2005年11月

2005年11月27日

国立博物館と美術館の民営化ー実現されれば日本はますます文化後進国となるー

政府がすすめる公務員削減と行政組織スリム化の一環として、標記の試みが検討されているらしい。平山郁夫氏と恩師の高階秀爾先生が、11月9日文部科学省に、民営化を国立博物館と美術館へは導入しないよう訴えた、ということだ。(日経新聞11月26日40面による)

お二方の主張は、文化芸術の振興は市場原理や効率性・採算性とは相容れない面があるので効率性を追求するのは極めて危険で、文化芸術の衰退に通じる、というものだ。高階先生は”民営化の最大の問題は運営主体が数年毎に替わる可能性があることで、長期的な視野を必要とする美術館経営にそぐわない””美術館のコレクションは100年単位で形成され評価は未来に問われる、フランスの美術館が短期的評価のみで作品を集めていたら、今頃ゴッホもセザンヌも残っていない”と述べられている。異論を挟む余地はないだろう

政府からの交付金自体、来年度以降の中期目標では減額率が3%ほどに引き上げられる見通しらしく、東京博物館では出費のかさむ企画展の数を減らし、イベントへの施設貸し出しに力を入れ、それでも経営が苦しければ現在北斎展が開催されている平成館、表慶館の一時閉鎖も検討するということだ

お二方の主張に対し政府の行革推進グループは”公共サービスの提供にあたっては質の維持・向上を前提に官民問わず、最もコスト効率性の高い事業者を選定する、公的組織が優れているというのは官尊民卑に他ならない”と反論している。美術品の価値などは計算できるものではなく、質の維持などというのは全く計りがたいものであり、何とでもいえる。となれば、判断基準は自ずとコストのみとなるのは自明であろう

政府の主張がとおれば採算重視の企画展ばかりとなり、先ほど東京で開催され、現在韓国で開催中の”アジアのキュビスム展”のような、植民地時代の記憶に触れる戦前・戦中の日本の油彩画をクローズアップし、日韓の国民感情を和らげるような意義があるが、採算的には合わないような画期的な試みも開催不可能となるだろう

そもそもこのような案が政府から出されること自体が、いかに日本が文化後進国となったかを物語っている本来はインテリであり、文化の振興を促進すべきエリートであるべき官僚が、全く文化を理解しない、実学のみに通じ、趣味はカラオケ、ゴルフという輩に成り果てていることが根本原因だろう上野で開催される美術展に行っても、ほとんどの人は主婦、若い女性、そして引退した老夫婦であり、現役世代の男性は少数だ。上野の美術展に足しげく通うエリートはほとんどいないというのが日本の現状ではないだろうか

戦後の復興教育の中で、法学部、経済学部などの実学が尊ばれ、哲学を語るインテリなどはほとんど現存しない。学生運動に花をさかせた団塊の世代より若い受験戦争以降の世代は、いかにしてよい大学に入り、いかにしてよい省庁、会社に入るかしか考えてこなかったからだ印象派を創始したのはモネかマネかという2択の質問には答えられても、”モネはどういうところが素晴らしい画家でルノワール、シスレー、ピサロなどとはどういう点が異なる、だからモネは好きだ、特にどの作品が好きだ”などと語れるエリートはどれほど存在するのだろうか

受験戦争により文化後進国となった日本は、受験戦争で育った世代が決定権を持つ時代に至り、さらに文化後進国になろうとしている日本は経済では既に世界で2番目の大国となった。かつてのように文化でも先進国になることを目指す必要があるのではないだろうか


2005年11月26日

北斎展ー作品は素晴らしいけど込みすぎですー4

hokusai北斎展に2度でかけた。一度目は平日の昼間だったが、予想外の大混雑だった。余りの込み具合に、前期のみに出展される作品を中心にじっくり見て、残りは後ろから除いた程度だった。二度目は金曜の夜の時間を狙っていったのだが、相変わらず込んでいたさすがに前回よりはましだったが、一番前でじっくりに見るために並んでいたら500作品のうち最初の100作品は飛ばしたのに、3時間もかかってしまった。終わったときはもうくたくただった

北斎展は作品自体は素晴らしいのだが、運営その他に不満が残る

欧米の美術館ではこのように大掛かりで混雑が予想される展覧会では、予約制をとる。チケットショップなどで事前に何月何日の何時という券をとる、または当日美術館で予約をする。予約制により、館内の入場者数を制限している。日本でも是非このやり方を採用していただきたいそれから、陳列された作品がガラスケースから遠すぎて細部が見えないのにも不満が残った。もっと距離を短くしていただきたいものだ。近視の方ならなおさら見えないだろうガラスケースが指紋だらけで絵がよく見えないのにも、閉口した毎日ちゃんと磨いているのだろうか?それとも入場者のマナーの問題か

そうはいっても展覧会自体は、その不満を超えて余りあるほど素晴らしいものだった北斎は北斎漫画をはじめ19世紀後半の欧州絵画に影響を与えた作家として、他の浮世絵師とは一線を画す。彼についてはある程度は詳しいつもりだったが、今回の展覧会でまるで理解していなかったと反省させられた浮世絵師でこれほど画風を変え続けた人は他にもいるのだろうか?デッサン力、ユーモアのセンス、伝統にとらわれない新様式の確立など、本当に型にはめられない、改革者だったことが読み取れる信長好きの人は北斎がお気に入りなのではないだろうか

