2005年02月

2005年02月23日

うちのホリエモンは正しい!!

一の谷ライブドアグループの子会社となった今、堀江社長を応援するブログを書くのは適当ではないかもしれないが、あえて書かせていただく。
 
結論から言うと、今回の時間外での取引でニッポン放送株を取得した件だが、ワールドワイドのビジネス慣習の見地から見るに、まったく問題ないと思う。
 
ニッポン放送とフジテレビの資本のねじれ現象は、フジテレビに影響力を及ぼしたいと考えるビジネスマンにとっては、非常に魅力的なビジネスチャンスである。世界中の経営者にアンケートをとれば、今回の堀江社長の行動を批判するものは少数派だろう。ここは日本だから世界の論理は通用しないと説かれる方が多いようだが、日本は世界の一部であるということを忘れておられないか?世界を日本に合わさせるという発想自体が高飛車である。もちろん郷に入れば郷に従えということもあるだろうが、日本市場に参入してきた外資系企業に日本の慣習にあわさせる以上に、日本企業が世界の慣習に合わせていかねばならないのではないか?どうも日本人は島国根性が強く、こうした意識が欠けているように思われる。私は歴史専攻で歴史が大好きだが、かつて元寇の際に、鎌倉武士がモンゴル軍相手に一騎打ちを挑み、集団で矢を射掛けられ、次々に倒れたという話をご存知だろうか?これこそ正に日本人の、自分の慣習を他国におしつける好例ではないか?いくら卑怯だと叫んでも死んでしまってはどうにもならない。
 
今回の買占めが奇策だとおっしゃる方も多くいられるようだが、奇策だからこそ成功したのである。鎌倉武士のように一騎打ちを宣言するがごとくTOBを宣言していては成功など覚束ない。今年の大河ドラマは源義経だが、一の谷の戦いで義経軍が勝利したのはご存知のように鵯越の坂落としを行ったからである。崖から駆け下りてくることを油断した平家に責任があるのであり、崖から降りてくる勇気を示した義経を責める人などいないだろう?
 
私も経営者の端くれとして、部下にも”他責ではなく自責をできる人間にいつかはなれ”といつも諭しているし、自分自身もそのように心がけている。今回のフジテレビの対応はこの見地から見るにいかがなものだろうか?反対に堀江社長の行動は非常に勇気のある行動だと思える。今回の件をしかけたのがリーマンなのかライブドアなのか私は一切知らない。しかし、堀江社長以外にも今回の行動を考え付いたか、すすめられた人も恐らくいたのではないか?今回の件でのこうした非難は容易に推測されたはずである。その上で踏み切れた堀江社長は、非常に勇気のある人である。残念ながら私のような凡人にはそのような勇気はない。
 
今回の堀江社長の決断は正に義経が鵯越の坂落としを行うのに等しいぐらいの決断ではなかったのか?彼は事実命をかけてやっていると語っている。彼ぐらい成功している人がこうしたリスクをとっているのである、日本のテレビ業界に革新を起こしたいという高い理想がないとできない決断である。転売のための金儲けを考えているのかという発想自体が非論理的である。もし金儲けのためだとしたら、あまりにハイリスクローリターンである。
 
この理想については堀江社長が近いうちに分かりやすく語ってくれるだろう。もしも、現状のテレビの内容に満足していないのであれば、堀江社長を応援していただきたい!!
 

2005年02月22日

学校さぼって渋谷に行〜け〜ば〜

東洋英和という替え歌を思い出しました。その後は”館のおね〜ちゃんが横目でに〜ら〜む”とか”英和のおね〜ちゃんが横目でに〜ら〜む”と続くのですが、その後が思い出せないどなたか分かったら教えてください
 
なんで思い出したかというと、オフィスのそばのテレ朝通りに”フィヨルド”というレストランがあるのですが、この店が20年以上前の高校時代とまったく変わっておらず、昔を思い出してしまいましたメニューはハンバーグ定食とか、しょうが焼き定食、添えものがケッチャプであえたスパゲッティなんていまどきあまり見かけられない、まったく変わらないメニューですウェイトレスもおばちゃんばっかしで、天井が高いレンガ造り、非常に落ち着けるつくりで、思わずほっとしてしまう私たちが行った時も、客は老若男女様々で、タバコをすいながらくつろいでいる思わず高校時代を思い出してタバコを吸いたくなりましたこんな店今時あまりないですよね
 
