうよね

ユマ・サーマンも相変わらず魅力的だし、米国では人気のプロレスラー、強く、二枚目の象徴のようなザ・ロックが、反対のイメージのゲイの、三枚目の役を演じているのも笑える音楽好きにはエアロの名曲”クライン”のライブ、ブラック・アイド・ピーズとセルジオ・メンデスとの共演にしびれるだろう残念ながらシンデレラガールとなるリンダを演じるクリスティーナ・ミリアンは知らなかったが、でも彼女の歌唱力は素晴らしかったしかし、映画の中のせりふでもあるように、本当にゴスペルを教会で歌っている太ったおば様たちには彼女ぐらい歌える人はいくらでもいるんだよねー

L.Aの美しい風景や店が見られるのが前作同様、この作品の魅力のひとつになっている前作で登場したダニー・デビートとトラボルタが出会うオープンエアのレストランにはたまたま行ったことがあったが、そこでのフローズン・カクテルを飲みながらのランチは最高だった今回の作品でも行ってみたいお店が目白押しだが、セットではないので誰でもいける所がいい今度L.A.に行ったら行ってみよう

笑いあり、恋愛あり、アメリカンドリームの実現あり、ハラハラドキドキあり、レイカーズのゲームでのハーフタイムのキス・シーン(年取ったカップルやちびではげのダニー・デビートと美女とのなど、こういうアメリカは本当に好き)ありと、アメリカ人の好むすべてが詰まった映画といえるかも僕はあまり典型的な日本人じゃないかもしれないけど、日本人でも楽しめる映画だと思います、おすすめです


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2005年09月17日

チャーリーとチョコレート工場ーティム・バートンの最高作ー5

charyチャーリーとチョコレート工場はティムの最高作といえるだろう。これはファンタジー作家として映画界第一人者の彼、ファンタジーの料理人として一番の腕を誇る彼に、最高の素材が用意された結果だろう。おいしくて当たり前なのだ

その最高の素材とは1.原作の”チョコレート工場の秘密”のすばらしさ(ファンタジー文学のメッカイギリスで、指輪物語、ハリー・ポッターに次ぐ人気作品)、2.奇人を演じることにかけては恐らく現在最高の役者であるジョニー・デップ(シザーハンズ、エド・ウッドなどを思い出していただきたい)、3.CGではなく特殊効果で実際に作られたウオンカの夢の世界。このすばらしいコンビネーションで、この作品を見る間、観客はしばし現実の世界から逃避できることは間違いない。上映後に拍手が起きた映画は本当に久しぶりだ

ストーリーは見てのお楽しみということだが、簡単に言うと、なぞに包まれたジョニー演じる天才ショコラティエ、ウオンカのチョコレート工場に、チョコの中に入っていたゴールドチケットをゲットした5人の子供たちとその保護者10人が招かれる。チョコレート工場を見学するあいだにいろいろなテストが行われ、最後に残った一人に最高のプレゼントが贈られるというお話

チョコレート工場の内部が画面に映されたときの感動は言葉に表せない。本当にこんな不思議な世界があったらなんて素晴らしいんだろうと息をのむことになる日々の生活で童心をなくしてしまっている人には保障の限りではないが

主人公のチャーリー以外の4人の子供は本当にやなやつばっかり。子供でも十分に理解できるほどにやなやつらこの原作、映画のテーマは、こんな奴になっちゃ駄目だという子供への教育と、こんな子供に育てちゃ駄目だよという親への教訓となっている。

オーガスタスは食いしん坊。子供が食べたがっても必要以上にあげちゃいけないよ、そうじゃないと抑制のきかない、我慢ができない大人になっちゃうよ。バイオレットは超自信家、野心家。他人に勝つことしか考えていない。ちゃんとしつけないと他人の意見などまったく聞く耳を持たない、一匹狼になっちゃうよ、世の中他人の協力なしでは生きていけないんだから。ベルーカはとにかくすべて自分の思い通りにならないと気がすまない。甘やかしてそれを許してしまっている親に責任がある。今の日本で一番多いのはベルーかタイプかマイクはいわゆるIT天才児。自分が天才だと思い込み、他人を馬鹿にしきっている。ビデオゲームとしか会話できない、コミュニケーション能力の欠如した新世代の子供。日本でもすでに増えてきてる?