展覧会は年代順に構成されている。第1期が勝川派に属し勝川春朗と名乗った春朗期、第2期が俵屋宗理と名乗った宗理期。”夜鷹図”にはその叙情性に心を奪われた。”月下歩行美人図”の着物の質感も素晴らしい。たびたび登場する龍の表情も好みだ。第3期で読み本の世界になると、ついに北斎となる宗理期の美人像は涼しげで日本的で、余り個性がない。北斎期になると、力強く、肌も張りを帯び、独特の作風が形成される。”酔余美人図”の文机にもたれかかる女性の妖艶さ、その斜めに伸びたポーズは他に例がない。”江口の君図”は西行法師と白象に乗る普賢菩薩の化身の女性の読み合わせの図だが、表情、色彩、構図すべてが素晴らしい。“蛸図”の蛸のユーモラスさは北斎漫画を思わせる。ここまで紹介した絵はすべて版画ではなく、肉筆画である

第4期は戴斗と号した戴斗期。この時期は絵手本に熱中し、私の大好きな北斎漫画が登場する北斎の恐るべき観察力とデッサン力、ユーモアの精神が窺える。そこには人々の表情、仕草、その職業独特のポーズ、日常道具、生き物などあらゆるものが精妙に描かれている肉筆画にも傑作が多い。”列氏図”は絵なのだが、まるで一陣の風が吹いているのを見ているかのような錯覚にとらわれる羅漢図”でも煙が立ち上るのが目に見えるようだ。とにかく、動きがある。羅漢の表情もなんともいえずよい扇に描かれたなまこは生きているようだし、イカはかわいらしい雪中傘持ち美人図”の雪は盛り上がり、絵とは思えない個人的には最も好きな時代かもしれない

第5期は為一期。”冨ごく三十六景”、幽霊絵、武者絵など版画家としては最高の時期だろう冨ごく三十六景をこれだけ一時にみることができるのは、やはり楽しいその構図の素晴らしいさにただ、圧倒される3点ある”凱風快晴”を比較できるのも興味深かったも初版に近く、薄い色で刷られたギメ版やケルン版が東京国立博物館版の濃い色のものより、はるかに上品で、美しく見えた。旅をしていろいろな地域から富士山を眺めるだけでも楽しいだろうに、その地域のなかでも場所を選び、構図を考え、さらに絵にする楽しみはどれほどのものだったのだろう江戸時代は東京のどこからでも富士山が眺められたのかと思うと、非常にうらやましい動物を描いたものではギメの””、東京国立博物館の”群鶏図””ゆう亀図”が素晴らしかった。とくに亀図の3匹の亀の一番上の亀は、光の中を天に昇っていくような優美さをたたえていた

第6期の画狂老人期の多くの動物を描いた肉筆画は美しく、風雅がある。達人の域に達している。”月みる虎図”の虎は滑稽で、なんとも趣がある。”狐狸図”の狐狸も同様だ。絶筆に近いとされる”富士越龍図”はどっしりとした白い富士山と、黒煙の中を天に昇っていく龍が描かれている。なんともどっしりとして、落ち着きのある名作である。

朝早く、すいている時間に、2回か、3回に分けて訪れることをおすすめする。一度で見ようとすると、疲れといらいらで、北斎のよさを理解できずに終わるだろうから。


2005年11月21日

シュツットガルト・バレエ団”オネーギン”−日本では無名だが実はトップクラスー5

oneginシュツットガルト・バレエ団を見るのは今回が初めて大好きなキリアンが所属していたので名前は知っていたが、ここまでレベルが高いバレエ団だとは想像していなかったパリ・オペラ座バレエ団エトワールのルグリが若いころクランコの”オネーギン”を見て以来ぜひとも踊りたいと思い続けていて、今回念願かなって客演するという話を聞き、”ロミジュリ”ではなく”オネーギン”を躊躇なく選んだ”ロミジュリ”は見なかったが、正しい判断だったと思っている

ルグリも四十路を越え、跳躍力などは往年と比べようがないが、その動きは優雅で無駄がなく、貫禄を感じさせた第1幕第二場の、タチヤーナの幻想の中で鏡の中から思いの人オネーギンが現れ、夢見た恋人オネーギンとタチヤーナが踊るシーンは、言葉に表せないほど素晴らしかった一途な乙女の恋心とそれに応える白馬の王子との美しすぎる、この世のものとは思えない情景を見事に表していたルグリの相手役のマリア・アイシュヴァルトは想像以上に素晴らしかったオネーギンに心をずたずたにされて嘆き悲しむシーンの切なさは客席に十分すぎるほど伝わってきた

第3幕第2場のタチヤーナの私室でのオネーギンとタチヤーナのパ・ド・ドゥはなんといってもオネーギンのハイライトだろうオネーギンの熱烈な求愛の思いと、その思いにゆれるタチアーナの心情をルグリとアイシュバルトはほぼ完璧に表現していた。心が揺さぶられ、感動した。表現力、技術力ともに文句のつけようがなかった

