2005年06月

2005年06月16日

検索連動型広告の棲み分けは可能か?−長期戦かも?−

LD現在日本のPCインターネット業界には5つの検索連動型広告媒体社がある(モバイルを含めると7社であるが)。オーバーチュア、グーグル、弊社、ルックスマート、リストップである。2004年の日本の検索連動型広告市場が350−400億円とする。弊社以下3社の検索連動型広告売り上げは、ルックスマートのライブドアにおけるペイドインクルージョン効果を除くと8億円ぐらいか?すなわち2004年には98%の市場がオーバーチュア、グーグルで二分されていることになる一方、米国では15社ものキーワード広告媒体社が乱立している。もちろん市場が大きいこともあるが、一番大きな理由は各社の棲み分けができていることであろう
 
なぜ米国は棲み分けができていて、日本はできていないのか?いくつかの理由がある。まず、以前ブログで述べたように、ユーザーの検索レベルが高いことだ。ヴァーティカル・サーチが発達し、どこにでも検索窓がついている米国では、検索をする場所が大手ポータルとは限らない。価格比較サイトで検索することもあるし、ニュースサイトで検索することもある。オーバーチュア、グーグルがそうした全てのサイトとパートナー契約を結ぶわけではない。そうなると自然とファーストティア(ヤフー、AOL、ライコスなどの大手ポータル)はグーグル、オーバーチュア、セカンドティア(ショッピングドットコム、タイムワーナーなど大手のニュースサイト、価格比較サイトなど)はグーグル、オーバーチュア、たまにはルックやファインドファット、サードティア(それ以下の中小サイト)はファインドファットやルックスマートという棲み分けが出来てくる。日本でもサードティアのサイトをリストップ、ルックスマートが開拓しているので、棲み分けはされているかもしれないが、日本では検索はデフォルトページで行う人がほとんどなので、大手ポータル以外の検索数が極端に少なく、検索連動型広告が商売になっていない点が、米国との大きな違いだ。ユーザーがいろいろなサイトで検索するようになることが、棲み分けの第一条件だろう。
 
第二の理由は、国民性の違いか現実主義の米国では、日本人のようにエルメス貯金をして、自分の家賃の数倍もするバーキンを購入しようという人もいない自分の身の丈にあったもので満足する。もし、広告主が1万円の広告予算しか持たなかったら、一瞬で消えるオーバーチュア、グーグルに広告を出すよりも、ファインドファットを選ぶのが普通だろう一方、ブランド主義の強い、”みなが使うから私も使う”嗜好の日本では、逆である皆がヤフーに掲載されるオーバーチュア、グーグルに掲載されるグーグルを選ぶ。実際、弊社のお客様でも、オーバーチュア、グーグルで効果がよかったから、ジェイ・リスティングを試してみたいという広告主がほとんどである両社よりもコストが安い弊社やリストップを、グーグル、オーバーチュアの代わりに選ぶお客様は残念ながらまずいないわけだオーバーチュアがメルセデス、グーグルがBMWとすると、皆がメルセデス、BMWに乗りたがる日本人のブランド志向、高級志向は何とかしてほしいものだ弊社もブランドにならなくては!
 
第三は広告代理店の重要性の違いだろう。米国では広告主のマーケティングレベルが高く、基本的には代理店を使わずに、自分でマーケティング・ミックスを決める。ブランド価値が高い、消化額が大きいグーグル、オーバチュアよりも、消化は悪いが値段が安いルックスマート、ファインドファットを選ぶこともある。一方、日本では広告代理店が広告主に販売するのが普通で、媒体の直接販売は小さい広告主に限られる。弊社、ルックスマート、リストップを代理店が積極的に売りたがらないのは、予算が消化されないからである。代理店様に売っていただく努力が必要だ。弊社の場合は、代理店様の手間がかからないようなビジネスモデルを採用したりいろいろ努力をしているが、やはり消化が大きくならないと限界がある
 
第四はまだワード価格が高騰していないことだ。ナショナルユーザーが加われば多くの予算が検索連動型広告に流れてこよう。そうなると、当然オークションモデルにより、ワード価格は上昇する。さらに、ユーザーの検索レベルがあがり、複合語などのクリック数が増えれば、幅広いワードで、オークションモデルのキーワード価格は上がる続ける。そうなると、さすがの高級志向の日本の広告主も、グーグル、オーバーチュアを買えなくなってくるはずだ。その時初めて棲み分けが完成するのだろう!
 