テレ朝通りにお立ち寄りの際はぜひ、ぜひよってみてください
 

2005年02月21日

迎合マネージメントと迎合恋愛ー叱らない現代男ー

最近あることに気づいた。なんと接点があまりないはずのフリーのオタク系ときれいどころモデル系とが、非常に似ているということだなぜかと考えると、なるほどと納得できた。両者とも他人に合わせずに、自分勝手に生きてきたからだオタク系は会社に属せず、フリーで自分の好きなように生きている、また、会社に属しても、大抵は小さな、ビジネス論理が働かない会社であり、挨拶もせず、遅刻もOKのようである。実際筆者もこうした部下を多く持ち、苦労した経験がかつてあるのだが、挨拶一つできるようになるまで、厳しく指導してきたにもかかわらず、なんと1年もかかったほうれんそうの”ほう”でさえ、1年たってもできない普通の会社に勤めるビジネスマンではまったくありえないことである。今まで厳しく指導されたことなど前代未聞だそうだ。質の低い上司の場合、彼らに嫌われたくないため、かれらにあわせる迎合マネージメントをするためだ
 
他方、きれいな、若く、ちやほやされている系にも同じ現象が見られる。ちょっと”それはよくないんじゃない”とか咎めると”こわーい”とか言う。そこで大抵の男が”あーごめん、僕が悪かったよ”とか謝るものだから、”こわーい”と言えば自分の意見が通ると思っている私の場合、”ふざけるな、お前が悪い、なぜならこうだからだー”と言うのだが、ここでも返ってくる答えは”私にそんな厳しいことを言う人なんてあなたが初めて”というものだ。要するに、間違ったことをしても咎められることがないわけだこれこそ現在の男性の間に爆発的に流行しているデルモ、デス系への迎合恋愛だ
 
昔は、迎合マネージメントも、迎合恋愛もありえなかった!!火事や雷と並んでおやじは怖い存在だった。現在はおやじというと職場でも、家庭でも邪魔者扱いされ、うるさく小言を言うものとして、嫌われる状況となっている。そうしたこともあり、職場では強くなってきた部下へ迎合する親父が増えているのではないか?また、恋愛でも”口うるさくて親父みたい、”こやじ”と思われたくない若者がきれいな女性のいいなりになっている
 
しからない上司、しからない恋人は、責任感もないなぜなら、若くて、まだ性格を直せるうちに悪い性格を直せず、将来困ることになるのは、困ったチャン部下と困ったチャン女の子だからだ!!困ったチャン部下は、30才を過ぎて、初めて仕事ぶりを直そうにも、ほうれんそうもせず、あいさつもしないことが身についてしまっているこうした人を雇う会社は少数だろう。
 
きれい系女の子も同様である。20代の頃はそれでもやっていけるが、30を過ぎて、30代半ば近くになってくると、男も外見にだまされず、中身で結婚しようとする。20代の頃より外見は年を取るごとに衰えていき、中身は”タカピー”系の女の子と結婚したがる男は、これまた少ないでしょう特に彼女らが結婚したがる高収入の、堅物じゃない男の気持ちとしては、”いくら元モデルとかデスとかのブランドがついていても、恋人にはいいけど”って感じでしょう
 
 
この問題にも解決策は二つしかない一つは上司は部下を、そして男性陣はきれい系をもっとびしびししつける事そして、部下は上司の言うことを、きれい系は恋人(お友達?)の助言を真摯に受け止めること嫌われるような嫌なことを言ってくれる人は、現代の東京ではなかなかいないのだから
 

2005年02月17日

信号ー横断歩道を渡る際に見られる日本人のマナーの変化ー

信号10年ほど前でしょうか、外資系の会社に勤めているときに、仲のよいアメリカ人に信号について質問をうけました。なんで日本人は青信号を緑信号ではなく、青信号というんんだ、あの色が日本人は青に見えるか?"というものでした。これにはもちろん色盲じゃないから緑に見えてるよ、確かにそうだ、緑じゃん、なんで英語のようにグリーンライトって言わないんだろう と答えました。普段当たり前だと思っていることが実は変だと気づかされるのが、外国人とつきあう楽しみの一つです