コール・ドもほぼ完璧で、この辺に日本のバレエ団との層の厚さがいやがおうでも感じさせられる日本のバレエ団でもソリストは世界でも通じる人材がいるのだが、コール・ドで踊る人材のレベルの低さは隠しようがない手の上げる角度どころが、まずそろってないわけだからやはり国立のバレエ団を創り、付属のバレエ学校を創立しないとこの問題は解決できないのだろうか

ともかくも再び至福の時でした


 


2005年11月20日

シルヴィ・ギエム ”最後のボレロ”ーボレロは古代の踊りに通じる?−4

borero再追加公演が決まり、諦めていたギエムのボレロに行くことができた。バレエ公演の会場で買ったので、よい席がとれた。プリリザーブで取るよりも、絶対よい席がとれる

ギエムの出番は2回。”小さな死”のパ・ド・ドゥはモーツァルトのピアノ協奏曲、キリアンの振り付け、ムッルとのコンビネーションとすべてが好みなので、文字通り”陶酔感”を味わえた。終了後しばらく呆然という感じだが、余りに短いのが残念だった

”ボレロ”はラヴェルの原始的な、単調なリズムが興奮をかりたてていく、かつて古代の踊りはこうだったのかと思わせる作品。ある意味”春の祭典”と似ているかもジョルジュ・ドンやパトリック・ドゥポンといった男性ダンサーの”ボレロ”しか知らないので、ある意味楽しみだった音楽が始まるとスポットライトがギエムの長い手のみを映し出し、聴衆は手の動きに釘付けとなる。徐々に全身が現れ、単調なリズムにあわせてギエムが踊りだす。ギエムの動きには一切無駄がなく、掲げる足の角度も、肢体の美しさも完璧だ音楽と踊りが進むにつれ、聴衆の興奮も高まっていく、その頂点で音楽も終わり、周りを取り囲むすべてのダンサーがギエムと共に、赤い円形のステージに崩れ落ちる素晴らしい演出、やはりベジャールは天才だったのか

”ボレロ”は一度は体験する価値がある見世物だと思う。古代の踊りの陶酔感が、天の岩戸前でアメノウズメの踊りに興ずる神々の気持ちが体感できるかもしれないギエムのような最高の踊り子を目の前で自由に躍らせていたかつての王侯貴族の生活は、何てぜいたくなんだろう


2005年11月15日

シン・シティー損得ではなく、義で動く男の世界を描ききった!ー4

シンシティライブドアの取締役、上司の事業部長の方々には本当によくしていただき、今でも感謝している今後も変わらぬお付き合いをさせていただきたいと思っている。自由に会社を運営させていただき、おかげさまで業績も右肩上がり、来期には上場するつもりでいたライブドアグループでは上場前にストックオプションもいただけるので、損得だけを考えるならば、私がジェイ・リスティング社長を辞することなどありえなかっただろう私がやめたのは自分のポリシー、生き方に従ったからである全く後悔はしていないそういう不器用な人たちならば共感できる映画が、このシンシティ

原作はフランク・ミラー彼の描く世界は常に義を通すために、誇りをかけ、命をかける男たちの世界だ、武士道精神に憧れがあるのではないだろうか

最初に彼を知ったのはボストンのニューベリー・コミックスというオルタネティブやミクスチャー系に強いCD屋。アナログデバイセズ本社のアメリカ人エンジニアと音楽話で盛り上がったときに、それだけ詳しいならタワーレコードになんて行かずにここに行けと教えてもらった。そこではCDの他にオルタネティブ系のミュージシャン好みの服、フィギュア、そしてコミックが売られていたその時に初めて、アメリカにもマーベル(スパイダーマン、ファンタスティック・フォーなどの子供向けの、勧善懲悪ヒーローもののコミック)ではない大人も読めるコミックが存在しているのを知ったここで面白そうなコミックを買い揃えるのが出張の楽しみになったのだが、一番気に入っていたのがダークホースから出版されていたフランク・ミラーの”300”である

”300”とは、300人の意味で、古代ギリシャの英雄スパルタのレオニダス王と300人の親衛隊の物語わずか300人で2万人のペルシャ軍に立ち向かい、敵を撤退させるまで追い詰めたが、内通者のせいで全員壮絶な討ち死にをとげるという史実を基にした歴史コミックだレオニダス王は西欧社会の英雄で、ルーブルにもダビッドかアングルが描いた大作が飾ってあった記憶がある。アテネとのペルシアの侵略に屈しないという約束を、死を賭して守った王とその親衛隊の姿は、ノンフィクションであるという事実がさらなる感動を呼ぶシン・シティは同じ作者なので買ってみた。舞台は古代ギリシャから未来の空想都市に飛ぶので最初はとまどったが、内容は一緒、義を死を賭して貫く男の世界である

映画版シン・シティはコミックを忠実に再現している3つのエピソードを一つの映画の中にまとめていて、それらが前後しながら進むので少々わかりづらいのが欠点ではあるが、反対によくここまでまとめあげたものだと感服した。やはりデスぺラードのロバート・ロドリゲスだからこそ可能になったといえようか

