バレエ・ダンス評論

2005年11月21日

シュツットガルト・バレエ団”オネーギン”−日本では無名だが実はトップクラスー5

oneginシュツットガルト・バレエ団を見るのは今回が初めて大好きなキリアンが所属していたので名前は知っていたが、ここまでレベルが高いバレエ団だとは想像していなかったパリ・オペラ座バレエ団エトワールのルグリが若いころクランコの”オネーギン”を見て以来ぜひとも踊りたいと思い続けていて、今回念願かなって客演するという話を聞き、”ロミジュリ”ではなく”オネーギン”を躊躇なく選んだ”ロミジュリ”は見なかったが、正しい判断だったと思っている

ルグリも四十路を越え、跳躍力などは往年と比べようがないが、その動きは優雅で無駄がなく、貫禄を感じさせた第1幕第二場の、タチヤーナの幻想の中で鏡の中から思いの人オネーギンが現れ、夢見た恋人オネーギンとタチヤーナが踊るシーンは、言葉に表せないほど素晴らしかった一途な乙女の恋心とそれに応える白馬の王子との美しすぎる、この世のものとは思えない情景を見事に表していたルグリの相手役のマリア・アイシュヴァルトは想像以上に素晴らしかったオネーギンに心をずたずたにされて嘆き悲しむシーンの切なさは客席に十分すぎるほど伝わってきた

第3幕第2場のタチヤーナの私室でのオネーギンとタチヤーナのパ・ド・ドゥはなんといってもオネーギンのハイライトだろうオネーギンの熱烈な求愛の思いと、その思いにゆれるタチアーナの心情をルグリとアイシュバルトはほぼ完璧に表現していた。心が揺さぶられ、感動した。表現力、技術力ともに文句のつけようがなかった

コール・ドもほぼ完璧で、この辺に日本のバレエ団との層の厚さがいやがおうでも感じさせられる日本のバレエ団でもソリストは世界でも通じる人材がいるのだが、コール・ドで踊る人材のレベルの低さは隠しようがない手の上げる角度どころが、まずそろってないわけだからやはり国立のバレエ団を創り、付属のバレエ学校を創立しないとこの問題は解決できないのだろうか

ともかくも再び至福の時でした


 


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2005年11月20日

シルヴィ・ギエム ”最後のボレロ”ーボレロは古代の踊りに通じる?−4

borero再追加公演が決まり、諦めていたギエムのボレロに行くことができた。バレエ公演の会場で買ったので、よい席がとれた。プリリザーブで取るよりも、絶対よい席がとれる

ギエムの出番は2回。”小さな死”のパ・ド・ドゥはモーツァルトのピアノ協奏曲、キリアンの振り付け、ムッルとのコンビネーションとすべてが好みなので、文字通り”陶酔感”を味わえた。終了後しばらく呆然という感じだが、余りに短いのが残念だった

”ボレロ”はラヴェルの原始的な、単調なリズムが興奮をかりたてていく、かつて古代の踊りはこうだったのかと思わせる作品。ある意味”春の祭典”と似ているかもジョルジュ・ドンやパトリック・ドゥポンといった男性ダンサーの”ボレロ”しか知らないので、ある意味楽しみだった音楽が始まるとスポットライトがギエムの長い手のみを映し出し、聴衆は手の動きに釘付けとなる。徐々に全身が現れ、単調なリズムにあわせてギエムが踊りだす。ギエムの動きには一切無駄がなく、掲げる足の角度も、肢体の美しさも完璧だ音楽と踊りが進むにつれ、聴衆の興奮も高まっていく、その頂点で音楽も終わり、周りを取り囲むすべてのダンサーがギエムと共に、赤い円形のステージに崩れ落ちる素晴らしい演出、やはりベジャールは天才だったのか