まとめると、棲み分けが完成し、弊社のマーケットシェアが上昇するためには、1.ヴァーティカル・サーチが発達し、ユーザーがいろいろなサイトで検索するようになる、2.ユーザーのブランド志向が薄まる、または弊社のブランド価値があがる、3.弊社の予算消化額が増える、4.ワード価格が高騰するの4つである。
 
時間はかかるかもしれないが、ユーザーを啓蒙し、広告主を啓蒙し、広告編集改革でCTRを上昇させ、ライブドアの検索数を増やすという作業を1歩、1歩すすめ、弊社のマーケットシェアを2年以内に5%に持っていきたいものである。2年後には検索連動型広告市場は1000億円を達成するだろう。その際に5%のシェアをとれば、弊社のPCでの検索連動型広告市場での売り上げは50億円となる夢のような話だが理論上は可能である

2005年06月14日

キングダム・オブ・ヘブンーアレクサンダーと同じ反戦映画ー

kingdom of hezvenキングダム・オブ・ヘブンは十字軍映画としては異色の作品だ。主人公は十字軍の歴史の中でのヒーロー、リチャート獅子心王ではない。彼は最後に一瞬登場するだけだ。彼とサラディンとの攻防は第3回十字軍(1189−1192)であるが、今回の舞台はその直前、1184年から87年である。当然、登場人物も十字軍に参加したヨーロッパの王侯ではなく、エルサレム王国の騎士たちだ。

それでは、なぜこの時代のエルサレムが選ばれたのだろうか?恐らく歴史上、この時代のエルサレム王国が、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が仲良く暮らす平和な国家だったからだろう。血で血を洗う争いを繰り返す現代のエルサレム王国、イスラエルに対する平和のメッセージといえないだろうか?

映画は史実をもちろん脚色しているが、イベリン、ギー、ボードワン4世、サラディンなどは実在の人物である。ボードワン4世とサラディンとの信頼関係により、エルサレムは3つの教徒が仲良く暮らしているふうに描かれている。この当時はルネッサンス以前の中世暗黒時代であり、イスラム教徒国家がキリスト教国家よりも遥かに文化的に進んでいた。イスラム教のほうが異教徒に寛大で、十字軍以前には信仰の自由があった。その伝統を引き継ぎ、ボードワン4世は平和のために異教徒サラディンと講和を結び、異教徒の信仰の自由を許していたわけだ。

しかし、ローマ教皇は聖地奪還の聖戦を主張し、狂信者は異教徒との共存を望まない。映画の中では、テンプル騎士団を率いるルノーがイスラム教徒を惨殺し、部下の騎士団員が絞首刑にされるシーンが出てくる。”教皇が認めていることだ、異教徒を殺して何が悪い”とルノーはほえるが、”キリストも、ここの王も異教徒殺しは望んでいない”というボードワン王の意思を汲み取る腹心ティベリウスの言葉が印象的だった。現代に置き換えると、”これは十字軍だ”と吠える、信心深いアメリカ大統領の命令で、イラク侵攻が行われたが、このシーンはまさにアメリカ大統領へのリドリーのメッセージとして私には伝わってきた。教皇=アメリカ大統領、十字軍=イラク遠征軍である。しかし、現代でも多くの人が、そしてキリストも望んでいるはずなのは、ボードウィン4世と同じく平和である。

ギーの軍がサラディンに完敗した戦場跡で、王の腹心だったティベリアスがイベリンに語る言葉も、リドリーからのメッセージであろう。”最初は宗教のためだと信じていた、しかし現実は富と権力のためだった”と。イラク戦争に置き換えると”正義のためだと思ったが核兵器開発の証拠は見つからず、石油のためだった”と。

そういうわけで、この映画はアレクサンダーと同じく、プログラムなどでは一切触れられておらず、表立ってはいないが、分かる人にはわかる反戦映画である。主人公イベリンが父であるゴッドフリーから教わるのは、”王のために働け、王が亡くなったら民衆のために働け”というものである。平和と弱気もののために戦えということである。Noble Oblige、貴族としての義務である。ギーの軍が全滅した後、エルサレムをイブリンは守り抜く。サラディンとの話し合いで、エルサレムは明け渡すが、代わりに全員の国外脱出を手に入れた。現実のエルサレム王国は失ったが、一番大切である民衆の命、すなわち”キングダム・オブ・ヘブン”、天国の王国を守り抜いたわけである