3つのエピソードの主人公には共通点がある、前述のように義をとおすためには命を賭ける、相手が権力者だろうとその信念は揺るがないという点だ。レオニダス王が時の最高権力者、ペルシャのクセルクセス王に挑んだ”300”にも通じる、ミラーの永遠のテーマもう一つのテーマは男が女を守るために命をかけるという点だ。すべてのエピソードの主人公には守るべきヒロインが存在するそして倒すべき仇敵も

最初のエピソードの主人公、マーブは醜い大男、その醜さのために娼婦を買うこともできない。その彼に優しくしてくれた娼婦が、例え自分を守って欲しいという利害のみで彼に優しくしたのだと分かっていても、彼女を天使と呼び、そのいきずりの天使のために命を投げだし、最高権力者に立ち向かうミッキー・ロークが外見は怪物だが、中身は素晴らしくやさしい男を見事に演じきっているヒロインは前述の高級娼婦、仇敵はケビンというとんでもないキャラこの邪悪な存在を演ずるのがロード・オブ・ザ・リングシリーズで善良な主人公フロドを演じたイライジャ・ウッドというのも面白い

2番目のエピソードの主人公はドワイト、娼婦たちの街、オールドタウンの用心棒。彼も街を我が物とするマフィアの手先と壮烈なバトルを繰り広げる。演ずるのはクローサーでの好演が光ったクライヴ・オーウェン、ここでの演技も素晴らしいのだが、日本で人気がいまいちなのは渋すぎなのか

3番目のエピソードはブルース・ウィリス演じる定年目前だった老刑事ドーディガンと、救われた当時少女だったナンシーとの恋物語、彼女は現在はストリッパー。ブルース・ウィリスはその演技も素晴らしいそしてドーディガンに逆恨みするイエロー・バスタードとの闘争は見ごたえがあるこのキャラも相当きているかも

この3つのエピソードの主人公が端役で他のエピソードに登場するのも楽しめる。マーブ、ドワイト、ドーディガン、3人ともスパイダーマンやスーパーマンのような分かりやすいヒーローではない。ドーディガン以外は殺人鬼で、犯罪者だ。法的には犯罪者かもしれないが、義理を貫くという意味では善人である。”黒いヒーロー”とでもいえば分かりやすいだろうか

義を重んじる人にはおすすめな映画です。損得しか考えない人なら”アホじゃないの”って思うかも


2005年11月10日

ローカルサーチの競争が本格化ー将来への布石か?−

ブログを10月一杯、たった一月休んでいただけなのだが、検索エンジン業界はたった一月の間に大きく進化している。ついていくのも結構大変なこの頃だ毎日よくこれだけニュースが出るなーって感心してしまう

ローカルサーチでは二つの大きなニュースが出た。一つが10月6日発表のグーグルローカルとグーグルマップの統合、もう一つが10月11日発表のヤフーエリア検索β版の開始だ二つのサービスを比較してみた、選んだキーワードはジャンルがラーメン、場所が渋谷だ。

ヤフーエリアサーチはヤフーグルメ、電話帳、地域、ムービー、ヘルスケアから900万件の情報が登録されているそうだ。ラーメン、渋谷では514件が表示される。しかし、その表示順序は謎だ中心からの距離?という表示があるが、全くそうでない。最初の10件よりも次の10件のほうが中心から近い最初の10件が有名店かというとそうでもない。恐らく表示順序はまだ決まってないのだろう地図は非常に見やすい主な交差点名(信号の名前)と地域名が表示されているので、目的の場所がどこにあるか把握しやすい。小さい画面でも10件の名前全部がスクロールなしに見られるのも便利だ地図に表示されている店の番号にカーソールをかざすと店の名前、住所、電話番号が表示される。店の一覧の店の名前をクリックするとより詳細な地図にとぶだけなのは問題だ地図上の移動はクリック&ドラッグでスムーズに行える

グーグルローカルはイエローページが情報源だということだが、全体の情報件数、渋谷のラーメン屋の登録件数共に不明だ表示順序はやはり不明だが、ヤフーと違いラーメンランキング上位の有名店がトップ10件に多く含まれていた地図はヤフーと比べると、地域名、主な交差点名(信号の名前)ともになく、場所を把握しづらい衛星写真への切り替えオプションがついているが、自分の家がどれか分かるとか以外の使い道がよく分からない店の一覧に住所、電話番号はついているし、店の名前をクリックすると詳細の地図に飛ぶ以外に、下部にURLが表示されるので、それをクリックすると店のサイトや関連のサイトに飛ぶことができる、店の情報を詳しく知れて便利だ

グーグルローカルの最大の長所は携帯版が既にスタートしていることだろう実際に渋谷に行ったときにラーメンが食べたいと思って、渋谷_ラーメンで検索するという例が普通だろうからラーメンフリークは家のPCで情報を得てから、わざわざ渋谷なり荻窪まででかけるかもしれないが、それはまれなケースだろう。グーグルローカル携帯版では、店の電話番号も表示されるラーメン屋はともかく、イタメシ屋やフレンチとかでは電話して予約するのが普通だろう。たとえば渋谷で映画みて、イタメシを食べることになり、渋谷_イタリア料理で検索する、そこで選んだ店に電話して予約する、客単価5千円で二人で1万円とすると、電話がきた客のうち2組に1組が来店するとすれば売り上げは1万円の半分の5千円となる。10%をマーケティングコストにかけられるとすると、1コールあたり5百円までがペイパーコールの単価として許される。PCはペイパークリック、携帯はペイーパーコールという異なるビジネスモデルも考えられる

