2005年04月

2005年04月28日

尼崎脱線事故ー商業主義から安全第一主義への教訓となれ−

25日に起きた尼崎の列車事故の犠牲者が100人を超えそうとのことだ。当然のことだが、日本国民全てが、遺族の方々に心からお悔やみを申し上げたいという気持ちで一杯だろう。しかし、同時にJR西日本に対して怒りを感じている方も少なくないであろう。
 
今回の事故については複合要因でおきた訳で、事故の真の原因究明には時間がかかるとマスコミは火消しに躍起(?)だが、多くの人々が原因の一つは23歳の運転士にあったと考えていることは確かだろう。1.車掌時代の2度のミス、一つはブレーキをかけることを指示すること忘れたというもの。もう一つは目が虚ろだと指摘されたというもの。そして昨年5月に運転士になりたての6月に起こした100メートルものオーバーラン。この3つから想起される不安は、果たしてこの運転士の精神状態は正常だったのかという疑問だ。目が虚ろだと乗客に指摘されただけで処分を受けること自体がまず理解し難い。それだけで処分したということは、何か目が虚ろになる原因をJR西日本当局が認めていたということにはならないだろうか?目を虚ろにさせるものとして瞬時に思いつくのは、精神的な病、薬、酒の3つであろうか。そしてこの3つは全て精神を麻痺させ、瞬間的な判断力を低下させるものだ。車掌時代の指示ミス、オーバーランにつながってくるわけで、やはりこの精神的な病、薬、酒などにより、この運転士の瞬間的な判断能力が低下し、こうしたミスが起きたと想起される
 
問題は、なぜこうした車掌時代に2度も処分されたこの運転士を昨年5月に運転士にし、さらに6月のオーバーランの後も処分期間が過ぎた後に運転士を続けさせたかということだ。マスコミによると国鉄民営化による採用抑制で若い運転士に頼らざるを得なくなり、教育が行き届いていないためこうしたミスが起きたという。しかし、問題なのは教育をうけていない若者にあるのだろうか?私はそうは思わない。若くても優秀で、ミスをおかしておらず、ミスを犯す不安を感じさせないのなら問題ないのではないか?問題なのは年齢ではなく、この運転士の誰にも不安を起こさせる過去の経歴だ!!
 
かつて逆噴射という流行語を生んだ羽田沖墜落事件というのがあった。私は今回の事故の記事を読んで、すぐにこの事故との類似性に思い至った。この事故を起こした機長は若者ではない。ベテランである。しかし、精神状態が安定していなかった。私の記憶が正しければ、その大惨事を引き起こす前にも、パイロットとしての適性不足が指摘されていた。しかし、会社は温情で彼にパイロットとしての仕事を続けさせた。そのことが事故につながった。
 
今回の運転士も明らかに運転士としての適正があるとは言い難い。この大惨事の直前の停止駅でもにも40メートルのオーバーランを犯している。私が駅員だったら、その時点でその運転士を運転台から引き摺り下ろし、運転をやめさせるだろう。この運転士は以前にもオーバーランを引き起こしている問題運転士なのだから。車掌が行ったことはこれと正反対で、40メートルのオーバーランを隠蔽し、6メートルと報告することだった。隠蔽行為が許されないことは、最近起こった自動車メーカーの件で周知されていると思っていたが、残念ながらそうではなかったようだ。
 
パイロットにしろ、運転士にしろ人の命を預かっている仕事である。温情主義で部下をかばうなど言語道断である。部下に厳しくするのはできれば避けたいし、飴ばかりを上げたい気持ちはもちろん分かる。しかし、こうした命を預かる職場では許されることではない。こうした部下への迎合と、私鉄との競合による商業主義が重なり合って今回の大惨事が起きたのではないか?
 
交通機関に求められるのは利便性もあるが、安全が第一である。余裕をもった安全第一のダイア組み換え、安全を最重視した車両導入、そして安心して命を預けられる職員による運営体制が求められている。
 
 

2005年04月25日

サイト審査サービスはブレークするか?

Jentry4月13日のSEMPO JAPANの調査では企業の7割のウェブマーケティング担当がSEMを信用しているそうだが、インターネット業界では、SEMという言葉を知らないと恥ずかしいというところまできたのではないか?SEMを大別すると1.ディレクトリーへのサイトの登録、2.SEO(サーチエンジンで上位に表示されるようにサイトを最適化する)、3.キーワード広告の導入となる。ヤフージャパンでも順番として、まず最初にディレクトリーへの登録を勧めている。つまりディレクトリーへの登録はSEM業者が最初に行っているということになる。ヤフーのビジネス・エクスプレス、ついで弊社の登録審査サービス、ジェイ・エントリーへの登録がSEMの第一歩ということになる。
 
ジェイ・エントリーに登録すると、ライブドア、ビッグローブ、エキサイト、DION,ODNなどの大手ポータルサイトを始めとする上図の弊社パートナーサイトのディレクトリーに、お客様のホームページが登録される。ディレクトリーのシェアーではヤフーに次ぐ規模である。わずか3万円(特定サイトは別料金)の審査料を一度払うだけで上記のポータルサイトに登録され、検索エンジンにもクロールされやすくなるわけだ。数十万円の費用がかかるSEOや、毎月数万から数百万の費用が発生するキーワード広告を始める前に、まずジェイ・エントリーへ登録することを、自信をもってお勧めする
 