チャーリーは家族が大好きな本当にいい子供。自分の幸せよりも家族の幸せを考える。おじいちゃんもおばあちゃんも大好き。お小遣いをねだる対象ではなく、愛情の対象である現代の競争社会へのアンチテーゼ、相手をけおとし、利用するのではなく、一緒に助け合って生きていこう、家族はその礎だということを思い出させてくれる映画だ

アメリカの個人主義、競争主義が世界を席巻し、日本もそれに巻き込まれている。大家族は崩壊し核家族化がすすんでいる。社員を家族として守ってくれた会社ももうほとんどなく、会社への信頼感も薄れている。本当にこんな時代でいいのかということを問いかけてくる映画がアメリカから生まれてきてることに意義がある。9.11、イラク戦争、リストラの嵐でアメリカ人も家族の重要性を再認識しているのだろう。

ファンタジーとしての娯楽映画としてもやなことを忘れられられるし、家族についてとかも考えさせられる。とにかく心が暖かくなります、是非ともみてみてください


cornell5553 at 15:39|この記事のURLComments(112)TrackBack(5)

チャーリーとチョコレート工場ーティム・バートンの最高作ー5

charyチャーリーとチョコレート工場はティムの最高作といえるだろう。これはファンタジー作家として映画界第一人者の彼、ファンタジーの料理人として一番の腕を誇る彼に、最高の素材が用意された結果だろう。おいしくて当たり前なのだ

その最高の素材とは1.原作の”チョコレート工場の秘密”のすばらしさ(ファンタジー文学のメッカイギリスで、指輪物語、ハリー・ポッターに次ぐ人気作品)、2.奇人を演じることにかけては恐らく現在最高の役者であるジョニー・デップ(シザーハンズ、エド・ウッドなどを思い出していただきたい)、3.CGではなく特殊効果で実際に作られたウオンカの夢の世界。このすばらしいコンビネーションで、この作品を見る間、観客はしばし現実の世界から逃避できることは間違いない。上映後に拍手が起きた映画は本当に久しぶりだ

ストーリーは見てのお楽しみということだが、簡単に言うと、なぞに包まれたジョニー演じる天才ショコラティエ、ウオンカのチョコレート工場に、チョコの中に入っていたゴールドチケットをゲットした5人の子供たちとその保護者10人が招かれる。チョコレート工場を見学するあいだにいろいろなテストが行われ、最後に残った一人に最高のプレゼントが贈られるというお話

チョコレート工場の内部が画面に映されたときの感動は言葉に表せない。本当にこんな不思議な世界があったらなんて素晴らしいんだろうと息をのむことになる日々の生活で童心をなくしてしまっている人には保障の限りではないが

主人公のチャーリー以外の4人の子供は本当にやなやつばっかり。子供でも十分に理解できるほどにやなやつらこの原作、映画のテーマは、こんな奴になっちゃ駄目だという子供への教育と、こんな子供に育てちゃ駄目だよという親への教訓となっている。

オーガスタスは食いしん坊。子供が食べたがっても必要以上にあげちゃいけないよ、そうじゃないと抑制のきかない、我慢ができない大人になっちゃうよ。バイオレットは超自信家、野心家。他人に勝つことしか考えていない。ちゃんとしつけないと他人の意見などまったく聞く耳を持たない、一匹狼になっちゃうよ、世の中他人の協力なしでは生きていけないんだから。ベルーカはとにかくすべて自分の思い通りにならないと気がすまない。甘やかしてそれを許してしまっている親に責任がある。今の日本で一番多いのはベルーかタイプかマイクはいわゆるIT天才児。自分が天才だと思い込み、他人を馬鹿にしきっている。ビデオゲームとしか会話できない、コミュニケーション能力の欠如した新世代の子供。日本でもすでに増えてきてる?

