2005年03月

2005年03月28日

国内外の機関投資家は大半がライブドアを支持

cornell本日3月28日付日経新聞9面の”揺れる企業価値と防衛策”で、コーネル大学MBA時代の友人のメリルのチーフ株式ストラテジストの菊池正俊氏が、標記のような印象を受けるとコメントしている。まったく同感でうれしい限りである。氏はこの中で、増配などによる株価上昇といった効果はライブドアが買収を仕掛けたからで、日本の企業統治が改善する中長期的な変化の契機となると語っている。
 
私も既出のブログ”納豆は好きだ”や”鎖国はいつまで続くのか”で、日本特有の一般の株主の権利を無視したやり方は、まったく世界では通用しないと訴えてきた。菊池氏も”日本ではいまだに企業は株主のものだという認識がが希薄だ”、”今回のニッポン放送が保有するフジ株をSBIに貸す措置も、既存のニッポン放送の株主価値を著しく損なうので問題だ”と述べている。フジテレビへの議決権はニッポン放送の重要な資産であり、長期間失うことが株主価値を下げるからという理由だそうだ。
 
会社はだれのものかという議論が今盛んに行われている。かつて日本の会社は経営者と従業員のものであったのはある意味本当だろう。おじいさんの代から3代続けて日立という人も多く存在し、社宅に一緒に住み、運動会を行い、社内旅行が当たり前という時代なら、確かに会社はファミリーであり、従業員は社員であった。しかし、本当に残念なことに、バブル崩壊後、会社はリストラを行い、社宅・保養所を売却し、会社と従業員との信頼関係は冷え込み、会社への帰属意識は非常に薄くなっている。資本市場の国境はなくなり、持ち合い株式制度は崩壊し、もはや買収から守ってくれる銀行を中心としたグループ企業は存在しない。会社はもう経営者と従業員のものではなく、株主の意見に左右されてしまう。
 
こうした時代の変化についていっていない人が余りに多いのが日本の現状ではないか?会社が株主のものであるという世界標準では当たり前の事実が、日本ではかつて当たり前ではなかった、しかし外国人持ち株比率が最大となり、持ち合い株式比率が年々減少している現在の日本が、世界のほかの地域と比べて、どこが違うというのか?
 
日本は世界とは違うという親方日の丸論がなくならない限り、こうした議論は続くのだろう。しかし、会社が従業員のものであったという過去へのノスタルジーを捨て、現実と向き合う勇気も必要なのではないだろうか?
 
 

2005年03月25日

携帯電話向け検索連動型広告ーいよいよ本格化か−

携帯画面携帯電話向け検索連動型(リスティング)広告がいよいよ本格的に立ち上がりそうだ。CAモバイル、サーチテリアに続いて弊社も昨年12月から携帯ライブドア上でサービスを開始したが、売り上げは全体の1%にも満たなかった。しかし、3月からビッグローブ様でのサービスも開始され、4月には新たなパートナーも加わることになり、弊社の中での位置づけも徐々に重要になりつつある。PC上でのリスティング広告最大手であるオーバーチュアが参入することで、市場全体の風向きも変わりつつあり、広告代理店の取り組み姿勢も盛り上がりつつある。とくに赤坂の代理店は相当注力しているという印象を受けた。
 
昨年から市場が急に立ち上がった最大の理由は、パケット料金の定額化だろう。それまではクリックする度に課金されるためクリックをためらっていたユーザーが定額化以降、気にせずにクリックをできるようになった。
 
携帯電話向けECサイト市場の急成長も注目点だ。F1(20−34歳の女性)ユーザーが通勤途中に買い物の楽しみがない化粧品などの日用品を携帯ショッピングで買い始めている。新しい消費行動である。1.PCを持たないユーザーも若年層を中心に増加している、2.オフィス内でのECサイトやオークションサイトへのアクセスを制限する企業が増えてきている、3.帰宅した後にわざわざPCを立ち上げるのも面倒だし、立ち上げたとしても日用品の購入に時間を使いたくない、4.通勤時間を有効に使える、5.ECサイトの携帯画面の使いやすさアップや画質の向上などの様々な理由で、この傾向はさらに強まっていくだろう。
 
消費者金融という分野で考えても、手軽に申し込めるという利便性ではやはり携帯がPCをしのぐだろう
 
こうしたいろいろな要因で携帯でのリスティング広告が盛り上がり始めているわけだが、来年に予定されるナンバーポータビリティー(キャリアを変更しても電話番号をそのまま持っていける、変わらない)以降はポータルの勢力図が一変することも予想される。ナンバーポータビリティーをにらみ、PCにおいて収益の柱となっているリスティング広告を携帯においても収益の柱としようと各ポータルサイトが考えるのは自然の流れだろう。ポータルサイトの、携帯電話向け検索連動型広告への取り組み姿勢の強化も、追い風となろう。
 
PCに比べるとまだまだ検索数は小さいが、反面クリック率は高いようだ。PCと同様、i-mode,ezwebなどのトップ画面に検索窓がつけば、市場は爆発的な伸びを示すことだろう!!
 