”ボレロ”は一度は体験する価値がある見世物だと思う。古代の踊りの陶酔感が、天の岩戸前でアメノウズメの踊りに興ずる神々の気持ちが体感できるかもしれないギエムのような最高の踊り子を目の前で自由に躍らせていたかつての王侯貴族の生活は、何てぜいたくなんだろう


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2005年11月06日

ルジマトフのすべてー努力は必ず報われるというお手本か?ー

ruzimatovどうも自分は正統派とは縁がない。東京出身だけど中日ファン、大学の学部は文学部を選んだし、テニスのコールでもなぜか必ずラフ(裏の意味)と言ってしまう正道を歩んだことがないバレーでも古典には興味が薄く、コンテンポラリーが一番好きだそういうわけで、ルジマトフのことはもちろん知ってはいたが、バレエ界のヨン様だし、ロシアのスターで古典が得意なタイプだと思い込んでいたので、まるで興味がなかった

ルジマトフに興味を持ったのはテレビのドキュメンタリー番組まず、40歳になっても演出家に転ずることなく、現役のバレエダンサーという非常にハードなトレーニングを必要とするキャリアを追求し続ける彼の真摯な姿勢を知り、共感し、尊敬の念を覚えた私は”人間努力が一番、努力をし続けることが一番美しい”と常日頃から思っているからさらに、彼が世界でもトップクラスのクラシックバレエダンサーという、音楽にたとえるとクラシック音楽におけるマエストロという地位にありながら、他のジャンルのダンスにも興味を持つだけでなく、敬意を払っているという話を聞き、非常に感心した番組でルジマトフは、タンゴに対する憧れを語っていた

ヨー・ヨー・マやクレメールでさえ、その高い音楽性を評価されているピアソラ止まりで、地場のタンゴを真剣に取り上げることはないだろう私はバッハからレッチリまで何でも聞く、バレエも好きだが海外旅行をした際の民族舞踏を見るのも同じぐらい好きだ踊りにも音楽にも序列はないと思うが、心からそう思い、実践しているクラシックの芸術家は少ないのではないだろうか

ルジマトフは立ち姿だけでも圧倒的な存在感があった”ドン・キホーテ”のグラン・パ・ド・ドゥ”ではジャンプの高さこそ普通だが、そのスタイルは独自のものだし、力強さは秀でている。素晴らしいの一言恐らく2階席からでも他のダンサーとの区別が一瞬にしてつくのではないだろうかフラメンコダンサーとの共演は残念ながらいただけなかったリバーダンスの中のフラメンコダンスにさえ及ばない、しかしフラメンコにまで挑むチャレンジ・スピリットは賞賛に値する

圧巻だったのはやはり”アルビノーニのアダージォ”肌色の布をまとい、数人のダンサーを従えて現れ、彼らに吊り上げられる姿はキリストの受難を想起させられる。その後上半身裸で肌色のレオタードのみをまとい、その苦しみを黙々と謳い上げる姿に全身が総毛立つ。バレエの枠を超えた、非常に芸術性の高い舞踏だ”ドン・キホーテ”の陽、動とは全く正反対の陰、静の世界だ、そのどちらも完璧に演じてしまえるダンサーは世界でもほとんだいないのではないか

この宗教舞踏のような世界から一転、プログラムにはないタンゴを踊りだしたのには本当に驚いた松平健が暴れん坊将軍を演じた直後に突然マツケンサンバを踊りだすぐらいのギャップがあるフラメンコと違いこのタンゴは素晴らしかったが、オバサマたちの歓声はちょっと行き過ぎでは”アルビノーニのアダージォ”にもっと拍手しろよって感じ

ルジマトフ以外で目をひいたのはまずはイーゴリ・コロプ”ばらの精”では躍動感のあるジャンプをなどテクニックの高さを披露していたし、斬新な振り付けのコンテンポラリー版”白鳥”では豊かな表現力も垣間見えた。イリーナ・ペレンとミハイル・シヴァコフの”竹取物語”は素晴らしい叙情性を堪能できた。ペレンはファジェーエフとの”海賊”では双方とも、素晴らしいテクニックも披露していた