しかし、SEM業者はこのディレクトリーへの登録は収入にならないと考えているようだ。ヤフーのビジネス・エクスプレスを登録してもコミッションが発生しないためだ。こうなるとSEMにとってマストであるヤフーのビジネス・エクスプレスはともかく、ジェイ・エントリーへの登録をSEM業者が勧めるモティベーションがなくなってしまうそれは大問題だそこで考えましたジェイ・リスティングでは、ジェイ・エントリーへの登録をまとめて申し込んでくれたSEM業者に、15%のコミッションをお支払いしています全国のSEM業者の皆さん、是非弊社のジェイ・エントリーへの登録をお願いいたします
 
さらにジェイ・エントリーにとっての朗報はヤフーが商用サイトについての無料登録を3月31日をもって中止したことである。ヤフーに無料で登録されたのに、なんでジェイ・リスティングに有料で登録しなければならないんだと憤慨し、登録していただけなかったお客様でも、今後は有料が当たり前と考え、ジェイ・エントリーに登録してくださるだろう
 
全国の企業がホームページを作成した後にまず行うことが、ビジネス・エクスプレスとジェイ・エントリーへの登録ということになれば、ジェイ・エントリーの将来は薔薇色だ全国のSEM業者の皆様、よろしくお願いいたします
 
 

2005年04月22日

カリフォルニアのピノ・ノアールーコストパフォーマンス最高!−

pino 映画”サイドウェイ”のヒット後、アメリカではピノ・ノワールがブームとなっているらしい。レストランで白ワインだったら”シャルドネ”、赤ワインだったら”カベルネ・ソーヴィニヨン”と馬鹿の一つ覚え(失礼)のように注文していたアメリカ人が、最近は”ピノ・ノワール”を頼み始めたそうだワインショップでも皆が”ピノ・ノワール”を購入はじめたそうで、先日見たスカパーの番組でも、ショップオーナーが”昔からあるのにねー”と苦笑していたのが印象的だった。
 
アメリカ人は元来ビール好きで、皆がワインを飲み始めたのは80年代ぐらいでまだ20年もたっていない。繊細な味わいを特徴とするピノ・ノワールはワインに相当詳しくなって初めてよさが分かってくるとされ、元々舌が肥えていて、さらに、経験を積むまでは、カベルネ・ソーヴィニヨンを主とするボルドー型を好むのが普通だ。まして元々マッチョ嗜好というのもあるのだろう、女性的な繊細な味わいで力強さのないピノは彼らには好まれないボルドーではカベルネ・ソーヴィニヨンを中心にカベルネ・フラン、メルローもブレンドするのだが、こうした"軟弱”なブドウを混ぜるのを好まず、カベルネ・ソーヴィニヨン100%のワインを多く産出するのがアメリカ人だ私の友人のアメリカ人のワイン・コレクター連中でも、”俺はバーガンディー(ブルゴーニュの英語発音、ぶどうはピノ・ノワール)は嫌いだ”と公言している人が多かった
 
しかし、このアメリカ人のピノ嫌いが素晴らしい結果を引き起こす。ピノ・ノワールの価格がアメリカでは格安ということだ価格は需要と供給で決まる。カリフォルニアは石灰質の土壌、海から吹きつける風などにより気難しいピノを栽培できる土地を多く抱え、供給量は多いしかも、質がよいカレラ・ヴィンヤードのジャンセン氏はピノを生み出す石灰岩の土地を衛星を使って調べて、そこにヴィンヤードを建てたという噂があるくらいだ。しかし、上記の理由で需要は非常に少ない。その結果、カリフォルニアワインのピノ・ノワールの価格はカベルネ・ソーヴィニヨンのものより遥かに安い
 
ワインの本場フランスではどうだろう?どこでも栽培できるカベルネと異なり、よいピノ・ノワールを栽培できる土地は非常に限られる。本来供給が少ないわけだ。しかも、フランスでは人気も高い。舌も肥えていて、ワイン経験も長いためピノ人気が高いわけだ。誰もが知っているピノの王様ロマネ・コンティは数十万円、それに対しカベルネ・ソーヴィニヨン主体のボルドー型の5大シャトーは数万円、10倍以上の値段の開きがある。つまり、フランスではピノがカベルネ・ソーヴィニヨンよりも圧倒的に高いのであるアメリカでは逆転現象が起きているわけで、世界中を視野に入れると、アメリカでは上質のピノが破格的に安い価格で手に入ることになる
 
この現象を利用し、私は90年代後半、アメリカ出張の度にピノ・ノワールを買い続けてきたノース・カロライナのデューク大学の側の地元の紀伊国屋のような高級スーパーには、ワインショップが併設されていた。そこでなんと、ブラインドテストでロマネ・コンティに勝ったとされる上記のカレラ・ヴィンヤードの"ジャンセン”と出会えたワイン通のオーナーが仕入れたのだろうが、ピノが不人気のため売れなかったのか、この幻のワインがなんと10%ディスカウントされているありえないボストンやニューヨークでも、サンフランでも手に入らない、カレラ・ジャンセンがまさに偉大なる南部だからであろうジャンセン2本、リード3本を購入できた価格はロマネ・コンティの百分の一以下である写真の”Brown Ranch”は上質のピノ・ノワールを産出すると評判のSanitsbary社の特別醸造品である。以前の会社の米国本社のアメリカ人の友人に教えてもらった、ボストンの郊外にあるワイン通向けのショップで手に入れた2本だけ仕入れていたのを当然2本とも購入した$75もするピノを97年当時買う人など、ワイン通の多いボストンでもいなかったわけだ。このワインなど日本では存在も知られていないのではないか他にもウイリアム・セリウムの一番上のビンテージなど多くのレア品をコレクションに加えることができた。今でも家のセラーに眠っている
 