弊社でも携帯向けリスティング広告にますます注力し、現時点の予測では今年末には売り上げの3割を携帯電話向け検索連動型広告が占めるとみている。代理店様にも、広告主様にも、もっと注目していただき、市場の拡大にご助力願いたい。この携帯電話向け検索連動型広告は、なんといっても日本が世界をリードしていけるのだから、業界全体で盛り上げていただきたいものだ。
 

2005年03月24日

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールとエミール・ガレーその類似性ー

ラ・トゥール先々週末にジョルジュ・ド・ラ・トゥール展、先週末にエミール・ガレ展に出かけた。二人の巨匠にいくつかの類似点があると気づいたのは、昨晩眠れぬ夜をすごした真夜中のことだ。
 
1.ロレーヌ地方出身、2.ドイツとフランスとの間の戦争に巻き込まれる、3.王室とのつながり、4.工房のリーダー、5.光との関連の5点だ。一つずつ解説していきたい。
 
まず、ロレーヌ地方出身についてだが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは16世紀末に当時はフランスから独立を保っていたロレーヌ公国に生を受ける。その首都であったナンシーからほど近い都市である。一方ガレが生を受け、活躍したのがナンシーであるのはご存知であろう。
 
次にドイツとフランスとの間の戦争に巻き込まれることだが、これはこのロレーヌ地方とアルザス地方の宿命であった。ラ・トゥールの時代にはフランスと、後のドイツである神聖ローマ帝国との間で30年戦争が勃発し、帝国方についたロレーヌ公国はフランス王ルイ13世に征服される。一方のガレはナポレオン3世の下、これまた将来のドイツ帝国の中心となるプロシアとの普仏戦争に従軍している。敗戦の結果、ロレーヌ地方の一部はプロシアに併合され、ガラスの提供をうけていた工場があるマイゼンタールもプロシア領となった。
 
王室とのつながりについては、ラ・トゥールは当初ロレーヌ公爵アンリ2世の、後にルイ13世の国王付画家となる。ガレは父親の時代から皇帝陛下御用商人として作品をナポレオン3世に提供している。
 
親方として工房で描くという概念は、このラ・トゥールの生きた16世紀末から17世紀にかけては当たり前のことで、レンブラント、ルーベンスなども自身の作と工房の作との区別がつきにくくなっている。ガレも自身の工房を率い、制作にあたっていた。
 
最後にだが、ラ・トゥールはレンブラントと並び、光と暗闇の相反する二面性をを非常に効果的に使用した画家といえよう。ガレと言えば、そのガラス工芸がランプへと転用されていったことは周知のことであろう。
 
このようにある意味同じ土地に、同じように生きた、しかし300年の年を隔てて生きた二人の展覧会が、たまたま同じ時期にこの極東の島国で開催されているのも、なにかの巡り会わせだろうか?
 
ラ・トゥールの現存作品は世界で40点あまりだという。フェルメールなみに少ない。したがって今回の展覧会にも多くの模作がまざっているのが興味深かった。しかも1点ではなく、同じ構図の似たような作品がいくつも見られるのが彼の特徴だ。基本的には、光の使い方にやはり相当の技術が必要のようで、光が人工的に白くなりすぎて描かれているものに、模作が多かったように思えた。個人的にはルーブルに所蔵されている”ダイヤのエースを持ついかさま師”、ナントの”聖ヨセフの夢”(特にその天使の顔の光の扱い方)、”荒野の洗礼者ヨハネ”、バッキンガム宮殿所蔵の”手紙を読む聖ヒエロニムス”が素晴らしかった。メトの”女占い師”が一番見慣れた作品だが、残念ながら今回は展示されなかった。次にN.Y.C.に行くときの楽しみにとっておこう!!カラバッジオ派とも呼ばれているので、彼のファンの方にも必見の展覧会だ。(国立西洋美術館で5月29日まで)
 