現代の日本人は宗教心が薄いが、ある意味幸せかもしれない。あまりに宗教にはまり込むと、他の宗教を信じる人を許せなくなる。アメリカとイスラム教過激派の闘いはまさに現代の十字軍であるし、インドとパキスタン国境、インド国内で行われているヒンズー教徒とイスラム教徒の争いも終わる気配が見えない。キリストも、ムハンマドも、ビシュヌも皆こうした状況を本当に望んでいるのだろうか?

また難しい話になってしまったが、戦闘シーンなども大迫力で、娯楽映画としても楽しめるので、おすすめです。


2005年06月13日

ピナ・バウシュ”ネフェス”ーモダン・バレエと民族舞踏の融合ー

pina念願のピナ・バウシュを初めて見た踊りを見るのが好きだで、出張の度にオペラ座、ロイヤル・オペラ、NDTなどを鑑賞してきたが、クラシック・バレエよりもモダン・バレエがどちらかというと好きだ。また、民族舞踏好きなので、今までにケニヤ、スリランカ、タイ、バリ、トルコ、メキシコ、スペイン、アイルランドなどの舞踏を見てきた今回のピナ・バウシュが今まで見た中で一番の出来だったと思う

今回の公演”ネフェス”は劇団員が3週間イスタンブールに泊まりこみ、その際の印象を作品にしたそうだビザンチン帝国時代のコンスタンティノープルといわれた時代から、イスタンブールは東西文化が融合するオリエンタル(東洋)世界とオクシデンタル(西洋)世界の架け橋のような存在だった。今回の公演もそのイスタンブールを象徴し、ドイツ人中心の西洋人ダンサーと、インド人、インドネシア人、韓国人、日本人からなる東洋人ダンサーが入り乱れての東西融合を織り成していた西洋のクラシック・バレエを基礎に、ピナが演出した西洋風のモダン・バレエと、インド人ダンサー、インドネシア人ダンサーによる東洋の伝統的な民族舞踏とのミクスチャーにより、新境地を作り出している

インド人女性ダンサーがマハラジャ映画に出てくるように、甲高い声をだしながら、数千年変わらぬ音楽に合わせ、サリーかパンジャビ・ドレスを着て踊るなら、ただのインド民族舞踏だしかし、ピナの演出で踊るインド人ダンサーは白や赤のドレスをまとい、チルドアウト系の涼しい感じのヌーベルジャズボーカルに合わせて、モダン・バレエの要素もからめながら舞い踊るそこからの印象は暑苦しい、湿気の多いインドを思わせるものではなく、北欧の涼しい夏の夜といったものだこれこそ、まさに伝統的なオリエンタル民族舞踏と、オクシデンタル世界のモダン・バレエの融合といえよう

白いドレスを着たインド人女性ダンサーが頭にのせた天秤棒に、水を入れた二つのビニール袋を下げてしずしずと歩いてくる。音楽はトルコ風のチルド・アウトもの。そこに二人の男性ダンサーが現れ、女性ダンサーの足をそれぞれ片足ずつ持ち、最初は地面の高さから、一歩一歩歩くたびに、自分の胸の高さまで持ち上げていく。神秘的な音楽を聴きながらその情景を見ていると、聴衆は、まるで白いドレスの女性が空中浮遊しているような幻想にとらわれる。非常に美しいシーンだ

ピナの舞台の主役は女性だ。男性ダンサーも同じ数だけいるのだが、主役はあくまでも女性ダンサーだ。昨今のベジャール以来の男性ダンサー復権の動きとは正反対だ。女性演出家による、女性ダンサーのための舞踏団といえようか?いろいろな国籍のダンサーが官能的な、神秘的な、コミカルな、様々な踊りをエネルギッシュに演じている

今回のメイン・ダンサーであるインド人ダンサー、シャンタル・シヴァリンガッパは素晴らしかったパリ在住だがインド伝統舞踏の伝統を受け継いだ舞踏家だそうで、そういった意味でも東洋と西洋の融合にはうってつけだったのかも知れない。