チャーリーは家族が大好きな本当にいい子供。自分の幸せよりも家族の幸せを考える。おじいちゃんもおばあちゃんも大好き。お小遣いをねだる対象ではなく、愛情の対象である現代の競争社会へのアンチテーゼ、相手をけおとし、利用するのではなく、一緒に助け合って生きていこう、家族はその礎だということを思い出させてくれる映画だ

アメリカの個人主義、競争主義が世界を席巻し、日本もそれに巻き込まれている。大家族は崩壊し核家族化がすすんでいる。社員を家族として守ってくれた会社ももうほとんどなく、会社への信頼感も薄れている。本当にこんな時代でいいのかということを問いかけてくる映画がアメリカから生まれてきてることに意義がある。9.11、イラク戦争、リストラの嵐でアメリカ人も家族の重要性を再認識しているのだろう。

ファンタジーとしての娯楽映画としてもやなことを忘れられられるし、家族についてとかも考えさせられる。とにかく心が暖かくなります、是非ともみてみてください


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2005年08月02日

スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐-人の二面性を描くー

star warsスター・ウォーズ エピソード3、行ってきましたようやく全ての謎解きができた感じで満足ですダース・ベイダーの呼吸音はこうやって生まれたんだーとか。以下気付いたことをあげていきます。

まず、アレキサンダーと違い、なぜスター・ウォーズがこんなにアメリカで受け入れられているかも今回はじめて気づきました共和国=民主主義=善=ジェダイ=アメリカで、帝国=独裁主義・共産主義=悪=シス=ソ連(第1作公開時は冷戦真っ最中)という非常に分かりやすい話だったんですねオリバー・ストーンはアレキサンダーを独裁者を倒す民主主義の体現者として描かずに、独裁者に変貌していく、母国の貴族の娘よりも異教徒の娘と結婚する裏切り者として描いたため、保守派から敬遠されたわけですが、ルーカスは商売がうまいんだなーと感心してしまいました

次に気付いたのが皇帝の政治家としての偉大さです。最初に公開されたスター・ウォーズはエピソード4で、独裁者である皇帝が率いる強大な悪の帝国に、自由と民主主義を求める共和国再興をもくろむ善の同盟軍が闘いを挑むというものでした。帝国が初めからあって皇帝は初めから偉いという前提で見ていたので、皇帝の偉大さは分かりませんでした。しかし、実は共和国により平和の時代が長く続いていた時代を耐え忍び、ダークサイドに陥りがちの人間の欲望をうまく操り、ついには帝国を築きあげたわけです。皇帝パルパティーンは稀代の名政治家といえるでしょう

シリーズの深みも理解できました。このエピソード3で終結してしまうと悲惨な話ですし、エピソード4から6だけ見ていると、ただの薄っぺらい善が悪に勝つよくあるパターンのアメリカ映画です。このスターウォーズシリーズが素晴らしいのは、人間には強さと弱さ、善と悪の両面があることを描いている、しかし、人間は基本的には強く、そして善であるという希望の物語となっていることでしょう

人間は弱く、一度安定した生活を手に入れても、さらなる権力を浴して腐敗することもある、しかし基本的には善であり、悪があまりに蔓延ると悪を倒すために立ち上がり、あの弱かった人間とは同一人物とは思えない強さを発揮する共和国が滅び、帝国が生まれるが、あの強大な帝国が弱小な同盟軍により最後には滅ぶ、また、アナキンはダークサイドに一度は落ちダース・ベイダーとなるが、最後には予想外に善の心を取り戻し、ルークを助ける最終的には善が勝つ、人間はやはり素晴らしいと思わせてくれる映画です

一番考えさせられ、気付かされたのは、やはりダークサイドに入る可能性の強い人を重要なポジションにつけてはいけないということでしょう。アナキンがダース・ベイダーになってしまう理由は1.愛するものを守りたいという純粋さ、2.夢から愛するものが死んでしまうという思い込みの強さ、3.愛するものの死を受け入れられない、達観ができない幼さ、4.愛するものひとりの命がその他大勢の人たちの命より大切という偏狭さなどが挙げられますが、そもそもアナキンをジェダイにしたこと自体が間違いだったわけです。能力が高い、戦闘能力の高いものが敵に寝返ってはしゃれにならないわけで、ハイリスク・ハイリターンすぎる選択だったわけではないでしょうか