エミール・ガレ展は、江戸東京博物館で4月3日まで開かれた後、大阪の国立国際美術館に4月12日から5月22日まで巡回する。今回の展覧会で一番の発見は、ガレが陶器も製造していたことだろう。今回展示された陶器のほとんどが松江北堀美術館所蔵作品であったのも驚きだった。ガレと言えばガラスと思い込んでいたため、新鮮な驚きだった。ジャポニズムの影響濃厚で、特に竹の形の植え込み鉢と、ざくろを模した花器が素晴らしかった。初期のガラス器はイスラム風や日本風で多くは面白みに欠けるが、その中では備前焼の獅子頭火入れを模したガラスの花器は秀逸だった。中期になるとおなじみのトンボなどの昆虫が多く現れてくる。エルミタージュ所蔵のトケイソウを模した壷が特に素晴らしかった。後期になるとガラスを削る一番有名なグラビュールという技法だけではなく、溶けたガラスを溶着したり、ガラスの層の間に別のガラスをはさみこんだりと、様々な超絶技巧のオンパレードとなってくる。多くの名品の中でも、デンマーク王室のコレクションは特に秀逸で、やはりキューレターの優秀さの現れがつぶさに感じられた。
 
こうした面での日本の立ち遅れは明治時代から続いているようで、ルーブル、メトロポリタン、ナショナルギャラリーなど各国が常設展だけでも多くの観光客を呼びこめる名作を数多くそろえているのに、日本にはそれに匹敵する美術館がないのはまことに嘆かわしいことだ。教育もまたしかりで、ゲルニカがピカソの作品だと受験で覚えさせられても、どうしてゲルニカが素晴らしいかについては教えない日本の現在の教育では文化人がそだつはずがない。
 
そうした話はさておき、この展覧会ではガレの歴史が、年代をおって楽しめるようになっている。アールヌーボー好きの日本人には特におすすめの、嫌いな人でも十分に楽しめる素晴らしい展覧会だと思う。
 

2005年03月22日

アフィリエイト部門で3年連続受賞!!−リンクシェア表彰式ー

リンクシェア先日リンクシェア・ジャパンの会社設立シンポジウムに参加させていただいた。昨年まで三井物産の一事業部だったリンクシェアが、上場を目指して遂に株式会社となった。非常にめでたいことだアフィリエイトの分野で上場している企業はまだないので、ぜひともあがっていただきたい花崎社長がパートナーシップを何度も強調されていたが、100%共感する。私も、自分たちのビジネスがポータル様と広告代理店様とのパートナーシップに依っていると常日頃から強調しているので、その言葉が非常に頼もしく聞こえたリンクシェア本社のCEOの講演も、インターネットを支えているのはアフィリエイトと、我々ジェイ・リスティングも手がけているキーワード連動型検索広告の二つだと強調されているのを聞いて、非常に心地よかった。第1部のシンポジウム好例のパネルディスカッションも、リンクシェアが事前に用意した質問にパネラーが答えるという双方向性をとりいれており、私がパネラーを務めた2年前よりも、内容も濃く、大分進歩したと感じた。

第2部では乾杯とともに鏡割りが行われた。ここでも花崎社長がパートナーシップを強調され、その言葉を日本語化した”結”という言葉をわざわざ著名な書道家に書かせ、その文字をプリントした手作りのシャツを、我々ビジネスパートナーに配られるという趣旨には、本当に感じ入ったさすがに物産さんはよい人材をそろえておられて、うらやましい限りだ。簡単な飲食を交えての歓談の後、これも好例の表彰式が行われた。アフィリエイト部門とECサイト部門とに分かれて、それぞれ5つの賞とその受賞者が発表された。一番最初に発表されるルーキー・アフィリエート・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた3社から、我々ジェイ・リスティングが栄えある賞を受賞した2年前、ルックスマートジャパンの社長時代にはファーステスト・グロウイング・アフィリエイト賞を受賞した。昨年はルックスマートを既にやめていたので(2002年10月末退社)受賞はできなかったが、2002年の実績に対して贈られる昨年の表彰式では、ルックスマートジャパンが最も権威のあるアフィリエイト・オブ・ザ・イヤーを受賞したそうだ。この賞の獲得に最も貢献したうちの一人が私であることに、異議を唱える人はまずいないだろう。そう仮定させていただき、昨年の賞も数にいれると、なんと3年連続で受賞したこととなる今後アフィリエイトビジネスはますます発展していくことだろう。その創世記ともいえるこの時期に、こうした貴重な賞を何度も受賞できたなんて、なんて幸せなことだろう

今後とも、アフィリエイトとキーワード連動型検索広告が日本のインターネット広告市場をリードしていくことは間違いないだろうし、我々ジェイ・リスティングも、その発展の一翼を担っていけることを切に願うのみである

 