もう一つ感心したのが、ダンサーが全て日本語での台詞回しを完璧にこなしていたこと。日本語でせりふを言うなんて面倒くさいことを、ダンスの練習だけでも大変だろうに、よくこなしているものださすがダンス・シアターというだけのことはある。この日本語でのいいまわしによって演じ手と聴衆との距離は飛躍的に近くなる勤勉なドイツの劇団ならではといったらいいすぎだろうか

ピナの舞台を残り全てみてみたいものだとりあえずDVDでも探してみよう


2005年06月10日

ミハイル・プレトニョフー気難しそうな巨匠、本当はいい人ー

ミハイルサントリー・ホールの聴衆の前に現れたプレトニョフはプロフェッサーという風格を備えていた観客に全く媚びることがなく、”うん、うん”という感じでうなづきながら拍手に応えている。ピアノまでたどりつくと、座るや否や、おもむろに弾きだした

曲はベートーベンのピアノ・ソナタ第7番。第1楽章からその情熱をぶつける演奏に、観客は緊張感を強いられる。まさに、真剣勝負といった趣だようやく第1楽章が終了し、”さあ緊張をときほぐし、一息つき、第2楽章の”悲しみ”の主題を堪能しよう”と思ったら、ほんの5秒ほどの合間でまた弾きだしたこれでは、会場にいっぱいいらっしゃるおじいちゃんたちは、咳払いもできないので、苦しいだろう

第2楽章も非常に重い主題に、重い演奏。息を抜く暇を与えられなかった聴衆は、その素晴らしい感情表現と超絶技巧のラッシュで、疲れを強いられていく第3楽章、第4楽章へもやはり、ほとんど間がなしに進行していく観客にあわせることなどせず、”ベートーベンの音楽に集中した精神状況を中断させたくない”という思いなのだろうまさに、商業主義に毒されていない、本物の巨匠だ思わぬ展開に、”この緊張感の中で誰かが物を落とすとかそそうをしでかしたら、公演ドタキャンで有名なミケランジェリのように、この気難しそうなロシア人は怒って帰ってしまうのでは”という思いがめぐったまさにその時、”バタン”という大きな音が会場に響き渡った”やばいよ〜”と思って顔を見るが、曲に集中していて気づかないのか、怒っているのか定かではない。難しい顔をしているのだけは確かであるそして、ありえないことが起こる上記のどちらの理由かわからないが、なんと、演奏を中断せずに、次の曲、ベートーベンのピアノ・ソナタ第8番”悲愴”へとなだれこんだのだ

第1楽章の演奏は私がもっているケンプ版などよりも遥かに素晴らしい演奏で、”あー、怒っているんじゃなくて、集中しているからそのまま演奏したかったのかな”と感じられた。しかし、極度の緊張をほぐすための楽章と楽章の間の数十秒の間を与えられず、さらに、曲と曲の間の数分間も与えられず、聴衆の疲労は濃くなっていく。真剣に聞いていると疲れるのである、ベートーベンはそれ以前のモーツアルト、ハイドンのロココ調の優美な、メロディアスな曲と異なり、このベートーベンの第7番から、人間の内面の情熱をほとばらせる曲が出現したわけである。当時の人の驚きは、ストラビンスキーの春の祭典に大ブーイングが起きた時に匹敵する驚きであっただろうモーツアルトならともかく、このベートーベンのソナタ2曲を、この巨匠の演奏で連続で聞くのはきついこの激情の第1楽章の後の第2楽章はそうした事情もあり、まさにラフティングで激流を抜けた後の、広い、静かな流れに出たときのように、激しい雷雨が去った後の静けさのように、いつもにまして美しく感じれらた

悲愴の後は休憩をはさんで、ショパンの24の前奏曲休憩でMUMMのシャンパンを飲んだので、気分も軽やか私が持っているポリーニ版に劣らぬ名演奏だったしかし、この夜のコンサートが最も盛り上がったのはアンコールだったアンコールは演奏時間も短く、1曲終わった後に巨匠が立ち去るので数分の休憩もとれ、聴衆は演奏に集中できる。そのため、遂に巨匠と聴衆の心が一つとなり、スタンディング・オベーションが起こるそうなると、巨匠はアプローズにうん、うんとうなずき、また座るや否や演奏を始める。リストの小曲を弾き終え、2曲目のアンコールが終わったところで帰ってしまったかわいそうな客も結構いた。しかし、巨匠と観客の一体感は強まっているので、2曲目のスタンディング・オベーションは1曲目よりも盛り上がったその様子を見ると巨匠は”ふー”と大きなため息をつくと、中曲を弾き始めた、ショパンのノクターンこの演奏は白眉だったもちろん、さらなる絶賛のアプローズが吹き荒れるすると、なんと、巨匠は4曲目のアンコールを引き始めたのであった