 

次の質問がなんで日本人は車がぜんぜん全然来ていないのに、赤信号だと渡らないんだ、アメリカだと信号が赤でも車がいないときは道を渡るよというものでしたが、これに対しては日本人は規律が行き届いているから、たとえ車が全然来ないときでも道を渡らないんだ、俺は日本人ぽくないから渡るけどね と言うと、日本人は論理的だか、非論理的だかよく分からなくなると言われました。もちろん論理的だ、ただし、非論理なのは分かっているけども、規律をそれ以上に重んじるのが日本人の美徳なんだと誇らしげに答えたのをよく覚えています。

 

ところがどうでしょう、あれから10年、日本人の赤信号での行動はまったく正反対となりました。赤信号で、車が左折できずに渋滞になっているのにも関わらず、赤でも平気で歩いています、中には携帯でメールを見ながら下を向いていて、信号が青なのか、赤なのかも気にもかけていない者まで多く見かけられます

 

これはまさにモラルの低下が引き起こした結果でしょうかつては他人に迷惑をかけるなということを教育されたものです。どんな職業についてもいいが、とにかく人様には迷惑をかけるようなものにだけはなるなというせりふをよく聞いて育った我々の世代から見れば、現在の10代、20代の人の迷惑など関係ない俺流はまったくもって理解不能です。アメリカ人が赤で信号を渡るのは、車が来ていないから、渡っても誰にも迷惑をかけないからであって、車が来ているときは渡らないのがルールです。もちろんアメリカでも例外の人はいるけれども、日本のように、車が来ていても赤信号を渡る人が多数派なのが、現在の日本の特徴でしょう、まったく、他人の迷惑を考えるという発想が、かけています悲しむべきことは赤信号、みんなで渡れば怖くないという標語が大好きな中高年も若者に便乗し、最近は赤信号でも、左折の車がつかえていても、平気で道を渡るようになっていることです中高年の参戦で、赤信号で道を渡るという風潮はますます盛んになってきています

 

対処法は二つあります。一つは、モラル教育により、他人に迷惑をかけることをやめるよう訴えること、車に乗っている人の立場で考えるようさとすことでしょう。ただでさえ切れやすい若者が、赤信号で渡る同胞のために、1回の信号の切り替えで2台しか左折できなければ、自分が10台目に並んでいると、4回も信号を待たなけらばならない、我慢できるわけがないもし赤信号で渡る人がいなく、1回に5台左折できれば、1回ですみ、2回目で左折できる こうしたことを、免許の切り替え講習などで、教えていただきたい!!もう一つは、イギリスのように、歩行者信号が青の時間を短くし、歩行者信号が赤になってから、車の信号が赤になるまでの時間を長くすることです。この案いかがでしょうか?

 

本当に日本人は個が弱く、情けない10年ほど前に世界に誇れる規律を誇ったこの国が、世界一の安全を誇ったこの国が、今ではモラルも崩れ、犯罪もどんどん増えています。みながモラルを崩すと、自分は自分、他人は他人なのに、自分も、自分もと悪い方向にすすんでしまっているのが現状でしょう。この赤信号、みんなで渡れば怖くない気質はどうにかしてほしいものです

 


2005年02月14日

インドジャズライブ!!

remember shakti今年はライブも月一回は行きたい!!まず行ってきたのがリメンバー・シャクティというインドジャズバンドのライブ。1960年代にマイルスのバンドにいたイギリスのギタリストジョン・マクラフリンのバンドだ。彼はその後パコ・デルシア、アル・ディメオラ、ラビ・シャンカールなどと競演し、次第にワールド・ミュージックに目覚めていく、そして最後に行き着いたのがその中でもインド音楽ということか。
 
バンドは彼以外はすべてインド人、しかもタブラのザキール・フセイン以外は彼の子供の世代に当たる、若手ミュージシャンばかりだ。かれらの少年時代から知っているという紹介があったが、どうもその頃からミュージシャンとして育てていったらしい。
 
この音楽性を反映してか、聴衆もほとんどが見事に一見して普通じゃない、アーティスト風の人ばかりだ。原宿の自然音楽バー誤解のオーナーいっちゃんとそのアーティスト仲間など大勢来ていた。やはりその手の人には話題だったらしい。そこにサラリーマン風の50−60代のおじさんがまざっているのは、昔のジョンのファンなのか?
 