2005年03月18日

映画”舞台よりすてきな生活”ーL.A.のイギリス人ー

舞台よりすてきな生活ケネス・ブラナーの新作は、スランプに陥った子供嫌いのイギリス人の戯曲家が、よりによって子供との交流により新しいスタイルを見つけ、スランプを克服するというハートフル・コメディ自らも脚本を書き、舞台に長く関わってきた彼にまさにぴったりの役子供嫌いのピーターが、ロビン・ライト・ペン演じる子供を欲しい妻の策略で、脚の不自由な向かいに越してきた少女エイミーを紹介される。最初は会うのも嫌がっていたピーターが、戯曲に必要な子供の気持ちを理解するために彼女に近づく。そうしたよこしまな心で近づいたピーターだったが、次第にエイミー(親が別居していて父親がいない)と本当の親子のような交流を深めていくその中で起こるいろいろな事件をエピソードとして進行する、本当に愛すべき、心温まるコメディ映画

この映画で笑えるのは、やはりイギリス人であるピーターが、L.A.になじめずに悪戦苦闘するところ煙草を自宅で吸ってて、家政婦に叱られるシーンなど”なぜ自分の家で煙草を吸えないんだ”というイギリス人のアメリカ人への風刺が伝わってくる愛犬家が多いアメリカで、ほえてうるさい隣人の犬を、”うるさくて眠れないから殺してやる”といったジョークは受け入れられず、それどころか殺された犬の”殺犬者”として投獄までされてしまうピッキーなピーターにとって、隣人付き合いの大切なアメリカでの生活は苦痛に近い、特に子供との付き合いは

こうしたアメリカで生きていく上での問題点も、エイミーとの交流で克服されていく。子供のような純粋な心を持ったピーターは、子供であるエイミーにより大人になっていくのが微笑ましい

L.A.に移住したイギリス人の芸術家としてはデビット・ホックニーが有名だ。風刺好きで、すぐにイギリスと比較して”アメリカは変だ”と言い張る、典型的なイギリスの知識階級であるピーターのような人物が、文句をいいながらも西海岸を目指すのは、やはりそれだけ気候に惹かれるということだろうかホックニーの絵もイギリス時代は非常に暗く、重かったが、L.A.に移住後は、ご存知のように非常に明るくなった

イギリス文化とアメリカ文化の違いを知る上でも、おすすめの一本だ


2005年03月15日

ホリエモンは織田信長かー既得権力への挑戦ー

信長先日テレビ東京のWBSで、堺谷太一氏が 、ホリエモンについて聞かれ、”どの時代にも織田信長のような人が必要だ”と話されていた。既得権にしがみつく旧体制と戦い、時代を変えるという意味では、まさに織田信長といえよう。
 
戦国時代も既得権益を持つ多くの勢力が、その権益を当たり前のものとして、横暴を振るっていたのは周知の事実である。信長はそれを嫌った。寺社勢力のうち、横暴なものは排他し、キリスト教の宣教師の意見も聞きいれた。ただし、寺社・仏閣をすべて否定したわけではない。祈りにより民に喜び・安心を与えるべき寺社が、僧兵をやとい、武に走ったのをとがめただけである、信長はキリスト教徒ではない。特権的な商人の既得権を無視し、楽市・楽座も行った。その結果、民衆は、宗教も、商品も選択肢が増えた。既得権益を持つものには疎まれたが、持たぬものには歓迎された。信長はご存知のように本願寺で倒れ、その後の260年の天下をとったのは徳川である。信長が天下をとったら日本はどうなっただろう?海外との交流により、西洋の文化、医術、技術が導入され、日本本来のものと融合し、あらゆる面で日本はすばらしい発展をとげたであろう。日本人だけでなく、西洋人、中国人などが道を行き交い、京は文字通りの世界都市になったのではないだろうか?仏教、キリスト教、神道と宗教も多岐に渡ったであろう。そうした世界が実現され、鎖国の失われた200年がなかったら、現在の日本はどのようになっていたのだろう?想像もつかない夢物語である。
 
信長が去って400年後の現在の日本にも、鎖国時代に似た閉塞感が漂っている。日本市場にのみしか通用しないルールがはびこり、世界で通用しているルールを無視して生きる、国内市場にのみ依存した世界が存在している。このいわゆる護送船団と呼ばれてきた、政府により既得権益を守られてきた業界にとって、そこに風穴を開けようとするホリエモンは脅威である。フジテレビだけでなく、政財界を巻き込んでのライブドア包囲網は、足利義昭が武田、朝倉、本願寺などと組んだ信長包囲網を彷彿させる。 
 