弊社はローパフォーマーに優しい会社です。ローパーフォーマーでも会社とベクトルが合っていれば、少なくともプラスになりますからハイパフォーマーで、自己主張が強すぎる人で、会社とベクトルが合わなくなる可能性が高い人は、合わなくなったときは大きなマイナスのベクトルとして働いてしまいます。弊社だったらアナキンよりもR2D2を選ぶことでしょう

シリーズ3とシリーズ4の間を描くテレビシリーズが今から楽しみです


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2005年07月27日

ミリオンダラー・ベイビーーいつ死んでも悔いのない人生ー

ミリオンダラー・ベイビー 今年のアカデミー賞で作品賞、監督賞(クリント・イーストウッド)、主演女優賞(ヒラリー・スワンク)、助演男優賞(モーガン・フリーマン)を獲得したミリオンダラー・ベイビー。文句なく今年一番の秀作だろう

アイルランド移民で、田舎で貧困の中で育ち、ウェイトレスであるヒラリー演じる主人公マギー。彼女の唯一の楽しみはボクシング。31歳の彼女は、クリント演じる名トレーナーフランキーへの弟子入りを希望する。フランキーは女は教えないと断るがマギーは勝手にフランキーのジムに入り、黙々と練習を続けるジムに誰もいなくなっても、ウェイトレスの仕事以外はすべてボクシングに情熱を注ぐマギーのひたむきさに、ジムの管理を任されるモーガン演じる元ボクサースクラップがまず打たれ、フランキーに気に入られるようサポート、そして遂にフランキーの頑固さをも打ち負かし、フランキーに弟子入りする

この第一部で描かれているのはマギーの”ネバー・ギブ・アップ”の精神。31歳というボクサーにとっては遅すぎる年齢にも関わらず、その事実をフランキーに指摘されても、決してチャンピオンになる夢を諦めようとしないファッションや異性など、普通の女性なら心を奪われる事物にまるで感心を払わず、ただひたすらにボクシングに情熱を傾けるこの姿に多くのアメリカ人は心を打たれたのだろう

フランキーのボクサーへの思いやりも大きなテーマの一つだかつてのスクラップの試合にセコンドとしてついた際、まだ頑張れるというスクラップのボクサー固有の頑固さをとめられず、結果として片目を失明させてしまったことへの負い目。そのことがトラウマとなり、自分の育てたボクサーが致命傷を負うことを恐れ、フランキーはチャンピオンとのタイトル戦を遅らせ続ける。そのためにせっかく育てた世界チャンピオンを狙えるボクサーがタイトル戦目前に他のマネージャーのもとに走ってしまう金のことしか考えず、ボクサーのことなど金儲けの道具としか思っていない他のマネージャとは正反対のフランキーの優しさしかし血気はやるボクサーがその優しさを理解するのは非常に困難だ

そのため、自分の言いつけを守らず試合に出たがるマギー。フランキーは嫌気がさし、彼女を他のマネージャーに紹介してしまう。しかし、心配で彼女の試合を見に行くと、彼女をただの商売の道具にしているマネージャーに憤り、ついに彼女のマネージャーだと自ら宣言するこの後は、名マネージャーを得たマギーは快進撃を続ける。アイルランド人受けするゲール語(古代アイルランド語)の”モ・クシュラ”というニックネームもフランキーに与えられ、ヨーロッパ各地を転戦、一躍人気者になるここまでが第2部。

この後の衝撃的なラストへ続く第3部についてはネタバレするのでここでは書かない。

マギーとフランキーの親子愛も大きなテーマ不幸な家庭に育ち、今はもう会えない優しかった父親への思いを捨てきれないマギーは、父親のような存在をフランキーに見出す。反対に、音信不通となった娘へ、住所不定で返送される手紙を書き続けるフランキーは、娘への満たされない愛情をマギーにささげるようになっていく。ラストシーンでは、二人の愛情は本当の親子のものより美しいレベルにまで浄化し、人々の心を打つ”モ・クシュラ”がフランキーのマギーへの思いをこめた重要な名前であることも、ここで明らかになる