結論として、現状ではヤフーエリアサーチ、グーグルローカル共に一長一短で甲乙つけがたい。そのほかにローカルサーチでは、グーもサービスを開始している。飲食、オフラインの購買などは半径50キロ以内で相当部分が占められている。日本より数年先行する米国の例をみても、ローカルサーチが検索連動型広告に占める割合は、年々高くなっていくだろうこの重要なマーケットで誰がウイナーになるかは、今後の各社の戦略にかかってくるだろう競争はまだはじまったばかりだ。


2005年11月08日

グーグル、パーソナライズ検索の日本語版を発表ー今後の充実化に期待ー

グーグルが11月4日、個人の好みに応じてトップページを設定できるパーソナライズ検索の日本語版を発表した。このサービスはアメリカでは、9月15日に既に正式版がスタートしている

アメリカ版は私も既に愛用しているのだが、まさに夢のポータルサイトである現在のポータル(玄関サイト、ヤフー、MSNなど)すべてのポータルが、個々人の好みを反映することなく提供しているプロダクトアウトの商品だ、服にたとえるならば既製品であるそれに対して、このグーグルパーソナルでは、個人ひとりひとりが、自分に合った、理想のポータサイトを自ら作り出すことができる、究極のマーケットインとでもいうべきサービスなのだ完全なオーダーメードが無料で提供されるわけだ既製服とオーダーメード、どちらも無料なら、どちらを選ぶかは自ずと明らかではないだろうか

それではグーグルパーソナライズ検索のアメリカ版について簡単に説明しようデフォルトでは天気予報、トップニュース、今日の言葉が初期設定されている。GMAILはもちろん、その後、どのような項目を付け加えるかはすべてお好み次第である

まずトップに表示されているのが映画。ここに郵便番号をいれる窓がある。私は友人が住んでいるニューヨークのチェルシー地区の10038という郵便番号を試しに入れてみた。追加ボタンをクリック、設定された画面は”その地区の上映時間”というタイトル、”3作品の映画のタイトル”(各映画には評価が5つの星で、そして各映画のレビュー数が表示されている。クリックすればそれぞれ20から40のレビューをすべて見ることができる。)”その地区の上映時間”というタイトルをクリックしてみて、本当に驚いた何と、その地区にある15のシネマコンプレックスで上映されている100以上もの映画の、それぞれの上映時間が表示されたのだしかも、初期設定によりその郵便番号の地区から映画館までの距離で15の映画館が表示されたわけだが、映画の人気度、評価、映画のタイトルでの選択も可能なのだ

次がマイスタッフという項目。お気に入りから自分で追加できる。

3番目の項目がニュース。ニューヨークタイムス、BBCなど7媒体からいくつでも選べる、私はUSAトゥデーを選んだ、追加ボタンをおすとそこからの主要ニュースが表示される。

4番目が株式市場。追加ボタンを押すとダウジョーンズインデックス、ナスダック、ニューヨークストックエクスチェンジ、S&Pの主要4指標のプライスと前日比の変化値と変化率が自動表示される。

5番目はビジネス。フォーブスなど4つのビジネス紙からいくつでも選べる、私はフォーチュンを選択した。

6番目がテクノロジー。CNETなど4つからいくつでも選べる、私はワイヤードを選択。

7番目がスポーツ。ESPNなど4媒体からスポーツイラストレイテッドを選択した。NFLなどの主要スポーツの結果が表示される。

8番目がライフスタイル。ピープルなどの5つのゴシップ誌から選べる。ハリウッドスターやロックスターのニュースが表示される。

最後がセクションの作成。ここにURLを入れれば、お好みの項目がRSSフィードで追加できる。

こうしてできたグーグルパーソナライズ検索アメリカ版は真に私だけのポータル、玄関サイトだ各ジャンル一つしか選ばなかったは、ごちゃごちゃすると見づらいから。これだけでも既存のポータルよりも遥かに満足度の高いポータルになったニューヨークに住んでないからフル活用はできないが、これを見るだけで、日本のメディアでは得られない海外の生の声が、一瞬にして手に入るのだから素晴らしいこのページを一日一度開くぐらいなら、どんなに忙しくても大丈夫かも

しかし、ここまでだとセミオーダーメード、グーグルが提供してくれた項目から選んでいるだけだ。これに自分のお気に入りのジャンル、オークションとかブログとか、を自分で追加すれば、完璧な自分だけのオーダーメードポータルができあがる

日本版はといえば、デフォルトがトップニュースとオールアバウト、そしてジャパンインターネットドットコム。ここにアメリカ版同様項目を追加していくわけだが、まだまだ選択肢が少ないしかし、日本では権利調整が難しいし、アメリカに比べれば各媒体社も積極的に協力してくれる会社ばかりではないので、アメリカ版のように、各項目に主要各社がせいぞろいというレベルまで充実するには、相当時間がかかるだろうグーグル日本支社の方々の苦労がしのばれるが、ぜひとも頑張っていただきたいものである