反対にひどかったのはドロテ・ジルベールバランスを何度も崩しそうになり急いでパケットの手をとって逃れたり、音楽に動きが合わないことも多々あり見ていられなかったしかし、大きな拍手があがり、花までもらっていたのには全く納得できないみなが知っている古典を踊り、かわいければ拍手されるなんて不公平だ

飛んで、回って、わかり易く、明るい古典には大きな拍手、飛ばずに、変な動きで、難解な、暗いコンテンポラリーには少ない拍手という傾向が見られたが、これではコンテンポラリーを踊ったダンサーがかわいそうだ中東風の不思議なダンスを魅せてくれたバディア、ド=バナもそうだが、クチュルク、ミハリョフのペアーはこのメンバーの中では実力が秀でているに拍手が少なく、かわいそうだったこのペアーのためにマリヤ・プリセツカヤ国際バレエ・コンクール向けに書かれ、そこで1位該当者なしの2位、3位をそれぞれが受賞したという得意の”カルメン”は本当に素晴らしかったが、その前に踊った前述のようにミスを連発していたジルベールとパケットペア(パケットは素晴らしかったが)に対する拍手の半分もなかったこれにはひょうきんな仕草で観衆をわかせるミハリョフも、相当むっとした顔をしていた最後の全員でのカーテンコールでクチュルクが他の女性ダンサーよりも前列にでてアピールしたり、男性ダンサー勢ぞろいのダンスシーンで小柄なミハリョフが張り切って、長身でジャンプ力のあるコルプより高く飛んでいたのも、自分たちは他のメンバーよりも格が上だというアピールをしているようで、本当に申し訳なかった

古典はもちろん、コンテンポラリーから果てはフラメンコからタンゴまで、非常にヴァラエティーに富んだ内容で、休憩もはさんで何と、3時間15分、十分堪能できた来年の”バヤデルカ”でルジマトフの踊りにまた出会えるのが、非常に楽しみだ。ガラとはまた違った素晴らしさを味あわせてくれることだろう


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2005年07月26日

エトワール・ガラーすごっく楽しい気分になれたー

etoile文化村オーチャードホールでのエトワール・ガラ、パリ・オペラ座を中心にヨーロッパ中から若手トップダンサーが集まった若手がのびのびと、自分の好きな演出家による演目を選び演じているので、かれらのルンルン気分が伝わってきて、見ているこちらまで楽しくなってくる素晴らしいショーだった

小品をいろいろ楽しめるのがガラのいいところだが、今回はさらに、古典中心ではなく、僕の好きなモダン・バレエが多かったのもうれしかったモダン好きなパリ・オペラ座ダンサーが中心なのと、やはり若手はモダンが好きだという二つの理由からではないだろうか

女性ダンサーで一番印象に残ったのはルシア・ラッカラ”白鳥の湖”のオデットの美しさは言葉では言い表せないほどだった。その長い手足と柔軟性、表現力すべて申し分ない本当に美しかった反対にバランシンの”アゴン”ではスローなアン・トゥール・ナンの力強さと、いろいろな面を併せ持っていた。マリ=アニエス・ジロは”ダイアモンド”では息がきれるのか苦しそうな表情で踊りにも切れがなかったが、キリアンの”ホエアアバウツ・アンノウン”での力強さと存在感は流石だったレティシア・プジョルはその技巧は認めるが、美しさ、表現力は欠けてるように思え、ハンブルグ・バレエ団のシルヴィア・アッツォーニのほうが惹かれた。ジュリエット、アル中のオーロラ姫共に見事に演じていた

男性ダンサーではハンブルグ・バレエ団のイリ・ブベニチェクが素晴らしかった。二人の男性ダンサーによる”アンドンテ”は第一幕の最後を飾るのにふさわしい作品だったが、ブベニチェクと比較すると相手役のバンジャマン・ペッシュの踊りが力強さに欠け、身体にもきれがなく、気の毒に思えてしまったエルヴェ・モローはイケメンだし、手足も長く、踊りも優雅で理想的な王子役として人気がでそうだ