今後カリフォルニアのピノの値段は需要増と共に、上昇してくるだろう。カリフォルニアのワイナリーに出かけるワイン好きの皆さん、Opus oneを買う代わりに、レアなピノを買われることをおすすめします
 
 

2005年04月20日

スペイン現代写真家10人展ー近代化以前の古きよき姿ー

Spain3月19日から4月24日まで恵比寿の東京都写真美術館で開催されている、標記の写真展にでかけた。作品の数は余り多くなく、30分もあればゆっくり見られる規模だったが、内容は非常に充実していた
 
まず目に入るのが、会場入り口の手前の壁にかかっているフアン・マヌエル・カストロ・プリエトのものだ。その作風はモノクロの哀愁を帯びた、逆光を多用した作風で、私自身の作風にちかく、一番好感が持てたまず目に入ってくる作品は、ラ・マンチャを思い起こさせる風車が、曇天の空にかすかに差し込む太陽の光の中に浮かび上がるという幻想的なものだ。サラ・ムーンを思い起こさせる、光を抑えた、やわらかい逆光の作品だ。隣の作品は、くもの巣の張った廃屋の台所を撮ったもの。その窓のすりガラスからは、ぼやけた風景が見える。窓の内側には、アクリル製かと思われる小さな透明な人形が、後姿で立つ。ドイツ表現主義の画家の作品のように、我々はその人形を通して外の世界を眺める。水族館の水槽を撮影した作品では、魚だけではなく、水槽の向こう側の入り口に立つ父親と少女が、水を通して光が屈折してぼやけて映っている被写界深度を浅くし、遠景をぼかした野原が背景の作品には、わざとピンボケさせた二匹の犬が頭を突き合わせる様が浮かび上がるが、遠くから見るとまるで闘牛のようだ作者の内面的な深さを感じさせてくれる内容の濃い、素晴らしい作品群だった
 
会場を入って正面に飾られたリッキー・ダビラの作品はいわゆる肖像画だ。いろいろな階層の、いろいろな出身の人々の”胸像”が並ぶ。それぞれの人生が刻まれていて、引き付けられる。
 
イサベル・ムニョスは”瞬間”をとらえているアクロバット曲芸者、フラメンコダンサー、バレリーナなどの極めつけの瞬間をとらえるのは並大抵ではないだろう。何百枚を撮影した中の数枚だけがここに飾られているのだろうアルハンブラのようなイスラム風文様の壁を背景に跳躍している男性フラメンコダンサーの作品は、まさに瞬間をとらえている女性フラメンコダンサーの手の動きと表情の美しさを捉えた作品は、石柱に映る影により、さらに魅了される
 
アルベルト・ガルシア=アリックスの作品では2作品が印象に残った。まず”雌猫”だが、まさにそのイメージどおりの切れ長の目で、大きく薄い唇を持つ若い女性のトルーソを撮った作品である。背中と髪の毛、腕が作り出すシルエットが美しいはっきり覚えていないが、”私の中にある女性的な面”とかいったタイトルの作品では、ストーンズのキース・リチャーズ風の龍の刺青をいれた中年男性が、黒い、薄手の、網目のワンピースをまとい、哀愁を帯びた目で訴えかけてくる私の違う面も見てというような風情で。人物の内面を、正面からとらえた単なる肖像画ではなく、ポーズなども含めて、映し出す作風
 
長くなってきたのであと一人を紹介する。クリスティーナ・ガルシア・ロデロの作品は田舎の祭りと儀式を映し出す。長いろうそくを持つ3人の中高年女性と少女と羊をメインにとらえた作品では、向かって左手の老女の表情が、なんとも奇妙な、まるでこの世のものではないものをみたかのような表情をしている。我々には何を彼らがみているのか分からないので、ますます興味がわいてくる少女はどんぐりのような形に口を開け、両目を右側によせているが、こんなに驚いている少女の表情を今まで見たことがあるだろうか無表情に見える羊もよく見ると顔に化粧が塗られている。近代化がすすんだ現在の日本では到底見られない写真である顔のほとんどを布で覆い隠し、十字架を背負い、裸足で歩く8人の巡礼の写真は、彼の地での信仰の強さを思い起こさせられたスペイン人は信仰心が強く、教会では常に礼拝が行われていた旅の記憶があるが、その教会での礼拝の場面が脳裏をよぎった。スタンプ集めのバスツアーが盛んなどこかの国とはえらい違いだ
 
日本ではまだ写真の芸術としての評価が欧米に比べて低いと思う。展覧会の常連である中高年にそうした意識が低いのは幸いで、まるで欧米の美術館にいるかのようにゆっくりと作品を鑑賞できて大満足だった
 
そうはいっても、写真集をクリスマスプレゼントに送る欧米とは異なり、日本では写真集というとヌード写真集かアイドル写真集が思い起こされる。この点は何とかならないものだろうか?
 