ライブはまさに圧巻。特にザキール・フセインの30分にもわらるタブラソロは今まで聞いたすべてのパーカッションソロの中でも間違いなく1番といえる、その力強さ、様々なバリエーションで、30分をまったく飽きさせなかった。マンドリン奏者シュリニバスも同じ弦楽器奏者として比べても、ジョンよりもすばらしく、ジョンが引き立て役と思えるほどの演奏の完成度の高さだったボーカルのシャンカールも非常な美声の持ち主で、かつてインド一人旅をした際に間違えて乗った二等列車で聞いた、今まで聞いた中で一番すばらしい歌声、盲人の物乞いの歌を思い出させられた。最後は皆がスタンディングオベーションを送り、もちろんアンコールの後の再度のスタンディングオベーションの中で、3時間近いライブは幕を閉じた。今年最初のライブがあまりにレベルが高かったので、この後がちょっと心配です
 

2005年02月09日

映画"シルヴィアー”カミーユ・クローデル、フリーダ・カーロとの類似性”ー

シルヴィア今年の抱負は最初に掲げたように私生活の充実子供の頃から映画鑑賞が趣味で、大学時代は映画評論家になるのが夢でした。去年は月1度ぐらいしか映画を見れませんでしたが、今年は週1回が目標最近見たシルヴィアについて評論したいと思います。
 
シルヴィア・プラス(1932−1963)は20世紀後半のアメリカ出身、イギリスで活躍した詩人、夫の浮気などに悩み苦しみ、オーブンに頭を突っ込みガス自殺を遂げます。彼女は死後に夫のテッド・ヒューズにより出版された詩集で、栄誉あるピューリツァー賞を受賞します。その劇的な生涯により欧米では女性の圧倒的な支持を受けているそうですが、彼女の生き方は天才芸術家としては珍しくない、破滅的一生といえましょう。
 
シルヴィアはハーバード、エールなどの米国東部私立名門大学、いわゆるアイビーリーグ(7校、実際は8校)に対して設立された東部私立名門女子大、セブンシスターズの一つスミス・カレッジ(1950-55)出身です。余談ですが昨年公開されたジュリア・ロバーツ主演の”モナリザスマイル”は63年のウェーズリー・カレッジというやはりセブンシスターズの一つを舞台にした物語で、多少時代は下りますが、シルビアが暮らしたセブンシスターズのイメージがつかめるでしょう。
 
非常に美人で、しかも才気にあふれたシルヴィアがアイビーリーグの名門大学の子弟に人気があったのは想像に難くありません。フルブライト留学制度でイギリスのケンブリッジ大学に55年留学し、テッド・ヒューズと出会うことで彼女の人生の歯車が狂い始めます。テッドの詩を読んだ彼女は出会う前からテッドに恋したのかもしれません、なぜなら詩は彼女にとっては人生のすべてでしたから。そして、人生で初めて自分が認められる男性に出会ったわけですから。
 
映画でも、出合った翌年56年にボストンに二人が戻り、初めてテッドを紹介されたシルヴィアの母親が、不安感を抱くシーンが描かれます。それまでのシルビヴィアが出合った男性は、ハーバードだろうとエールだろうと、彼女が優位に立てたわけです。彼女の大切とする詩においては、彼女がまさっているわけで、彼女は彼らにそれほどの魅力を感じない、反対に彼らにとって、ただきれいなだけでなく、才気にあふれ、既に多くの詩を発表し詩人としても認められていた彼女は、脅威でした。だから、母親もコントロールするのはシルヴィアのほうであるため、安心感を抱いていたわけです。しかし、詩においてもシルヴィアに勝り、さらに女性に人気のある風貌、雰囲気、声を備えたテッドを紹介され、母親は、コントロールするのはシルヴィアではなく、テッドだと悟り、彼に頼みます”いつでもシルビアに優しくしてくれ”と。しかし、その約束は破られます。女性がどこに行ってもテッドをほっておかなかったからです
 