この4曲目のアンコールは流石にみんな予期していなかったので、感動していた。気難しそうで、観客のことなんかまるで考えずにマイペースで演奏する”やな奴”かと思ったが、それは単なる曲へ集中するための職人意識だったわけだ。本当は、疲れているのにアンコールを4曲も演奏してくれる”すごいいい人”だったのだ

あれだけ集中しながら、感情を入れ込んだ、しかも技巧の高い演奏を休みなしにしているわけだから、その疲れは並大抵ではなかっただろう聴いているだけでも、これだけ疲れたのだから3曲目のノクターンを演奏する前のため息は、”すごい疲れているんだけど、これだけ感動してくれているのだから、小曲ではなく、中曲を弾くか”という言葉の表れだったのだろう

かつて、LAでキーシンのリサイタルを聴いた時、5回のアンコールがあったそのときも感動したが、昨晩の感動には及ばないだろう。プレトニョフの本当のファンになりましたただし次回は曲にもっと集中できるように、曲と曲の間はもちろん、楽章と楽章の間にもっと時間をさいてほしいものだ


2005年06月06日

さよなら、さよならハリウッドー大衆迎合主義への風刺物語ー

ハリウッドウディ・アレンの2002年制作の新作”さよなら、さよならハリウッド”は痛快なウディ・アレン節満載の、風刺の効いたコメディ映画だ。こんな素晴らしい映画が、3年も遅れて公開されるのは非常に残念ではあるが、久しぶりに中身のあるコメディが見られて満足だ

ストーリーは、ウディ自身を想起させる過去に2回オスカーを撮った巨匠が、今ではすっかり落ちぶれ、妻にも去られ、しがないCM撮影監督になっている。しかしプライドだけは高く、そうしたCM撮影をいつも投げ出してしまう。そこに、彼の愛する街N.Y.Cを舞台にした大作のオファーが舞い込む。しかし、オファーしてきたのは彼を捨てた前妻と、その恋人が大物プロデューサーを勤める制作会社。この作品を撮らないと将来がないとエージェントになだめすかされ、監督をひきうける。しかし、極度の神経症が高じて、盲目になってしまい、それを隠しながら撮影をする羽目になるというドタバタコメディ

ノリはいつものウディ作品と一緒恋人のプロデューサーを説得してこの仕事をくれた前妻とのBARでのシーンは、冷静にビジネスとして映画の話をしていた次の瞬間に”なんで、僕を捨てたんだ、あんな金だけの男に走って”と豹変し、突然冷静な映画の話に戻り、また恨みがましい男に変貌するという繰り返しウディ映画ではよくあるノリである

金はないけど、中身のある、本物の男(この映画ではウディ演じる落ちぶれた巨匠)を捨てて、中身がない、くだらない、金持ちの、表面的な男(この映画ではハリウッドの大物プロデューサー)に走る女を攻め立てるのも、ウディファンなら見慣れたシーンだろう。彼の”女性は男を中身で選んで欲しい”というメッセージだ

いつも晴れていて、プール付きの家が並ぶハリウッドを浅薄さ批判し、N.Y.C.への愛を語るのも同じ大衆迎合の現代のハリウッド映画への批判もよく見かける。この映画でも、プロデューサーが編集前のフィルムを見て、大衆に合わせるような意見をいう風潮を批判し、監督が自分の美意識に基づいた映画を撮るやり方をよしとしている単純ではなく、ひねりのきいたハッピー・エンドも、複雑な心を持つウディファンにはたまらない

こうしたウディの映画が、アメリカでも都市の知識人には人気があるが地方では人気がなく、また日本でも一部のファンにしか受けないのも仕方がないのかもしれないSFXを多用したハリウッドの大作に、皆馴れすぎてしまったのが現実だろうからしかし、ヨーロッパでは人気なのは、それだけ文化人が多いからだろう。ただし、本来なら自分のファンなので感謝すべきを、”こんな盲人が作った映画がヒットするなんてフランスがあってよかった”と、難解なものを全てよしとするフランスの風潮を風刺してしまうところがウディらしい