 
 

2005年04月18日

PAL方式のDVDプレイヤーーヨーロッパ版DVD再生可能ー

Bebo & Cigalaワールドミュージックが好きだヌーベル・シャンソン、フラメンコ、イタリアン・ポップ、MPB,ライ、ハワイアン、インド、香港などほとんどの国の音楽を聞くその中でも特に好きな国を挙げるとブラジル、イタリア、フランス、スペインとなるCD,レコード合わせて1000枚くらいかな〜
 
ワールドミュージックのCDは、最近は日本でも簡単に手に入るようになってきた。ワールドミュージック・ラヴァーにとっての問題は、DVDである。特にヨーロッパものが深刻だブラジル音楽のDVDは日本でもある程度は手に入る。ブラジル音楽は日本、アメリカで人気があり、アメリカ版のオールリジョンのものか日本版で、手に入るわけだ(日本とアメリカではリジョンコードが異なるが、同じNTSC方式のためオールリジョンのものはOK)。ヨーロッパものが手に入らない理由としては、ヨーロッパ音楽が日本では人気がないため日本版は少なく、日本のNTSC方式とヨーロッパのPAL方式が異なるため、ヨーロッパ版は日本のDVDプレーヤーでは演奏できないためだ
 
しかし、どうしてもヨーロッパもののDVDが欲しい特にフラメンコドットコムでビセンテ・アミーゴやBebo&CigalaのPAL方式のDVDを見つけてからは、この気持ちが抑えられなくなった弟がヨーロッパ輸出向けのPAL方式のLDプレーヤーを持っていたことを思い出し、秋葉原にヨーロッパ仕様のDVDプレーヤーを探しに出かけた。最初に立ち寄った老舗のオーディオショップ”テレオン”で見つけたのが、DENONのDVDプレーヤー”DVD3910”だ。このプレーヤーは日本向けなのだが、NTSC/PALが両方再生可能だという。日本とヨーロッパは同じリジョン2なので、このプレーヤー1台で、日本製、ヨーロッパ製両方のソフトが再生できるのだこのDENON”DVD3910”をその場で買って、持ち帰ったのは言うまでもない
 
その後は上記のフラメンコドットコムでビセンテ・アミーゴとBebo&CigalaのPAL方式のDVDを注文、無事に3日後にスペインから小包が届いたこれに合わせて5.1chスピーカーもB&Wの7シリーズに買い替えた
 
無事接続も終わり、SEAC社の光コードもサラウンドアンプと新DVDプレーヤにつないだ本当に映るのか?期待と不安が半々ぐらいの気持ちでDVDプレイヤーのプレイボタンを押すと、Bebo&Cigalaの映像が映った、まさに感動ErosやPatriciaKassのLDをフランスで購入してきて、映らなかった時の雪辱が遂に晴らせたB&Wのサラウンド・サウンドと50インチPDPの映像も圧巻だ
 
その後の1時間はまさに至福の時間ジプシー臭を漂わせるロンゲで、ひげを生やし、ホアキン・コルテスをさらに濃くした顔のCigala,その歌声は力強く、哀愁を漂わせ、絶品である。そこに加わるフラメンコ・ギターとアコースティック・ベース。それだけでも素晴らしいのに、そこにBeboのピアノがかぶさる。丸い眼鏡をかけ、大学教授といった風貌のBeboはまさにピアノの魔術師である。独特のアレンジでCigalaのボーカルを引き立たせていく。彼に比べるとキューバの魔術師と呼ばれるカミーロもまだまだであるトマティートとこのカミーロのデゥオアルバム”スペイン”が名盤と言われているが、このカミーロのピアノをさらに変幻自在にし、その上に現代フラメンコでも最高のシンガーが加わった感じといえば、いかにこのDVDが素晴らしいか理解していただけるだろうか?”スペイン”など比べ物にならない素晴らしいできである。
 
私の1000枚のワールド・ミュージックのコレクションでもトップ10に入る極上アルバム!!それが音だけでなく映像も加わるわけだ。この二人が来日することなどまずありえないであろうまさに幻の映像であるこのDVDを見れただけでも、PAL方式のDVDプレイヤーを買った甲斐があった
 
その後はPAL方式のヨーロッパ版DVDを探して、ネット・サーフィンしてま〜すAmazon.frにも行ってきてエティエンヌ・ダオとジャック・デゥトロンのDVDをゲット特にデゥトロンはかつて重い思いをしてフランスから持ち帰ったLDの1枚だったので、手に入れた感激も一塩でした
 
ところで、2000年のITバブル崩壊以降、ヨーロッパのECサイトはイギリス、フランス、ドイツに限られているようで、アマゾンもイタリアとスペインのサイトがなかったのは驚きでした。私がかつて日本の社長を務めたフランスNO.1オークションサイト”オークランド”でもイタリア、スペインはもとより、日本、デンマークにまで手を広げていたのに。まあ広げすぎだったから日本、デンマーク、イタリアはすぐに閉鎖になったわけだけど
 
というわけで、エロス・ラマゼッティやMANGOなどイタリアのアーティストのDVDどこで買えるか、もし知っていたら、ぜひ教えてください
 
 

2005年04月14日

日本人の理解力はアメリカ人より落ちたか?ー受験の弊害ー

最近ブログで映画評論を書き始めたわけだが、共感できて、TBしたいと思えるようなブログを探すため、同じ映画のタイトルのついたブログを流し読みしている。残念ながら、TBしたいと思えるブログはほとんどなく、そのあまりのレベルの低さに驚いている。特に”サイドウェイ”への評価があまりに低いのに愕然とし、このブログを書くことにした。
 
”アビエイター”にしろ、オスカーこそ主要部門で逃したが、今回のアカデミーでも多くの賞にノミネートした秀作である。この映画の魅力は一言で言うと、伝説の人物ハワード・ヒューズの魅力につきる。大ヒットするハリウッド映画を作る、アメリカで1番の大金持ちになる、世界最速記録を打ち立てるという1つでもほとんど不可能に近い夢。それを3つとも現実に追い求め、もちろん才能、環境もあるが努力によってそれを実際に達成した人物の偉大さに共感し、憧れるという非常に単純な映画である。努力すれば何でも可能な自由な国というアメリカン・ドリームが息づくアメリカ人が酔いしれるのは当然であろう。
 