ホリエモンが目指しているインターネットと放送との融合、視聴者の意見を取り入れるというビジョンが分かりずらいというが、果たしてそうだろうか?現在の放送業界は残念ながら、視聴者の意見を取り入れた番組制作をしているとはいえないだろう。ホリエモンは視聴者の意見を取り入れた番組制作をしたいといっている、その手段が双方向性と瞬間性という強力な武器を持つインターネットであろう。例えばお隣韓国では、ドラマに関しての意見を出し合うインターネットコミュニティがあり、そこでの意見が取り入れられ、ドラマの筋書きが変更されるという。これこそお客様の意見の反映という、すべての業界で共通した命題を、インターネットという手段で実現している好例ではなかろうか?インターネットの双方向性、瞬間性がなければ、グループインタビューなどを用い、結果を分析するという旧来の手法では、非常に時間もかかるし、サンプル数も少なく、正確な分析に通じるかどうか定かではない。その不十分な分析結果を、次回のドラマ作りに反映しようというのが、せいぜいであろう。
 
放送は公共性がある、青少年への影響力も大きい。もし私のような一個人の意見が反映されるのであれば、マナーを直す、他人に迷惑をかけるのはよくない、ゆとり教育、競争のない教育は競争社会になじまないなどの、社会性のあるテーマのドラマを作成してほしい。それを青少年に人気のある俳優に演じさせ、マナーが悪いのは全くいけていないなどと青少年に思い込ませる。これより効果のある教育法があるだろうか?しつけをしない家庭が増え、教師のいうことを聞かない生徒が増えている中、ゴクセンのような番組を、しかも人気脚本家の押し付けではなく、インターネットを使った双方向性により視聴者の生の声をとりいれながら作ることができたら、世の中も変わるかもしれない。
 
日本を変える力が放送にはある、そのためには、ごく少数の放送作家、芸能プロダクション、芸能人などで構成されている現在の体制に、視聴者の声をどんどん取り入れていく必要があるのではないか?ホリエモンの登場に、拒否感を表明するだけではなく、現在の体制への危機感を放送関係者が抱いてくれれば、歴史は変わるだろう。信長が楽市楽座で商品の選択しを広げたように、ホリエモンの双方向性を実現した放送が実現されれば、視聴者の選択肢も広がるだろう。現在の放送は楽市楽座以前の市と一緒で、特色が少ないのだから。
 
どの局を見ても、でている俳優も、ドラマの内容も大して変わらない。なんの予備知識もなく4月からの連ドラを見て、”これは絶対フジテレビの番組だ”と言い切れる人などいるのだろうか?一つぐらい他とは違うことをやるラジオ局やテレビ局があってもよいのではないか?
 
今回の騒動により、TOBとか、新株予約権とか、経済問題に詳しくなったと語っている人が数多く存在する。さらに、ホリエモンの投じた一石により、放送業界も変わる可能性がある。結果がどうなるにしろ、今までのやり方でよいのか、真剣に考えざるを得ないだろう。これだけでもホリエモンの果たす功績はおおきいのではないだろうか?
 
 

2005年03月11日

K.d.ラングーレズビアン・ヒロインがコメディエンヌへー

k.d.lang今年2回目のライブK.d.ラング92年のグラミー賞獲得アルバム”Ingenue”は傑作アルバムで、アダルト・オリエンテッド・ポップの中ではお気に入りの1枚だここ最近は彼女の歌に触れたことはなかったが、あの独特のセンスにあふれた素晴らしいハスキーボイスを聞きに、東京フォーラムを訪れた。金曜日に7時からライブなんて何年ぶりだろうそれだけでも気分は
 
ステージに現れた彼女を見てびっくりまん丸
 
90年代にレズビアンであることをカミングアウトし、一躍レズビアン・ヒロインとなった彼女ダブルのジャケットを着、きれいな彼女をはべらせ、颯爽としたその立ち姿は、その頃はほっそりとしていて、”これは女でもほれるよな”というかっこよさだったところが、ステージに現れたK.d.ラングは、まん丸
 
そういえば、来ている人も、あんまおしゃれじゃない中高年のカップルもちらほら。10年ほど前の東京でのライブは、おしゃれなレズビアン・カップルで一杯だったと聞いていたから、客層があまりに違うやっぱこのまん丸じゃ、もうおしゃれなレズビアンのファンも少ないよな
 