ただ、こう申しあげたのはあくまでもインターネットの1ユーザーとしてである。このグーグルパーソナライズ検索は既存のポータルの存在意義を問うているかもあまり手放しでは喜べないところが業界人のつらさか


2005年11月07日

日経ビジネス10月31日号ーついに検索連動型広告もメジャー商品に?−5

日経日経ビジネス10月31日最新号は”グーグルゾン”特集グーグルが日経ビジネスなどに取り上げられるのはもう当たり前だが、検索連動型広告はまだまだ知名度が低いしかし今回は、29ページから30ページ、32ページから35ページに、実例付で大きく取り上げられている、喜ばしいことだあと数年もすれば自分の職業について”検索したときに、検索結果一覧よりも上に出てくる検索結果があるでしょ?これが実は広告で、それを売ってる会社なんだ”とか長々と説明しなくてもよくなる時代が訪れるかも

記事は一般の人にもわかりやすく、よくできていると思った。業界の人にはもちろん、検索に興味ある方、ぜひとも購入をおすすめします

例えば、キャッシングの入札価格が高いのはクリックする人が切羽つまっていて、顧客獲得に結びつく。そのため、消費者金融会社も高い予算を払うと説明されている。検索連動型広告が単なる認知度を上げるための広告ではなく、実際の売り上げを生むレベニュー・ジェネレーション・ツールだということが読者にも分かっていただけたのではないか

もう一つの特徴である成果報酬型という点ついても説明されているテレビやかつてのインターネット広告と異なり、ユーザーが見ているだけでは費用は発生せず、実際にクリックされはじめて発生する。しかもクリック保障バナーのように、クリックまたはカーソールを上に置いたらみたくもないのに広告を見せられたユーザーの分まで、課金されることもない。2002年のBTルックスマートジャパン社長就任以来、検索連動型広告のこの長所を詳しく説明し、特に購買された時のみに費用が発生するアフィリエートモデルは販促費として予算をとるようお願いしてきたが、そうした例も現れてきたと紹介されているあれから3年たってようやくという感じだが

広告主のレベルが上がってきたことも紹介されている占いの例では、占いというキーワードが多少高くても強気に出る、なぜなら顧客平均単価が5000円だからだと紹介されている。占いのキーワード単価が仮に500円とする10人がクリックすると5000円になる。10人に1人が顧客になってくれればブレークイーブン、2人だと5000円のコストで10000円の売り上げが得られる計算となるこうした高いコンバージョン率を考えると、検索連動型広告ほど効果の高い広告商品は存在しないことは自ずと明らかになる広告主のレベルが上がれば上がるほど、他の広告商品から検索連動型広告へ予算が流れてくるはずだ

ライバル会社の社名を買うことは論外今まで長い時間かけてきたブランドの侵害になるので、欧米では即裁判だろう。こうしたことが平気で起きるのは、日本人の知的所有権に対する意識の希薄さと、裁判などは避けたいという国民性によるのだろうか

クリックが多く、効果があがっているのに、今期の検索連動型広告への予算は来期までとれないから無理だという話も紹介されているが、これは日本固有の大きな問題である(BT)ルックスマート時代もなんで広告主自身も受注が増えて喜んでいるというのに、広告主は他の広告から予算を回してくれないのか”と本社のボスに問われ、”これは日本の習慣で6ヶ月毎に広告予算をどう配分するか決めているので、途中で変更はできない”と説明すると”なんで効果が高いと分かったのに、効果が期待できないものから柔軟に予算をまわさないのか、日本人は頭がいいのか悪いのか分からない”といわれて困った経験があるもっと柔軟に予算を変えられる体制になっていただきたいものだ。

福井県の料亭、中小企業、そしてベンチャー企業が高い技術があってもそれを世に知らしめる力がなく残念な思いをしていたのが、検索連動型広告のおかげで日本中から受注が殺到し、大成功をおさめた例が載っているが、こうした成功例がこのビジネスに携わっていて、一番うれしいことだ首都圏、中部は景気が回復してきたが、まだ地方経済は苦戦しているようだ。検索連動型広告以前は指をくわえて眺めているしかなかったのが、今では地方にいながら他の地方の成功を共有することができる

地方経済の発展に貢献するという非常に社会的意義が高い仕事であり、さらに世界で一番成長している仕事(先週の日経新聞によるとグーグルの時価総額はコカコーラを抜いて上場後僅か1年で20位に入った、90%以上のの利益は検索連動型広告からの利益だそうだ)が検索連動型広告という仕事だこの素晴らしい仕事に、日本での創世記から携わることができて、自分は何て幸せなんだろうと思うついこの頃である


2005年11月06日

ルジマトフのすべてー努力は必ず報われるというお手本か?ー

ruzimatovどうも自分は正統派とは縁がない。東京出身だけど中日ファン、大学の学部は文学部を選んだし、テニスのコールでもなぜか必ずラフ(裏の意味)と言ってしまう正道を歩んだことがないバレーでも古典には興味が薄く、コンテンポラリーが一番好きだそういうわけで、ルジマトフのことはもちろん知ってはいたが、バレエ界のヨン様だし、ロシアのスターで古典が得意なタイプだと思い込んでいたので、まるで興味がなかった