ヴィスコンティ、フェリーニ、ベルイマンなど独自の映像美を貫く巨匠は過去のものとなった。現代の映画監督で、商業主義に染まらず、70年代のアニー・ホール以来変わらぬ姿勢(ベルイマンを意識したインテリアは別として)を貫いている存在はウディだけかもしれないいつまでも頑張ってほしいものである


2005年06月03日

広告編集がんばります!!−今月から消化が20%アップ!!ー

LD弊社のPC向け検索連動型広告だが、最近1キャンペーン当りの消化が悪くなってきた。キャンペーン数が増えているので、お蔭様で売り上げ自体は増えているが、キャンペーン当りの売り上げを上げないと、広告代理店様のモティベーションが落ちてしまう一生懸命売ってキャンペーン数が増えているのに売り上げが増えなかったら、やる気なくなるよね〜既にブログで述べたように、ライブドアでグーグルのアドワーズが弊社の広告の上に表示されるようになったが、それを補うだけの爆発的な検索数の伸びがないのが原因だ対策をスタートさせたので、検索数は中期的には大幅に伸びるのは間違いないが、短期的には難しい、ホリエモン頼りだ
 
1キャンペーン当りのの消化を増やすには3つの方法がある。上記の検索数と行数を増やすこと(この場合は検索数はグーグル効果で増えたが、行数が減り、下になりCTRも落ち、結果的にマイナスになっている)、次にECPC(単価)をあげること、そしてCTRを上げクリック数を増やすことの3つである。
 
まずECPCについてだが、弊社のチェック不足で低下している場合も相当あることが判明した。この点について改善すれば、消化は最低でも10〜20%は向上するという分析結果となった(ここでは語れないので、代理店様には後ほど詳しくご説明します)
 
次にCTRだが、広告のタイトル、紹介文を改善すればCTRは上がるはずである。この点は唯一部下に任せていて、私がタッチしてこなかった分野だ。今回、代理店様のモティベーションを上げるために、初めてこの分野について精査してみた。結果は弊社の紹介文については、他社と比べても遜色ないと代理店様にも聞いていたので安心していたのだが、改善の余地だらけだ
 
例えばセブンアンドワイのタイトルは”ネット通販だったらセブンアンドワイ”といった調子だ。こんなのうちの甥っ子でも書けるセブンアンドワイの他社との差別化要因は何かを考えると、”セブンイレブンで受け取り可能”だろう。これを何で入れてないんだ”もしかして24時間受け取り可か”と聞くと”そうだ”という。”もしかして無料か?”と聞くと”そうだ”という。それならば私の、サイトを見ないでも考えついたタイトルは”セブンアンドワイでお買い物、24時間セブンイレブンで受け取り可能、しかも無料”となる。このタイトル変更により、一緒に表示される他のECサイトとの差別化が図られ、クリック率が大幅に向上することとなるだろう。さらに紹介文も変更すれば効果はさらに上がる。このタイトル、紹介文変更で、例えばCTRが0.5%から1%に向上すれば、消化は倍増するこの例は極端だとしても、タイトル、紹介文変更でCTRを0.5%から0.6〜0.7%へと20〜40%向上させるのは十分可能であろう
 
もちろん、すべてのタイトル、紹介文が不十分なわけではない。中には立派な文章もあるわけである。しかし、なぜこうしたいい加減なタイトル、紹介文が存在するのか?一つは多忙によるコピペの氾濫だろう。他社にしても、弊社にしても広告編集は作業に追われている。コピペをして会社名だけを変える安易な道に走っても、不思議ではない。もう一つはうちの西窪が昨日の朝礼で指摘していたが、論理性の欠如だろう。他社との差別化要因を考えていけば、自然とコピペはなくなるはずだろう。ネットでのお買い物は○○という部分は一緒でも、その会社の特色を付け加えることになるはずだから
 
そういうわけで、代理店様のモティベーション向上のため、遂に私自身が広告編集業務に携わることになったとりあえず某代理店様に頼まれているピュア・アイ様が私の初仕事となる今回の見直しで、ECPCで10〜20%、CTRで20〜40%、あわせて1キャンペーンあたり、22%〜68%消化が増える計算となる
 