しかし、彼女が歌い始めると、聴衆は一気に彼女の世界に引き込まれる彼女の一番の素晴らしさは、やはりその伸びのある、歌唱力なのだからさっそうと、かっこよく歌う、若者向けの音楽、アコースティック・ギターにロックスタイルのバンドを加えたサウンドから、大人向けの、しっとりしたジャズスタイルに音楽性を変化させたようだ。やっぱこのまん丸じゃ若者に受けないから、ターゲットを中高年に変えたのだろう名曲”コンスタント・クレービング”も、”Ingenue”ではアコースティック風味を効かせたおしゃれなロック調だったが、この日のピアノ、アコースティック・ベース、ドラムにバイオリン、ビオラのストリングスを加えた編成では、ソフト・ジャズ調で、まるで違う曲のように聞こえた。これなら中高年のカップルがいるのもうなずける
 
まん丸の体で、バレリーナのようにくるくるとステージで回り続ける姿はユーモラスで、”かつての美人女優がお笑い女芸人になった”という感じこの姿を、かつて彼女に憧れたレズビアンの方が見たくないというのも納得かも彼女のしゃべりも非常に面白いもちろん英語なので、外人の聴衆とのやり取りになっていたが、自分がレズビアンであることをネタにした語りも面白かった例えば椅子に座るときに、”スカートをはくのにまだ慣れていないから、ひっかかりそう”とか、名曲”ミス・シャトレーン”の歌の途中でミスをミスターに変えてみて、”なぜみんなが私をミスター・シャトレーンと呼ぶのかなー”などと歌い、観客席を沸かせていた
 
最新アルバムは彼女のカナダ人としてのD.N.Aを思い出させるためのアルバムだそうで、そこから3曲続けて、全部で4曲歌っていた。1曲目の
ニール・ヤングの”ヘルプレス”、3曲目のレナード・コーエンの(ジェフ・バックリーもカバーしていた)名曲”ハレルヤ”は圧巻だった。やはり同じカナダ人のアーティストとしての思い入れも強いのだろう
 
ライブ自体は1時間半にも満たない、短いものだったが、日常を忘れさせてくれる至福の時をすごすことができた

2005年03月09日

映画”アレキサンダー”−なぜアメリカで不評だったかー

アレキサンダー”アレキサンダー”がアメリカで不評だったという記事をぴあで読んだ。アメリカ人が憧れる英雄アレキサンダー、それはオリエンタル(東洋)世界=ペルシャ帝国に何世紀に渡り苦しめられたオクシデンタル(西洋)世界=ギリシャを、その支配から開放し、オリエンタル世界を征服した英雄としてのアレキサンダーであるギリシャ人は自分たちを”ヘレネイ”、その他の人を”バーバリアン”と呼んだ。ギリシャが世界の中心で、ギリシャ人のみが知識・教養のある文化人で、その他の人はすべて野蛮人だという発想である。現在の白人至上主義、西洋が東洋の上にあるという考え方に通じる。自分たちと同じ西洋人=白人であるギリシャ人(マケドニア人はギリシャ人の一派である)が東洋人=非白人であるペルシア人を打ち破る姿に拍手喝采するわけである。しかも当時のペルシャ帝国は現在のイラン・イラクが中心であった。(ペルシャ人はイラン人であり、首都のペルセポリスは現在のイラン、映画で中心都市として描かれているバビロンがあるバビロニアは現在のイラクである)イラクと戦い、イランを悪の枢軸と呼ぶブッシュ政権下のアメリカ人が、かつてのイラン・イラクであるペルシャ帝国の支配から脱し、打ち破り、滅ぼす英雄としてのアレキサンダーを求めるのは、当然の流れだろう
 
しかし、ここで描かれるアレキサンダーはどうだ?征服したペルシャ帝国の人民を虐殺するどころか、自国の軍隊に組み入れ、ギリシャ風の都市”アレキサンドリア”を征服した各地に建設し、マケドニア人と現地人との融合を図るコスモポリタンとして描かれている。そして、遂には、”マケドニア人を妻としないとマケドニア女性に対する侮辱だ”といさめる重臣たちの意見を無視し、山岳民族の王女と結婚してしまう現代のアメリカに置き換えれば、ブッシュが独身だとすると、自らイラクに赴き、イラク人と結婚して、イラク人との融和をはかるということになってしまうブッシュ政権下の保守的なアメリカ人が目を背けたくなるのも想像に難くないぴあでは、アレキサンダーをホモセクシュアルに描いたのが英雄というイメージから外れたといった論調だったが、それは上記の理由に比べるとたいした理由ではない。
 