この映画からは勇気を与えられた決して諦めずに、頑張ればいつか報われるということも改めて教えられた宗教などで教えられることよりも、自分の信念を貫く勇気の大切さも教わった

アメリカでは、9・11テロ以降、人々が死について真剣に考えるようになってきたそうだ。それまでは生の楽しみを満喫し、享楽的な人生を送ってきた人も、生とは死と隣り合わせである事実を認識するようになった。いつ死んでも悔いのないような人生を送ることがいかに重要かを教えてくれるこの映画は、まさに今のアメリカが求めていた映画だろう

頑張ることが美徳ではない現在の日本でこの映画が受け入れられず、すぐにレイトショーのみになってしまったのは、本当に残念だこの国の将来が本当に心配だ。


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2005年07月13日

”クローサー”ー相当な恋愛経験者じゃないと理解不能?−

クローサー”クローサー”はロンドンで話題になった舞台の映画化だそうだ。ジュリア・ロバーツ、ナタリー・ポートマン、ジュード・ロウという豪華キャストから、ロンドンを舞台にした華麗な、軽いのりの楽しい恋愛ドラマを想像していたが、想像とは裏腹の、非常に難解な心理劇だった

この映画は”君から目を離すことができない”というリフが繰り返される挿入歌と共に、ナタリー・ポートマンが颯爽とロンドンの街を闊歩するシーンから始まる。この時彼女に目が釘付けになるのがジュード・ローそして、同じ挿入歌と共に、ロンドンでの様々な出来事で成長し、さらに”いい女”になってニューヨークの街を歩くナタリーに、すれ違う男全てが目を奪われるシーンでこの映画は幕を閉じる

映画は4人の男女が織り成す”不倫劇”ジュード・ロウ扮するジャーナリストは、ナタリー扮する恋愛に破れ、ニューヨークから逃れてきた元ストリッパーと恋に落ち、同棲している。二人はラブラブなのだが、モデルを頼まれ、知り合ったジュリア・ロバーツ扮する写真家をすぐに口説くところが、さすがイケメンのイギリス人プレーボーイ待ち合わせをしているナタリーがスタジオに来る直前に口説いて、キスまでしてしまうなんてありえないかもこのジュードがジュリアを口説く会話を聞いてしまい、悲しみを抑えきれないナタリーが自分も写真にとれとジュリアに要求し、ジュードを去らせる。その後に見せた涙を流した表情はたまらなく、美しいこの写真はジュリアの写真展で飾られることとなる。

その後の映画の展開は、ジュードがネカマとして、恋するジュリアを装ったセックスチャットで、クライブ・オーウェン扮する医師をその気にさせ、水族館に誘う。そこに偶然に居合わせたジュリアと出会い、二人は恋に落ちる。ジュードが恋する人と他の男を引きあわせるキューピット役を演ずることになってしまう偶然の皮肉ジュリアとジュードはお互いに恋人がいるのに、お互いを忘れることができない。そして、4人の複雑な関係が始まってしまう

ジュリアはジュードが好きだが、その子供っぽさには飽き飽きしている。クライブは頼りがいがあるが、”イケメン”ジュードにも惹かれている。要するにどっちにも満足していない。”隣の芝生は青い症候群”の女であるカメラマンで、知的なイメージを与える、善女のはずのジュリアが実は悪女反対に、元ストリッパーで、男を手玉にとりそうなイメージのナタリーが、純粋にジュードを愛している善女であるという皮肉このあたりのパラドックスが、皮相的なアメリカ映画には見られないイギリス映画の特徴だろう

結末は、二つのカップルは悪い男と悪い女に振り回され、一時は別れるが、最後には元の鞘に収まると思わせるのだが、そこで終わればアメリカ映画、そこで終わらないからイギリス映画である