席が前から4番目だったので、ダンサーの息遣いまで聞こえてきて、踊りの表情も全て見えたやはり、前でみるのと後ろでみるのでは全然違う

エンディングは本当に楽しかった。薄いカーテンの向こうで、楽しいテーマ曲に合わせて出演者がおどけながらステージを行き来している。その若々しい演出に、自然と楽しい気分が満ちてくる。それと同時にカーテンが開き、出演者が現れる一番盛り上がったのは何回かの挨拶の後に何気なくマリが1回転のピルエット、拍手、するとルシアが優雅に、すまし顔で2回転、大きな拍手、負けじとレティシアが4,5回転場内は歓声に包まれた

こんなに楽しい気分にさせてくれたバレエ公演は本当に初めて、感動することは多いけど来年も開催されるなら絶対にまた来ます


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2005年07月15日

ロイヤルバレエ”マノン”-シルヴィ・ギエムはやはり妖精?ー

シルヴィ・ギエムロイヤルバレエを見るのは今回が3回目。1回目はロンドンのロイヤルオペラハウスで、欧米ではクリスマス・ニューイヤー恒例の”ナッツクラッカー”91年1月3日だった。思い出したコーネル大学MBA留学時代の冬休み、ケニヤ生まれのインド人の友人がニューイヤーにナイロビに戻るというので、一緒についていった。その往路にロンドンに数日立ち寄り、新年を友人宅で過ごした際に見に行ったのが、これその頃話題になりつつあった熊川哲也が、中国人ダンサー役で素晴らしい跳躍力を見せていたのが印象的だった、他のダンサーよりも体半分ぐらい高く飛んでいた

2回目が95年6月29日、サンフランシスコ出張の際。ちょうどロイヤルバレエのアメリカ・ツアーの最中だったこの時のプログラムはいくつかの小品だったが、印象に残ったのは”Fearful Symmetries"という現代もの。シンメトリーというぐらいで、黒のタイトスーツに身を包んだ何人かのダンサーが同じ振りで踊るのだが、イレク・ムハメドフの存在感は他のダンサーを圧倒していた成長した熊川の踊りもその優雅さと、相変わらずの跳躍力で、間違いなく世界の一流ダンサーのものといえるのだが、ムハメドフの力強さには残念ながら及ばなかったそれぐらい、この頃のムハメドフは素晴らしかったのか

今回の日本でのツアーではシルヴィア・ギエムとジュリアン・コープのベテラン二人によるマノンを選んだ。若いダンサーはまだこれから見るチャンスがあるだろうからそれがなんと、ジュリアン・コープが急病で代役をマッシモ・ムッルが務めることになったしかし、そんなことを忘れさせてくれる素晴らしい舞台だったその素晴らしさはこちらのチャコットの記事を参照ください

第一幕でのシルヴィ演じるマノンの可憐さ、そしてその柔らかすぎる身のこなしには心を奪われた彼女はやはり他のダンサーとはとは本質的に違う、パリでピエトロガラを見たときもこれほどの感動はなかったその演技力、表現力、容姿、そして技術力の全てが超一流だからだろう第三幕の命尽きる直前の踊りの、最後の力を振り絞るかのような狂おしい踊りの素晴らしさは、到底言葉では表現できかねる。最後にマノンが力尽きたときには思わず涙した。バレエでほろっと来たのははじめてかもシルヴィの演技への感動とデ・グリューへの感情移入の両方が原因だろうが。

第一幕が終了した後に、”シルヴィ・ギエム最後のボレロ”のチケット予約に大勢の観客が殺到した気持ちが非常によく分かる。遅ればせながら、これからチケットを予約するつもりです。取れるといいんだけど