もう一つ受け入れられなかった大きな理由は、アレキサンダーが独裁者として描かれている点だろう。ペルシャ帝国を征服したマケドニア・ギリシャ連合軍の将軍・兵士が望んだのは、戦利品と共に故郷へ凱旋帰国することだった彼らの意見をすべて無視し、アレキサンダーはインドへとさらに東征を続けるギリシャ社会はご存知のように直接民主制を取り入れていた共和国だった。マケドニアは王国だったが、それでも重要なことは王を含めた重臣による合議制で決められていた。この民主主義であるという点が、アメリカ人が古代ギリシャと自分たちを重ね合わせられるという意味で、きわめて重要である。独裁者はサダム・フセインにしろ、古くはヒトラーにしろ、アメリカ人が最も忌み嫌う対象である。現在のアメリカ合衆国大統領のように、民主主義の枠内での、強力なリーダーとして描かれるべきアレクサンダーが、敵であるフセインのように描かれたのでは、アレキサンダーに感情移入などできようはずがない
 
映画の結末としては、アレキサンダーは毒殺されることになっている。史実では熱病とされているが、私も毒殺説が正しいと以前から考えていた。ペルシャ、インドを経てようやくバビロンに帰ってきて、故郷に帰れるのももう少しだという段になり、今度はアラビア半島を回り、地中海を西に進み、征服の旅を続けると分かったとき、あなたがアレキサンダー配下の将軍だったらどうするだろう?これではいくら命があっても足りやしない、今故郷へ帰れば英雄だが、西へ進めば死ぬ確率も高い。さらに先に述べたように、当時は王は貴族の中の第一人者にすぎず、ルイ14世時代の絶対君主制と異なり、忠誠心など絶大ではない。答えは自ずと明らかであろう、自分が死ぬか、アレキサンダーが死ぬかの二つに一つなのだから
 
さらにこの映画が問題視されるのは、オリバー・ストーン監督が筋金入りの反戦主義者だからだ。”プラトーン”、”7月4日に生まれて”など過去にも反戦映画を発表してきたストーン監督が描いたとなると、この映画はオリエンタル世界とオクシデンタル世界との融合を示唆してると解釈できよう。ブッシュ政権の対オリエンタル(アフガニスタン、イラン、イラク)強攻策への明確な否定に他ならない。
 
固い話ばかり書いてきたが、そうした政治問題など抜きにして鑑賞しても、”アレキサンダー”は十分楽しめる娯楽大作である。ガウガメラ、タクシラの戦闘シーンは圧巻で、ここ数年公開された映画の戦闘シーンとしては、間違いなく五本の指に入るだろう。復元されたバビロンのセットはゴージャスそのもので、もしこんな都市が現在存在したら、間違いなく一番訪れてみたい都市として描かれている。
 
娯楽大作としても、現在のアメリカを知る上でも、そしてアレキサンダーという歴史上でも屈指のコスモポリタン(今から2300年も前のギリシャ人と野蛮人の二つしかないと本当に信じていたギリシャ人が黒人の女性を妻に娶ることなど、当時の常識を逸脱している)の人生をたどるという意味でも、間違いなくおススメの大作である。
 

2005年03月08日

鎖国はいつまで続くのか?ーフジテレビが3分の1超確保ー

黒船フジテレビがニッポン放送株のTOBで、市場の予想以上の36.47%を確保したそうだ。これはグループ企業だけでなく、法人株主の多くがTOBに応じたためである。3月8日日経朝刊によると、株主利益を考慮するとTOBに応じるのは適切ではないはずだが、継続保有するトヨタ、東京ガス、京王電鉄、市場で売却した日立を除き、TOBに応募した。まことに残念な限りである。宝ホールディングスの半分応募、半分売却という判断に、取引関係と株主への考慮とに板ばさみになった各社の心境がよく現れている。問題は、多くの企業が株主利益よりもフジテレビとの取引関係を優先したことである。会社は株主のためにあるという国際的な基本ルールがこの国ではいまだに守られていない、日本独自の特殊ルールが存在する鎖国状況が続いている。
 
 現在の日本は、世界との競争にさらされた業界、いわゆる電機、自動車、精密などのメーカーに代表される勢力と、日本独自の社会で生きている業界、建設、電力、放送、電鉄などの勢力に二分される。世界競争にさらされた業界では、今回のフジテレビのTOBに応募することはできないと私は考えていた。なぜなら、それは株主の権利を守るのが企業の使命という世界常識への否定、世界市場でのイメージダウンにつながるからだ。トヨタが応募しなかったのは、ある意味当然であろう。現在の株価より低いTOB要求に応える行動は、グローバルに活躍する企業にとっては難しいはずだ。株主の権利をないがしろにする会社の株を海外投資家は敬遠するだろうし、最悪のケースでは、トヨタ車自体の売り上げ減に通じることもありうるからだ。反対に、日本独自の社会に生きる企業が応募できたのは、外国人投資家比率が低く、国外での売り上げも少ないため、国外での反応を気にする必要がないからであろう。
 