しかし、日本での評価はどうか?私が読んだブログでは共感できなかった、3時間は長くて疲れた、特に後半がだれたという意見がおおくみられた。この映画を見に行く目的も、夢を追い求め、実現した人物の人生に酔いしれるというよりは、レオ様を見たいという非常に軽いノリのほうが圧倒的に多いのではないか?そうなると、映画での前半でのかっこいいレオ様が、後半では気のおかしくなったオジサンになるわけだから退屈になるのもしょうがないのか?しかし、この映画は魅力はむしろ後半だハイライトとなる法廷シーン(空への夢を語り、負けて当然の法廷で勝利に導いたシーン)と、周囲にキチガイ扱いされながらも完成させた強大な飛行機が空に舞い上がるシーンはいずれも後半であるいつから日本人は、こうした、あることを達成したことという美への共感を、なくしてしまったのだろうか?私は見たことがないが、NHKの人気番組”プロジェクトX”に感動するのは中高年だけなのだろうか?
 
サイドウェイに至っては、アメリカのほとんどの主要都市の批評家協会賞を総なめにし、アメリカ中でピノ・ノワールブームを引き起こしているほどの大ヒット作だ。教養があるとかないとかではなく、人生の深みがある程度わかれば共感できる映画だろう。残念ながら日本のブログでの評価は非常に低く、退屈だとか、共感できないとか散々で、TBしたいものは1つしか見つからなかった。
 
それでは、なぜ日本のブログで、本家アメリカの一流批評家とは全く正反対の、負の評価が氾濫しているのだろうか?第一の問題は”オレ流”の氾濫であろう。ここでまず本当の”オレ流”について勘違いしていると思うのだが、落合監督は3冠王であり、歴史に残す不世出の野球人の一人だ。だからこそ”オレ流”が許されるのだ単なる市井の人が、なぜこれほどに自信を持ち、自分の意見をとうとうと述べられるのかは本当に理解に苦しむそこには権威あるものへの尊敬の念などまるでない映画についてはプロである批評家すべてが素晴らしいといっっていようが、どこ吹く風で、オレ的には退屈だったで終わりであるこの自己の能力への盲信はどこから来るのか?テレビゲームのやりすぎで、現実とバーチャルの区別がつかなくなっているのか、それとも教師への敬意の欠如が、悪い点数をつけている教師が馬鹿だとか、こんな学校の授業で点数が悪くても俺は天才ミュージシャンだから大丈夫だと思い込んでいるのか?この発想は非常に危険なものとなりうる。天才である自分を認めない社会への敵視は犯罪、無差別テロへと結びついていく。小学校への乱入事件、突然見ず知らずの人へ切りつけるなどの事件は、”すごい自分”を認めない社会への敵視からきているのではないか?この過大な自信と権威への尊敬の念の欠如が結びついた”俺流”が、こうした批判ブログが氾濫する第一の理由だろう。
 
私の感覚では、これだけの賞をとっている映画に批判を加えるのは非常に勇気のいることである。その批判が非常に説得力のあるのものでないと、数多く書かれた専門家による賞賛よりもすぐれたものでないと、恥をかくことになるからである。日本人の羞恥心の低下についてはいまさら述べるまでもないだろう。電車の中での飲食、化粧、馬鹿騒ぎ。こうしたことは10年ほど前まではマスコミを賑わせたが、今では話題にもならない 
 
3番目の問題は、日本人特有の”赤信号みんなで渡れば怖くない”の発想であろう。羞恥心のない少数派だった電車での飲食もこの”みんながやっているから大丈夫である”という意識により多数派へと変わる。この権威ある賞へを獲得した映画への批判も、1.過大すぎる自信2.羞恥心の欠如3.赤信号意識が重なり合い、圧倒的な多数派を占めるに至ったのだろう。
 
大分回り道をしたが、標題に戻る。この二つの映画への批判から考えられるのが、日本人の考え方に深みがなくなってきているのではないかということだ。20代の部下と接していて思うのだが、思いつきで物事を言い過ぎている。頭が非常に切れる部下でも考え方にもう一歩が足りないその少しで答えが変わるということは、多々あるものだ。この映画についての評でも分かるが、他人の意見を聞かず、じっくり考えずに感覚で”あー、長かった。オレとは合わなかった”で終わりである。
 
かつてはアメリカ人は皮相的で、考えに深みがないという声を耳にした。昔は確かにそう思った。”プロジェクトX”に感動するアメリカ人はあまりいないかもしれない。しかし、現在はどうだろう?アメリカ人はアビエイターとサイドウェイに感動できるが、日本の若者は長い、深みのある映画を理解できなくなっているのではないか?
 
受験の弊害で論述問題が国立を抜かしてなくなり、4択などの選択式や、記憶力のみを試されるようになり既に数十年たっている。我々の年代はまだ読書をしていたこともあり、この受験の弊害による読解力、論述力の低下を補っていたのだろうが、読書(漫画でも小説でも中身の濃いもののこと)もあまりしなくなった世代ではこの論述力、読解力が相当落ちているのではないか?
 