今月から最低でも20%、代理店様の売り上げは向上します最近ジェイ・リスティングを売る気がうせていた代理店様、びしばし売ってください、よろしくです
 

2005年06月02日

ブログランキングってーSEO業者対策なしの検索ランキング?ー

ブログ検索エンジンでの上位ランキングを狙うためのSEOは、日本でも相当普及してきたように思う。グーグル、YSTなどそれぞれの検索エンジンの特性を調べ、ページランクをあげるために、SEO業者は日々是研究の毎日であろう対する検索エンジンも、余り重要ではないサイトが検索上位にこないように、アルゴリズムを変えることに日々腐心しているその結果、検索ランキングはある程度は信頼できるものとなっている
 
それに対して、ブログのランキングはどうだろうか?SEO業者対策をしていない検索ランキングのようだもちろん、ライブドア社長日記のように、間違いなくランキングNO.1のブログもある。しかし、例えば映画ランキングの上位のブログを見てみると"本当にこれが上位なのか”といったことにもなっているなぜこういうことが起きるのか自分なりに検証してみた。
 
まず一番の理由はスパム(迷惑行為)であろう。例えばライブドア社長日記を見ると、堀江社長の書いた記事と何にも関係のない記事がたくさんTB(トラックバック)されている。なぜ、TBするか?PVの高いブログにリンクすることで、自分のブログを多くの人の目に触れるようにするためである。多くの読者はその記事に関係のあるTBやコメントを読みたいわけであるから、まったく関係のない記事をTBするのはスパムである。その中には関係がないどころか、中傷記事も含まれる。堀江社長のように大物で、そうした中傷を気にしない人もいるが、気にする人の方が多いだろう。スパムの対象となる人気サイトの、スパムを機械的に、もしくはパトロールで排除できるシステムが必要ではないだろうか?それはともかく、スパムによってランキングをあげている人が多く存在しているのが現実である
 
次はやはり全てにTBだろう私の場合は、”自分が書いた記事について他の人がどんな意見をもっているのだろう?”という興味でブログ検索をするわけだが、その中でTBしたいものは数件である。自分と同じ考えだったり、異なる意見でも納得できるもののみにTBをしているわけだ。しかし、TBしてきた記事の中には全ての記事にTBしている人も多く見られる私としてはそういうTBは全くうれしくない。私の記事に共鳴してくれてのTBではないからだ。しかし、多くの人はTBをしてもらった場合、TBを仕返すのが普通である。そうなると、全ての記事にTBする人は多くのページからTB、リンクされることとなり、当然ランキングはあがることになるだろう
 
さらに、一時ライブドアブログで1位にランキングされたブログのように、ブログの構造上の問題をついてランキングをあげてくる輩も存在するようだ
 
こうしたスパム行為と、TBしまくり行為、悪質なBEO?によって、本来ならランキングが下の人が上位にランキングされていることがあるのではないか
 
例えば映画好きの人なら、マスコミに出ている評論家以上の、世に埋もれた優れた評論を見たいのではないか映画ランキングで上位のブログに自分が気に入った映画を見つけて、気合を入れて見たら"退屈だった、3時間長かった、お尻が痛くなった”という調子じゃ、何のためのランキングか分からない
 
以上述べたように、ブログランキングと検索エンジンランキングは似通っている。そうなると検索エンジンと同様、こうした3つの(恐らくもっとあるだろうが)問題点への対処策をしっかり取り、信頼できるランキングを確立できたブログがユーザーの支持を得るようになるのではないだろうか
 
対処策、お願いしま〜す
 
 

2005年06月01日

社員の常に意識すべき5か条の遵守ー特に新人に効果的!ー

ジェイ・リスティングでは毎週一回、朝礼を行っている。朝礼の目的は、1.会社の方針、考え方の共有、そして2.日々の業務の情報の共有である。
 
毎週の朝礼は、各部からの状況報告(営業から営業活動報告とその週の予算に対する成果発表、ビジネス・デベロップメントからパートナー様(ビッグローブ様、エキサイト様、ライブドア様などの広告スペースを貸していただいているポータルサイト)に関する状況説明、広告編集からサイト登録審査サービスの状況報告、総務からの報告、ディレクトリー部からのディレクトリー状況報告、技術部からの技術状況報告)、最後に二人の社員からの一言と、社長のメッセージで構成されている
 