今回非常に残念なのは、国際競争にさらされている企業までもが、TOBに応募していることだ。東京ガスのように、国際競争にさらされていなくとも、株主利益を考えて、TOBに応募しなかった企業も存在する。国際競争にさらされる企業がすべてTOBに応ぜず、さらに国内で生きる企業も東京ガスのように株主利益を考えて行動していれば、25%の確保も容易ではなかったはずだ。
 
今回のTOBで、多くの企業が本来保有していた株式がフジテレビに集中してしまった。トップ10社の全株式に占めるシェアーが8割を超えると上場廃止になるルールがあるそうだ。ニッポン放送の上場廃止が現実味を帯びてきた。ライブドアが大株主に躍り出る以前からフジテレビは上場廃止を目指していたそうだが、TOBに応じないでニッポン放送株を保有し続けると、上場廃止になったときに困るのは株主だという理論は、株主を尊重した経営といえるのだろうか?株式会社は、経営者や一部の力のある特定株主のためにあるのではない、力の弱い一個人株主も含めたすべての株主のためにあるはずであろう。
 
こうした国際ルールを無視した鎖国状況はいつまでつづくのだろうか?”自分は株主利益を追求するための一つの駒にすぎない”というように経営者の意識改革が行われるには、やはり黒船の到来を待つしかないのだろうか?
 

2005年03月04日

納豆は好きだ、だけど関西人、あんたが正しい!!

納豆今回のフジv.s.ライブドアは国内の意見だけで見ると、支持率は互角と思われているいる方も多いかもしれない。しかし、世界中の意見で見ると、圧倒的にライブドア支持が多い。ニューズウィーク日本語版3月9日号の記事にもあるが、フジテレビという特定の株主のみに新株予約権を発行し、既存の株主の一株あたりの価値を半分以下にしてしまう(株式の希薄化)やり方は欧米の常識では考えられないことだ。フジテレビとニッポン放送が一緒になれば株式価値が将来的には上がるという主張をしているが、倍以上に株価が上昇し、元に戻るという保障は何もない。反対に、少なくとも一時的に株価が半分以下になる可能性が、宣言されたこととなる。こうした影響力のある特定の株主のみの利益を尊重し、無力な個人株主を軽視するやり方は、欧米では考えにくい。
 
もし今回の新株予約権発行が東京地方裁判所で認められれば、日本市場の信頼性が失われ、欧米の投資家が日本株売りに走るといわれている。昨日お会いしたジャスダック上場のインターネット広告代理店の専務取締役(誰だかばればれ)も、外人持ち株比率が高いので心配している、とおっしゃっていた。裁判所は日本独自の価値観ではなく、世界に通じる価値観で判断してもらいたいものだ。株式市場は世界に開かれているのだから!!
 
学生時代、神戸出身の友人と納豆について激論したことがある。簡潔にまとめると、向こうの主張は”こんな腐って、臭いものを食べる関東人は気が知れない”というもの、それに対してこちらの主張は、”こんなおいしいものを食べない関西人はおかしい、臭くて、腐っているのはチーズも一緒だ”というものであった。当時は認めなかったが今は認めよう、”関西人、あんたが正しい、日本だけでみたら西は食べず、東は食べるから互角だが、世界で見ると、納豆を食べるのは関東人だけだ、全くの少数派で、納豆を食べるのは世界基準で見ると変な行為かもしれない”世界の人口は61億3000万人、日本の人口は1億2000万人、仮にその半分の6000万人が納豆を食べるとすると、納豆人口は世界人口の1%に過ぎない!!
 
今回のフジv.s.ライブドアの件は正にこの納豆議論と同じだ。国内だけで見てみると互角だが、世界でみてみると多数派と少数派に分かれる。納豆のように99%対1%かどうかは定かではないが。
 
外国人に、日本のいろいろなものを食べさせて、”さてどれが食べられないでしょう”という内容のTV番組を、今まで何回も見たことがある。私の記憶に間違いがなければ、どの番組でも共通していることがある。どんなに日本通で、和食好きの外国人でも、まず間違いなく食べられないのが納豆といういうものだ。かつては、”なんでこんなおいしいものを食べれないんだろう、外国人はおかしい”と思ったものだった。今ではこう思う。”食べられなくて当然だ、世界中で腐った豆を食べるのは1%にすぎないのだから”と。