まともな小説を読ませ、その感想文を書かせるという教育をしていかないと日本の将来は非常に不安だ。教育の変化が求められている。
 
 

2005年04月12日

映画”サイドウェイ”−ピノ・ノアールのような味わいー

sidewey”サイドウェイ”は予想通り素晴らしい作品だった低予算の作品であるのに、ゴールデングローブ賞、ニューヨーク、ロサンゼルス、ボストン、シカゴなど多くの都市の映画批評家協会賞の作品賞をそうなめにした鑑賞後になぜか納得できたこの作品はアメリカ人に愛されるすべてを備えた映画といえるだろうアメリカ人に愛されるべき映画の特徴を洗い出し、それをすべて計算ずくで実現させたと考えさせられるほどに、すべての成功要素が詰まっている”アバウト・シュミット”の監督アレクサンダー・ペインは現代アメリカ映画界で最高の監督の一人だろう

1.スーパーマンのようなヒーローでなく、多くの人が感情移入できる、さえない、人生の落伍者が主人公である点、2.いい奴だけど駄目な主人公と、悪い奴だけどもてる親友との誰もがうらやむ固い友情、3.ネガティブ思考の、頼りない主人公が、ポジティブ思考、力強い人物へと変わっていく点、4.美しく、知的なヒロインの存在と、5.そのヒロインとわれらのさえないヒーローとのハッピーエンド、6.アメリカ人にとって最も欠かせない笑いはたっぷり、7.3人の主要な登場人物が、その性格設定も、役者の演技も、すべて素晴らしいこれ以上に何が必要だろう

まず主人公のマイルスだが、スーパーマンどころか、これほど情けない主人公も珍しい2年前に分かれた妻への未練が捨てがたく、彼女の再婚話を旅の伴侶の親友ジャックに告げられると、ショックで錯乱し、ワインをラッパ飲みしながら坂を駆け下りるシーンは、本当におかしくて、いつまでも、いつまでも笑える名シーンその夜の、ジャックがアレンジしてくれた、ずっと以前から気に入っている、ワインに造詣の深い、美しい、マヤとの4人での飲み会しかも彼女はマイルスに気があり、離婚したことまで分かっている離婚後初めての、素晴らしい出会いのチャンスだ(持つべきものは友だ)この最中にも目の前の美しいマヤのことよりも別れた妻のことが気にかかり、食事中席を立つと妻に電話をかけ、おめでとうというどころか、どんどん絡んでいき、墓穴を掘っていく!!その後席に戻るとワインをがぶ飲みし、むせ返る酔っ払いのマイルス本当に情けなくて、目をおおいたくなるシーンだその後のマヤの友人ステファニー家での2次会で、バルコニーでワイン論を語り合う二人”ピノ・ノワールは扱いが難しい、しかしうまく扱えば最高なものが生まれる、だからピノが好きだ”と語るマイルス。”ワインは生きていて、日ごとに熟成してピークを迎えるが、その後は徐々に下り坂になる、その味わいが人生と同じで、ワインに惹かれた”と、マイルスの腕に手をかけながら語るマヤ私のようなワイン好きにとっては、キスをして、その後プロポーズしたくなるような最高のラブシーンだこんな相手にめぐり合い、こんな雰囲気になったならところがマイルスは、キスどころか、”どの品種か忘れたが、その品種も捨てがたい”とか語りだす完全なトホホ状態で、アメリカの映画館ならみんながオーと叫んで頭を抱えているのは間違いないそのほかにも自分の小説の出版が駄目になったことを知り、ワイナリーでワインをがぶ飲みし、大暴れをして、追い出されるシーンなど、情けないシーンには事欠かない

親友のジャックはかつては人気のTVシリーズにも出演していた、典型的な軟派男、というか獣に近い。アメリカ人にはいつも”ホーニー”と叫んでいるこうした男がたまにいる。頭の中はSEXしかない。だけど憎めないキャラというところか?この超ポジティブ、マイペースの軟派男と、超ネガティブ、駄目男がなぜ親友なのかは最後のほうで分かる。間男をしたところを夫に見つかり、裸で逃げ帰ってきたジャックの、間男をした家に忘れた身分証明書入りの財布をとってきてくれという無謀な要求に、見事に応えるマイルス二人のかけがえのない友情が、笑いと共に読み取れる感動的なシーンだ

ヒロインのマヤの美しさ、聡明さ、強さはアメリカ人の理想だろう大学教授夫人という地位を捨て、しがない英語教師のマイルスを好きになるマヤ。夫と別れた理由が、大きいワインセラーを持ち、うんちくを語る夫が偽者だと気づいたからだという。金にあかせて高いワインを買い求め、高い頭脳でウンチクを語る偽者のワイン好きは日本にも多いだろう。ブランドにこだわらず、本当に味を分かっているワイン好きは少ない。マヤのその言葉に、私は一瞬で恋をした、彼女は本物だマイルスはお金はないが、ワインにかけては本物だ。ワインに奥深さを見出し、ワインに人生を委ねようというマヤがマイルスを好きになるのは、理論的にはおかしくはない。

しかし、残念ながら、現実にはこうしたことはまずありえないだろうワインを趣味にとどめず、ワインに人生をかける人は少ないだろう。また、情けないマイルスを選び、ワインに関しては偽者でも、成功者である、きれものであろう大学教授を捨てるような人物もなかなかいないだろう。アレクサンダー・ペイン監督も大のワイン好きだということだから、非常によく理解できるが、マヤがマイルスを愛するのは、ワインラヴァーにとっての、そうなってほしいというフェアリー・テールに他ならない