この朝礼にただ出席(英語で言うattend)するのではなく、きちんと参加(英語で言うparticipate)し、可能であれば質問をし、少なくとも熱心に他部門の責任者の報告に耳を傾けていれば、ジェイ・リスティングの状況についてすべて把握できるはずである。自分の日々の仕事という限られた領域にのみ関心を持つのではなく、視野が広くなり、会社の全体状況を把握した上で仕事を出来るようになる機会を与えている
 
さらに月に一度、社員の守るべき7箇条と常に意識すべき5箇条についてレビューを行い、ジェイ・リスティングの社員として共有すべき意識を再確認させている。まず、常に意識すべき5箇条として1.挨拶の徹底、2.ほうれんそう(報告・連絡。相談)の徹底、3.私をすてる、4.時間厳守と期限厳守、5.言い訳をしない、将来的には他責をしないをあげている。
 
まず、挨拶の徹底だが、営業の方ならお分かりだろうが、会った事もない人から”いっらっしゃいませ”と言われた経験がおありだろう。弊社が目指しているのもこういう会社である残念ながら、出社時の”おはようございます”、退社時の"お先に失礼します”も出来ていない社員が設立当初は過半数だったコミュニケーションの苦手なサーファー系の社員が多かったことが原因だが、1年かかってようやく全員が挨拶の出来る会社になれた
 
”ほうれんそう”の”ほう”も全くできていなかった報告もせずに、しかも勝手にいろいろやってくださるのでたまったものではない。しかし、この件も、毎日、毎日しつこく諭すことで、90%の人は出来るようになったと思うまだまだだ
 
会社の行きたい方向ではなく、自のやりたいようにやろうとする社員ばかりだった例えば車が弱いから車のカテゴリーを充実させろといっても、趣味のゲームサイトばかり入れてしまうという具合だ自分の趣味で好き勝手やって給料もらえるなんて、うらやましい”自己すてて、お客様の立場で考えろ、プロダクトアウトではなくマーケットインを目指せ”ということもしつこく言い続け、90%の人は出来るようになったと思うまだまだだが
 
時間厳守、期限厳守も意識がまるでなかったお客様から決められた期限も、スケジューリングをしないので、自然とホッケー・スティック型になってしまう。期限を守ろうとするどころか、すぐに言い訳を始める、他人のせいにするといった具合だった1年たって、ようやく期限厳守の意識はいきわたったと思う
 
会社設立以来、1年半、毎週欠かさず朝礼を行ってきた。そして、日々5箇条、次述べる7箇条について、口をすっぱくして指導してきた。社員全てが、会社のことをすべて把握し、5箇条を守れてしかるべきである
 
しかし、現実には達成度は3つに分かれてしまっている。一番成長著しいのが、ジェイ・リステイングが最初に務めた会社であるという若い社員である。大学中退者、新卒、学生バイトがひっぱっている部も存在する数ヶ月前まで、見るからにたよりなかった学生が、まだ色がつかず、真っ白なままの状況から鍛えたため、見違えるように立派に育ってきたどこの会社に出しても恥ずかしくないただ、そういう学生がさらなるチャレンジを目指して巣立っていってしまうことがあるのは残念だが、弊社では暖かく送り出し、飲み会には暖かく迎えるのをポリシーとしている
 
成長のスピードはそう早くないが、今までの蓄積も含めると一番しっかりしているのが、弊社のようなしっかりした教育を施していた会社から転職してきた社員彼らは、上記の5箇条も当然と受け止め、さらなる成長を遂げている弊社の屋台骨を支えて、代理店様からもおほめをいただく営業部は、この代表だ少ないメンバーなので、結婚退社などで主要メンバーが抜けると痛いはずだが、屋台骨がしっかりしているので安心していられる
 
成長はもちろん1年前と比べると相当しているのだが、それでもまだまだなのが、前職で社員教育をほとんどなされていなく、社会人経験も5年以上たってしまい、自分ができあがってしまっている社員頭では分かるそうだが、体がついていけないそうだ
 
社員のレベルとしてまだまだなジェイ・リスティングだが、この朝礼と5箇条、7箇条を継続していくことで、ほぼすべての社員が理想の社員像に、年内には到達することを目指している継続は力なり