この映画が教えてくれることは、”知っていても、知らない振りをするのが大人で、それが長く恋愛を続けていくこつである”ということ。それを分かっているクライブは幸せになるのだろうが、理解できない”オコチャマ”ジュードには後悔の人生が待っている

だけど、今の日本でクライブみたいに振舞える”大人”ってどれぐらいいるんだろう?中高年は恋愛経験が少なくて無理だろうし、若者は恋愛経験は豊富だろうけど、まだ子供だし日本が恋愛後進国だということを思い知らされる映画でした私は恋愛については自信ありという方にはオススメの映画ですもう公開していないのでDVDでどうぞ。

 


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2005年06月14日

キングダム・オブ・ヘブンーアレクサンダーと同じ反戦映画ー

kingdom of hezvenキングダム・オブ・ヘブンは十字軍映画としては異色の作品だ。主人公は十字軍の歴史の中でのヒーロー、リチャート獅子心王ではない。彼は最後に一瞬登場するだけだ。彼とサラディンとの攻防は第3回十字軍(1189−1192)であるが、今回の舞台はその直前、1184年から87年である。当然、登場人物も十字軍に参加したヨーロッパの王侯ではなく、エルサレム王国の騎士たちだ。

それでは、なぜこの時代のエルサレムが選ばれたのだろうか?恐らく歴史上、この時代のエルサレム王国が、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が仲良く暮らす平和な国家だったからだろう。血で血を洗う争いを繰り返す現代のエルサレム王国、イスラエルに対する平和のメッセージといえないだろうか?

映画は史実をもちろん脚色しているが、イベリン、ギー、ボードワン4世、サラディンなどは実在の人物である。ボードワン4世とサラディンとの信頼関係により、エルサレムは3つの教徒が仲良く暮らしているふうに描かれている。この当時はルネッサンス以前の中世暗黒時代であり、イスラム教徒国家がキリスト教国家よりも遥かに文化的に進んでいた。イスラム教のほうが異教徒に寛大で、十字軍以前には信仰の自由があった。その伝統を引き継ぎ、ボードワン4世は平和のために異教徒サラディンと講和を結び、異教徒の信仰の自由を許していたわけだ。

しかし、ローマ教皇は聖地奪還の聖戦を主張し、狂信者は異教徒との共存を望まない。映画の中では、テンプル騎士団を率いるルノーがイスラム教徒を惨殺し、部下の騎士団員が絞首刑にされるシーンが出てくる。”教皇が認めていることだ、異教徒を殺して何が悪い”とルノーはほえるが、”キリストも、ここの王も異教徒殺しは望んでいない”というボードワン王の意思を汲み取る腹心ティベリウスの言葉が印象的だった。現代に置き換えると、”これは十字軍だ”と吠える、信心深いアメリカ大統領の命令で、イラク侵攻が行われたが、このシーンはまさにアメリカ大統領へのリドリーのメッセージとして私には伝わってきた。教皇=アメリカ大統領、十字軍=イラク遠征軍である。しかし、現代でも多くの人が、そしてキリストも望んでいるはずなのは、ボードウィン4世と同じく平和である。

ギーの軍がサラディンに完敗した戦場跡で、王の腹心だったティベリアスがイベリンに語る言葉も、リドリーからのメッセージであろう。”最初は宗教のためだと信じていた、しかし現実は富と権力のためだった”と。イラク戦争に置き換えると”正義のためだと思ったが核兵器開発の証拠は見つからず、石油のためだった”と。

そういうわけで、この映画はアレクサンダーと同じく、プログラムなどでは一切触れられておらず、表立ってはいないが、分かる人にはわかる反戦映画である。主人公イベリンが父であるゴッドフリーから教わるのは、”王のために働け、王が亡くなったら民衆のために働け”というものである。平和と弱気もののために戦えということである。Noble Oblige、貴族としての義務である。ギーの軍が全滅した後、エルサレムをイブリンは守り抜く。サラディンとの話し合いで、エルサレムは明け渡すが、代わりに全員の国外脱出を手に入れた。現実のエルサレム王国は失ったが、一番大切である民衆の命、すなわち”キングダム・オブ・ヘブン”、天国の王国を守り抜いたわけである

現代の日本人は宗教心が薄いが、ある意味幸せかもしれない。あまりに宗教にはまり込むと、他の宗教を信じる人を許せなくなる。アメリカとイスラム教過激派の闘いはまさに現代の十字軍であるし、インドとパキスタン国境、インド国内で行われているヒンズー教徒とイスラム教徒の争いも終わる気配が見えない。キリストも、ムハンマドも、ビシュヌも皆こうした状況を本当に望んでいるのだろうか?