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2005年06月13日

ピナ・バウシュ”ネフェス”ーモダン・バレエと民族舞踏の融合ー

pina念願のピナ・バウシュを初めて見た踊りを見るのが好きだで、出張の度にオペラ座、ロイヤル・オペラ、NDTなどを鑑賞してきたが、クラシック・バレエよりもモダン・バレエがどちらかというと好きだ。また、民族舞踏好きなので、今までにケニヤ、スリランカ、タイ、バリ、トルコ、メキシコ、スペイン、アイルランドなどの舞踏を見てきた今回のピナ・バウシュが今まで見た中で一番の出来だったと思う

今回の公演”ネフェス”は劇団員が3週間イスタンブールに泊まりこみ、その際の印象を作品にしたそうだビザンチン帝国時代のコンスタンティノープルといわれた時代から、イスタンブールは東西文化が融合するオリエンタル(東洋)世界とオクシデンタル(西洋)世界の架け橋のような存在だった。今回の公演もそのイスタンブールを象徴し、ドイツ人中心の西洋人ダンサーと、インド人、インドネシア人、韓国人、日本人からなる東洋人ダンサーが入り乱れての東西融合を織り成していた西洋のクラシック・バレエを基礎に、ピナが演出した西洋風のモダン・バレエと、インド人ダンサー、インドネシア人ダンサーによる東洋の伝統的な民族舞踏とのミクスチャーにより、新境地を作り出している

インド人女性ダンサーがマハラジャ映画に出てくるように、甲高い声をだしながら、数千年変わらぬ音楽に合わせ、サリーかパンジャビ・ドレスを着て踊るなら、ただのインド民族舞踏だしかし、ピナの演出で踊るインド人ダンサーは白や赤のドレスをまとい、チルドアウト系の涼しい感じのヌーベルジャズボーカルに合わせて、モダン・バレエの要素もからめながら舞い踊るそこからの印象は暑苦しい、湿気の多いインドを思わせるものではなく、北欧の涼しい夏の夜といったものだこれこそ、まさに伝統的なオリエンタル民族舞踏と、オクシデンタル世界のモダン・バレエの融合といえよう

白いドレスを着たインド人女性ダンサーが頭にのせた天秤棒に、水を入れた二つのビニール袋を下げてしずしずと歩いてくる。音楽はトルコ風のチルド・アウトもの。そこに二人の男性ダンサーが現れ、女性ダンサーの足をそれぞれ片足ずつ持ち、最初は地面の高さから、一歩一歩歩くたびに、自分の胸の高さまで持ち上げていく。神秘的な音楽を聴きながらその情景を見ていると、聴衆は、まるで白いドレスの女性が空中浮遊しているような幻想にとらわれる。非常に美しいシーンだ

ピナの舞台の主役は女性だ。男性ダンサーも同じ数だけいるのだが、主役はあくまでも女性ダンサーだ。昨今のベジャール以来の男性ダンサー復権の動きとは正反対だ。女性演出家による、女性ダンサーのための舞踏団といえようか?いろいろな国籍のダンサーが官能的な、神秘的な、コミカルな、様々な踊りをエネルギッシュに演じている

今回のメイン・ダンサーであるインド人ダンサー、シャンタル・シヴァリンガッパは素晴らしかったパリ在住だがインド伝統舞踏の伝統を受け継いだ舞踏家だそうで、そういった意味でも東洋と西洋の融合にはうってつけだったのかも知れない。

もう一つ感心したのが、ダンサーが全て日本語での台詞回しを完璧にこなしていたこと。日本語でせりふを言うなんて面倒くさいことを、ダンスの練習だけでも大変だろうに、よくこなしているものださすがダンス・シアターというだけのことはある。この日本語でのいいまわしによって演じ手と聴衆との距離は飛躍的に近くなる勤勉なドイツの劇団ならではといったらいいすぎだろうか

ピナの舞台を残り全てみてみたいものだとりあえずDVDでも探してみよう


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