ルジマトフに興味を持ったのはテレビのドキュメンタリー番組まず、40歳になっても演出家に転ずることなく、現役のバレエダンサーという非常にハードなトレーニングを必要とするキャリアを追求し続ける彼の真摯な姿勢を知り、共感し、尊敬の念を覚えた私は”人間努力が一番、努力をし続けることが一番美しい”と常日頃から思っているからさらに、彼が世界でもトップクラスのクラシックバレエダンサーという、音楽にたとえるとクラシック音楽におけるマエストロという地位にありながら、他のジャンルのダンスにも興味を持つだけでなく、敬意を払っているという話を聞き、非常に感心した番組でルジマトフは、タンゴに対する憧れを語っていた

ヨー・ヨー・マやクレメールでさえ、その高い音楽性を評価されているピアソラ止まりで、地場のタンゴを真剣に取り上げることはないだろう私はバッハからレッチリまで何でも聞く、バレエも好きだが海外旅行をした際の民族舞踏を見るのも同じぐらい好きだ踊りにも音楽にも序列はないと思うが、心からそう思い、実践しているクラシックの芸術家は少ないのではないだろうか

ルジマトフは立ち姿だけでも圧倒的な存在感があった”ドン・キホーテ”のグラン・パ・ド・ドゥ”ではジャンプの高さこそ普通だが、そのスタイルは独自のものだし、力強さは秀でている。素晴らしいの一言恐らく2階席からでも他のダンサーとの区別が一瞬にしてつくのではないだろうかフラメンコダンサーとの共演は残念ながらいただけなかったリバーダンスの中のフラメンコダンスにさえ及ばない、しかしフラメンコにまで挑むチャレンジ・スピリットは賞賛に値する

圧巻だったのはやはり”アルビノーニのアダージォ”肌色の布をまとい、数人のダンサーを従えて現れ、彼らに吊り上げられる姿はキリストの受難を想起させられる。その後上半身裸で肌色のレオタードのみをまとい、その苦しみを黙々と謳い上げる姿に全身が総毛立つ。バレエの枠を超えた、非常に芸術性の高い舞踏だ”ドン・キホーテ”の陽、動とは全く正反対の陰、静の世界だ、そのどちらも完璧に演じてしまえるダンサーは世界でもほとんだいないのではないか

この宗教舞踏のような世界から一転、プログラムにはないタンゴを踊りだしたのには本当に驚いた松平健が暴れん坊将軍を演じた直後に突然マツケンサンバを踊りだすぐらいのギャップがあるフラメンコと違いこのタンゴは素晴らしかったが、オバサマたちの歓声はちょっと行き過ぎでは”アルビノーニのアダージォ”にもっと拍手しろよって感じ

ルジマトフ以外で目をひいたのはまずはイーゴリ・コロプ”ばらの精”では躍動感のあるジャンプをなどテクニックの高さを披露していたし、斬新な振り付けのコンテンポラリー版”白鳥”では豊かな表現力も垣間見えた。イリーナ・ペレンとミハイル・シヴァコフの”竹取物語”は素晴らしい叙情性を堪能できた。ペレンはファジェーエフとの”海賊”では双方とも、素晴らしいテクニックも披露していた

反対にひどかったのはドロテ・ジルベールバランスを何度も崩しそうになり急いでパケットの手をとって逃れたり、音楽に動きが合わないことも多々あり見ていられなかったしかし、大きな拍手があがり、花までもらっていたのには全く納得できないみなが知っている古典を踊り、かわいければ拍手されるなんて不公平だ

飛んで、回って、わかり易く、明るい古典には大きな拍手、飛ばずに、変な動きで、難解な、暗いコンテンポラリーには少ない拍手という傾向が見られたが、これではコンテンポラリーを踊ったダンサーがかわいそうだ中東風の不思議なダンスを魅せてくれたバディア、ド=バナもそうだが、クチュルク、ミハリョフのペアーはこのメンバーの中では実力が秀でているに拍手が少なく、かわいそうだったこのペアーのためにマリヤ・プリセツカヤ国際バレエ・コンクール向けに書かれ、そこで1位該当者なしの2位、3位をそれぞれが受賞したという得意の”カルメン”は本当に素晴らしかったが、その前に踊った前述のようにミスを連発していたジルベールとパケットペア(パケットは素晴らしかったが)に対する拍手の半分もなかったこれにはひょうきんな仕草で観衆をわかせるミハリョフも、相当むっとした顔をしていた最後の全員でのカーテンコールでクチュルクが他の女性ダンサーよりも前列にでてアピールしたり、男性ダンサー勢ぞろいのダンスシーンで小柄なミハリョフが張り切って、長身でジャンプ力のあるコルプより高く飛んでいたのも、自分たちは他のメンバーよりも格が上だというアピールをしているようで、本当に申し訳なかった

古典はもちろん、コンテンポラリーから果てはフラメンコからタンゴまで、非常にヴァラエティーに富んだ内容で、休憩もはさんで何と、3時間15分、十分堪能できた来年の”バヤデルカ”でルジマトフの踊りにまた出会えるのが、非常に楽しみだ。ガラとはまた違った素晴らしさを味あわせてくれることだろう