また難しい話になってしまったが、戦闘シーンなども大迫力で、娯楽映画としても楽しめるので、おすすめです。


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2005年06月06日

さよなら、さよならハリウッドー大衆迎合主義への風刺物語ー

ハリウッドウディ・アレンの2002年制作の新作”さよなら、さよならハリウッド”は痛快なウディ・アレン節満載の、風刺の効いたコメディ映画だ。こんな素晴らしい映画が、3年も遅れて公開されるのは非常に残念ではあるが、久しぶりに中身のあるコメディが見られて満足だ

ストーリーは、ウディ自身を想起させる過去に2回オスカーを撮った巨匠が、今ではすっかり落ちぶれ、妻にも去られ、しがないCM撮影監督になっている。しかしプライドだけは高く、そうしたCM撮影をいつも投げ出してしまう。そこに、彼の愛する街N.Y.Cを舞台にした大作のオファーが舞い込む。しかし、オファーしてきたのは彼を捨てた前妻と、その恋人が大物プロデューサーを勤める制作会社。この作品を撮らないと将来がないとエージェントになだめすかされ、監督をひきうける。しかし、極度の神経症が高じて、盲目になってしまい、それを隠しながら撮影をする羽目になるというドタバタコメディ

ノリはいつものウディ作品と一緒恋人のプロデューサーを説得してこの仕事をくれた前妻とのBARでのシーンは、冷静にビジネスとして映画の話をしていた次の瞬間に”なんで、僕を捨てたんだ、あんな金だけの男に走って”と豹変し、突然冷静な映画の話に戻り、また恨みがましい男に変貌するという繰り返しウディ映画ではよくあるノリである

金はないけど、中身のある、本物の男(この映画ではウディ演じる落ちぶれた巨匠)を捨てて、中身がない、くだらない、金持ちの、表面的な男(この映画ではハリウッドの大物プロデューサー)に走る女を攻め立てるのも、ウディファンなら見慣れたシーンだろう。彼の”女性は男を中身で選んで欲しい”というメッセージだ

いつも晴れていて、プール付きの家が並ぶハリウッドを浅薄さ批判し、N.Y.C.への愛を語るのも同じ大衆迎合の現代のハリウッド映画への批判もよく見かける。この映画でも、プロデューサーが編集前のフィルムを見て、大衆に合わせるような意見をいう風潮を批判し、監督が自分の美意識に基づいた映画を撮るやり方をよしとしている単純ではなく、ひねりのきいたハッピー・エンドも、複雑な心を持つウディファンにはたまらない

こうしたウディの映画が、アメリカでも都市の知識人には人気があるが地方では人気がなく、また日本でも一部のファンにしか受けないのも仕方がないのかもしれないSFXを多用したハリウッドの大作に、皆馴れすぎてしまったのが現実だろうからしかし、ヨーロッパでは人気なのは、それだけ文化人が多いからだろう。ただし、本来なら自分のファンなので感謝すべきを、”こんな盲人が作った映画がヒットするなんてフランスがあってよかった”と、難解なものを全てよしとするフランスの風潮を風刺してしまうところがウディらしい

ヴィスコンティ、フェリーニ、ベルイマンなど独自の映像美を貫く巨匠は過去のものとなった。現代の映画監督で、商業主義に染まらず、70年代のアニー・ホール以来変わらぬ姿勢(ベルイマンを意識したインテリアは別として)を貫いている存在はウディだけかもしれないいつまでも頑張ってほしいものである


cornell5553 at 20:47|この記事のURLComments(23)TrackBack(0)