マヤのような女性と出会えていたら、私も独身生活に別れを告げていただろうに


2005年04月11日

食後のカプチーノーイギリス、アメリカのリストランテではOK−

カプチーノイタリアンは大好きだ先週もカノ・ビアーノ、レスタジ、リヴァ・デリ・エトゥルスキで食事をしたどのレストランも素敵で、旬の素材を使い、食材、調理法など多少の日本風な味付けをして(店によって異なるが)個性を出しているアメリカ、イギリスのイタリアン・レストランと比べても遜色がないむしろそれ以上かもしれないアメリカ、イギリスと比べた時の日本のイタリアンレストランの問題は、食後のエスプレッソにあると思う
 
カプチーノを飲むのは朝で(同じ意味では、フランスのカフェ・オレ、イギリスのミルク・ティーも同様だ)、それ以降はエスプレッソというのがイタリアの文化だ。BARで一日中、レストランでの食後には口直しに、エスプレッソに砂糖を入れ、かき混ぜて、一気に飲むこの風習に慣れているイタリア人が、イタリアで食後にカプチーノを頼む日本人を怪訝に思うのは至極当然だろう。
 
しかし、日本ではどうだろう?スターバックスでも皆が頼むのはカフェ・ラテ、カフェ・マキアート、カフェ・モカなどのロング・ドリンクで、エスプレッソを頼んでいる人はほとんど見かけないつまり日本人は濃いエスプレッソを飲みなれておらず、ミルクを混ぜて飲むのを好むということだろう。その日本人がなぜある程度高級なイタリアン・レストランでエスプレッソを飲むのか?それは1.ウンチク好きな日本人はイタリア人に習い、飲みたくなくてもエスプレッソを飲む2.気取り屋の日本人はウェイターの、彼女の視線が気になり、馬鹿にされたくないと、エスプレッソを飲むの2点に尽きるのではないか?普段からエスプレッソを飲みなれているならともかく、たまにリストランテに言ったときだけ”エスプレッソ、ドッピオ!!とかダブルで!!とか言ってるのってかなり格好悪いと思う
 
この点、イギリス人や、アメリカ人は立派である。もともと食への関心が低いということもあるのだろうが、そこには他人の目を気にせず、飲みたいものを飲むというポリシーが見受けられる私もロンドンやN.Y.Cではその時飲みたいものを堂々と飲める
 
しかし、日本では残念ながら、他人の目が気になる小人物の私は、”食後にはエスプレッソ、普通のコーヒー、ハーブティーがあります”と言われると、その時カプチーノが飲みたくても、”コーヒーお願いします”と言ってしまうことが多いトラットリアクラスではカプチーノを頼めても、リストランテクラスではいいずらいのだ。ただし”ドッピオー”と言ったりはしないが
 
ここは日本だ!!普段からエスプレッソを飲んでいる人を除いて、アメリカ人を見習って、みんなでリストランテでもカプチーノを頼もうリストランテのオーナーさん、カプチーノも選べるようにしてください
 
 

2005年04月05日

映画”アビエイター”ー人生をかけるものを見つけられるか?−

あびえいたアビエイターは、一言で表すと、”一つのことに人生をかけた一人の男の物語”といえるだろうかハワード・ヒューズにとってはそれが”空への、飛行機による挑戦”だったのだろうハワード・ヒューズは実業家、映画監督、プレイボーイとしても著名であるから、もちろん一言で言い表せるような単純な人間ではない。しかし、この映画ではヒューズの空への情熱のみに焦点を当てているので、非常に分かりやすく、誰もが楽しめる映画となっている。”ラスト・サムライ”も手がけた脚本家が非常に優秀だと感じた
 
一度きりの人生で、何か生涯をかけて追い求めるものを見つけられた人は、非常に幸せであろうヒューズが空への挑戦を成し遂げることができたのは、もちろん父から莫大な遺産を引き継いだこともあるだろうが、それ以上に、空への情熱が並大抵ではないことのほうが遥かに大きいだろう試作品の、飛行実績のまるでない、世界ではじめてのタイプの飛行機の試験飛行を自分で行うことなど、ただのお坊ちゃまにできるはずなどない
 
ヒューズは新型機の作成に全く妥協せず、莫大な時間と資金をかけ完成させると、自ら乗り込み、世界最速記録を打ち立てるその成功に満足せず、次にはリンドバーグの世界一周記録に挑戦し、これを破ってしまう史実では1年ずれているのでどうも嘘らしいが、映画では、この記録的飛行中に無線で指示を出し、次の夢である航空産業への進出まで果たしてしまうーTWAの買収であるーその空への情熱は誰にも止められない

この映画で観客がヒューズに引き付けられるのは、やはりこのヒューズの情熱がまぎれもない本物だからだろう。多くのハリウッド女優と浮名を流し、冒険家としても、実業家としても成功しているヒューズは挑戦をやめようとしない。なぜその成功によるステイタスに満足しないかといえば、それは、空への情熱が止まらないという一言につきるだろう普通の人である観客には真似ができないから、それだけ引き付けられるのだろう。特に開国以来フロンティア精神にあふれるアメリカ人がヒューズを英雄視するのは当然だろう

TWAの社運をかけた双発機の試験飛行でビバリーヒルズに墜落、九死に一生を得るが、心臓が左から右に移ってしまうほどの大怪我を負う その逆境の中で、精神病も誘発した状況で、パンナムと組んだ上院議員から、TWAを売却したら汚職を公開しないという誘いをかけられれば、それに乗らない人物など現代のこの日本に存在するのだろうか?そうした状況でも彼は屈せず、法廷で闘い、見事に勝利を収める。そこにあるのは、莫大な私財を投じてまで、ビジネス上まるで意味のなくなった巨大な飛行機を飛ばしたいという情熱だけである。そこにアメリカ国民も共感したから勝てたのである多くの見せ場のあるこの映画で、その巨大な飛行機の離陸シーンと並んで最も感動的なシーンが、この法廷での勝利のシーンだろう