2005年11月05日

プーシキン美術館展ー美術館のよさはコレクター、キューレターで決まる!−

プーシキン10月22日から12月18日まで上野の東京都美術館でプーシキン美術館展ーシチューキン・モロゾフ・コレクションーが開催されている。

プーシキンについて初めて知ったのは90年ごろ、MOMAで開催された”Matisse in Morocco”展で集められたほとんどの作品がエルミタージュとプーシキンからのものだった素晴らしい作品を多く持つ美術館という印象ができあがった。次の出会いは93年だったと思うが、やはりMOMAで開催されたマティスの大回顧展で。世界中の有名美術館から集められたマティスの数々の名品の中でも、素晴らしいと思えた作品のタイトルを見ると、多くの作品にエルミタージュかプーシキン所蔵とあった特に”ダンス”には衝撃を受けた”ダンス”はMOMAの収蔵品でいつも見慣れていたのだが、なぜ傑作のひとつといわれているかまるで分からなかったこの時初めて知ったのだが、実は”ダンス”は二つのバージョンがあり、プーシキンのものはMOMAと比較にならないほど色彩もよりフォーブ(野獣的で大胆)で、躍動感も素晴らしかった傑作はプーシキン所蔵の”ダンス”だったわけだそれ以来、いつかはプーシキン美術館を訪れたいと思い続け、現在に至っている。今回その作品の一部にでも出会えて幸せだ

今回の展覧会は年代順ではなく、印象派、後期印象派、象徴派、ナビ派、野獣派、キュビスムと美術界の変遷に沿っていて、美術史の勉強にもなる

冒頭に飾られているルノワールの”ムーラン・ド・ラ・ギャレットの庭で”は、筆で書くのではなく、置くことで光による微妙な色彩の変化を自然のままに忠実に描いた初期印象派の秀作続く”黒い服の娘たち”は人物が自然に溶け込んでしまうことをおさえるために輪郭が強調され、筆に動きが加わっている。後期のルノワールの数多くの傑作の女性像につながる秀作で、この展覧会でのベストの一つといえる作品この2作品に続くピサロ、シスレー、モネなどの作品は純粋な印象派といえる。

次に展示される作品群はシニャックなどの点描派。筆触分割の筆の大きさが点にまで小さくなり、より緻密に描かれているが、色はといえば、実際の色からかけ離れた色が使われ始める。

ゴーギャン2作品とゴッホ1作品が続く。添付のゴーギャンの”彼女の名はヴァイルマティといった”が恐らくこの展覧会のベストの作品だろう赤、茶、緑、青、黄といったあざやかな色はいくらタヒチといえども本当の色ではなく、ゴーギャンが創り出した人口の色だ。自然をそのまま忠実に再現する印象派とは正反対の、人間の内面性を描く象徴派であるゴーギャンのこの作品では、タヒチの少女に威厳と神性が与えられているルノワールが同じ少女を描いたら無邪気に微笑んでいただろう

続いて展示されるのは、ボナール、ヴュイヤールなどのナビ派。二人の作品はすべて素晴らしかった自然や人物を日常のままに描くと言う点では印象派に近いが、色使いは画家が造り上げた人口色と言う意味で象徴派と似通っている。

マティスの”金魚”になると色使いはまさに野獣派で、鮮やかなピンク、赤、緑といった色の洪水、そしてすべてが平面に描かれ、完全に作り物の世界になる印象派の絵は、同じ風景を写真に撮ってPCで操作すれば、造り上げることが可能だろう。それは自然に忠実だからだ。象徴派以降の絵画を、同様の手法で作成することは、不可能だろう

マティスの盟友、僕のお気に入りのアンドレ・ドラン(特にMOMAの”Bathers”)の”水差しのある窓辺の静物”は非常に興味深い作品だった。室内の静物がセザンヌ風の、無駄を排したキュビスムに通ずる作品、反対に屋外はルネッサンス絵画に見られる空、山、木が連なる風景で未来と過去の画風を一つの絵に凝縮している実験的な作品といえようこの後ブラック、ピカソのキュビスムの作品、そしてピカソの青の時代の”アルルカンと女友達”という秀作で展覧会は幕を閉じる(途中に版画が多く展示されていたが)。

この展覧会で感じたことは、プーシキン美術館が素晴らしい美術館なのは、やはり偉大なコレクターであったシチューキンとモロゾフに負うところが大きいということだ。前述のマティス展に出品されたエルミタージュ、プーシキン両美術館の作品はほとんどすべてが二人のコレクションということからも、二人の鑑識眼がいかに優れていたかが読み取れる。同じ時代に日本にも二人のようなコレクターがいたら、キューレターがいたら、上野の多くの美術館でも海外の美術館のように常設展で人が呼べただろうに子供のころからピカソ=ゲルニカ、モネ=睡蓮とか画家の名前のみを暗記するのではなく、画家の作品に触れて、画家を理解できる場があっただろうにと思うと本当に残念でならない。

たられば行ってても無駄なので、このへんにして。モスクワまで行けない人は是非上野まで足を運んでみてください、価値ありの展覧会です