数あるヒューズの恋人の中でも、強く、個性があり、知的なキャサリーン・ヘップバーンとの恋に焦点があてられている。ケイト・ブランシェットの演技が素晴らしい二人が惹かれあうきっかけとなる真夜中の空中飛行デートは、息を呑むほど美しい。映画で最も好きなシーンだ精神的に双子のような彼女との別れで、ヒューズは徐々に精神を壊していくそして、精神的にずたずたになったヒューズを立ち直らせるのが、エヴァ・ガードナー。彼女は母親的な描かれ方をしている。二人が選ばれたのは、この二つのタイプがアメリカ人の理想の女性像であるからだろう。このヒューズの恋愛もこの映画の楽しみの一つだ

しかし、レオナルド・ディカプリオがオスカーをとれなかったのは本当に残念だ彼はヒューズの情熱と狂気を見事に演じきっている。最初に彼に出会ったのは”ギルバート・グレイプ”だったが、レオの演技は素晴らしく、印象にいつまでも残っていた。マーティン・スコセッシのヒーローはデ・ニーロからダニエル・デイ・ルイスへ移り、”ギャング・オブ・ニューヨーク”でレオへと移っているスコセッシに認められるということはオスカーをとれるということに他ならない。この二人の新コンビの次回作が今から楽しみであり、このワクワク感は、デ・ニーロ=スコセッシの次回作を待っていたときの気持ちと全く変わらないこの二人のコンビのレベルは少なくとも私の中ではそこまで来ているのだが

 

2005年04月04日

ロココ調アンティークチェアセット修復完了!!

antique我が家のアンティークチェアセットの修復が遂に終了した3ヶ月に渡る大修理だったが、レストアさんの素晴らしい技術により、座ることが不可能に近かった200年前(?)の椅子が見事によみがえった
 
この椅子セットを購入したのは1991年の3月だったと思う。コーネル大学MBAコースであるジョンソンスクールに在籍中、アメリカ人のクラスメートとメキシコに旅行したときの事だ。ガイドブックで、メキシコシティの中心である広場にメキシコ政府運営の質屋があることを知った当時アンティークに傾倒していた私は、ここは政府運営であるから騙されることもないし、メキシコ価格で素晴らしい値打ちものに出会えるのではと期待を膨らませてでかけた期待通りに、店内は多くの宝物で埋まっていた
 
ちょうどその数ヶ月前にメトロポリタンでメキシコ展を見たばかりだった。そこで18、19世紀にメキシコがフィリピンとスペインとの三角貿易で繁栄し、アジア、ヨーロッパ両方の影響を受けた家具が制作されたことを知ったのだが、なんとそうした作風の家具を発見した我が家の居間にあるその家具は、ある人が見るとオリエンタル風だといい、ある人はヨーロッパ風という。それも道理で、黒のラッカーぬりのベースの上に塗られた朱色の模様は、漆を連想さえ、いかにも東洋風である。しかし、そこに貼り付けられた金属製のライオンの飾りと内部の赤ビロード張りからはヨーロッパが連想される。なんとも不思議なスタイルである。横長のサイドボードと縦長の直方体の収納家具の2点があったのだが、何とかサイドボードだけで我慢をした
 
さらに、金箔で3センチほどの縁取りをほどこされたボヘミアングラスのワイングラスを発見赤、青、緑など全6色のペアーでもともと12個合ったはずだが、そのときは既に9個しかなかった。こうした1点ものを購入するのがアンティーク収集の醍醐味だ。これだけの金をふんだんに使用したボヘミアンなど現在ではお目にかかれないすべて購入したが、価格はリーデルのの普及品と変わらなかった
 
そして最後に発見したのが、この18世紀ヨーロッパ製かと思われるロココ調のチェアセットだ歴史が趣味の私は、フランス王家出身者がメキシコに渡り、ハプスグルプ家出身のマクシミリアン同様悲劇的な最期を遂げたことは知っていたし、もしかしたらロココ調の家具にであえるかと期待はしていたが、そこでであったのはまさに、フランスやオーストリアの宮殿でよくみかける家具と、全く同じスタイルの椅子だった しかも3〜4人座れるソファ、肘掛付きの大きな椅子が2脚、肘掛なしの小さい椅子が6脚、そして物をおくために使うのか、背の高い小さいテーブルまでが揃っているこれだけのものがすべて揃っているなんてまさに夢のようであるこれも即座に購入を決めた
 
時はバブルの真っ最中この私の買い物の仕方を見ていたアメリカ人の友人が”話には聞いていたが日本人の買い物の仕方はクレイジーだ”と驚きまくっていたのは言うまでもない。
 
こうして手に入れた家具はすべて日本へ送った。しかしこのときにトラブルが起こった。相手は英語が話せず、こちらはスペイン語が話せない。知らないうちになんと船便ではなく、航空便で送られてしまったのだ!!その結果、送料は高くつくし、さらに届いた椅子のうち、いくつかは脚が壊れていたそのため長く使っていなかったこの椅子セットが、縁あってレストアさんと出会い、修復されることとなったなんと素晴らしいことだろう
 
このソファに座って、ワインを飲みながら、ハイドンを聴いて、パトリス・ルコントのリディキュールにあるように得意の辛口交じりの冗談を言い合える相手がいれば、気分は完全にマリア・テレジアやルイ15世時代