ここでの不幸はシルヴィアが純粋であるために、テッドの浮気を許せなかったことです。さらに人一倍感受性の豊かな彼女は夫の浮気に気づいてしまいます。その結果、大喧嘩、別れにつながるわけです。ここで普通の女性でしたら自分も浮気をしようとなるかもしれません。映画ではシルヴィアもそれを試みます、テッド、シルヴィア共通の友人である編集者にその申し出は断れます。しかし、実際そうなったとしても、彼との愛人関係は長くは続くはずがありません。テッドが彼女にとって唯一の恋人だからです
 
この自分にとってかけがえのないもの、シルヴィアにとっては詩ですが、そこでの自分より優れた人を単に尊敬するのではなく、愛情と一緒にしてしまうのが天才女性芸術家に共通する悲劇といえましょうシルヴィアが映画の中でテッドに復縁を申し出、愛し合うシーンが出てきますが、そこで彼女はテッドに会うまで自分は半分だった、テッドに会えて初めて一つになれた、二人でいないとまた半分になってしまうとテッドに語っています。彼女にとって男性はテッド以外ありえないのです。残念ながらテッドにとってはシルヴィアは少なくとも肉体的には大勢のうちの一人なのですが
 
カミーユ・クローデルにとっては、唯一の男性はロダンでした。彫刻家として彼女が自分より優れていると唯一認めているのが、ロダンだからです。カミーユは豊かな家に生まれ、美しく、彫刻家としてもすぐれていたので、20歳も年上で、愛人もいるロダンを男性として選ぶ必要などまるでないというのが我々凡人の考えです。ましてロダンと別れたからといって、気が狂う必要があるのでしょうか?天才と狂人は紙一重といいますが、やはり天才であるゆえにカミーユのように気が狂ったり、シルヴィアのように自殺することになるわけです。こうした美しい女性芸術家が、自分の芸術の分野で自分よりも優れた人を唯一の愛情対象にしてしまう他の例としては、フリーダ・カーロのディエゴ・リベラへの愛も有名でしょう。
 
テッドはシルヴィアを、ロダンはカミーユを芸術家として認めていましたし、女性としても精神的に愛していました。他の女性への肉体的な愛情をシルヴィアが、カミーユが見て見ぬ振りをできれば、こうした不幸な結末には至らなかったでしょう。
 
ロダンは後にカミーユを見捨てて舞い戻った長年の伴侶ローズ・ブーレと死の直前77歳で結婚しています。やはり落ち着ける、平凡な女性がよかったのでしょうか?世の中の女性にとって言えることは、魅力的な、モテモテの男性との結婚はハイリスク・ハイリターン、肉体的な浮気をされてもローズのように見て見ぬ不振りができなければ、不幸になるということなのでしょうか?
 
精神的な愛情と肉体的な愛情との違いについてはまた他の機会に述べてみたいと思います。
 

2005年02月07日

ユーフォリーヨットクラブ新年会

Benetau大学時代は学内のサークルでディンギー(小さいエンジンなしの1−2名乗りのもの)、学外でクルーザー(エンジン、船室がついた船。その中でマストがついているセーリングクルーザーがヨットに分類される)と、オンシーズンは週に2回は三浦半島でヨット漬けの生活でした。趣味が嵩じて書いた卒論もヨットの歴史ちなみにヨットはオランダで17世紀に始まり、クロムウェルにより王位を追われたチャールズ2世がオランダ亡命中にヨットに触れ、1660年の王政復古後にイギリスに持ち帰りました。テームズ川で弟のジェームス(後のジェームス2世)と二艇で競争したのが歴史に残るヨットレースの始まりだそうです。この時は王族・貴族を招いて酒食を楽しみながらの賭けレースでだったそうですが、このとき以来、ヨットは長くお金持ちのスポーツという時代が続きます。ヨットが一般大衆のものとなったのは、第2次大戦後のディンギーの普及以降のことだそうです。
 
当時の夢はいつか自分の船を持つことでしたが、その夢は20代のときに株で数千万円の実利を得て、達成されました。船を買った残りの資金で米国留学し、帰国後参加したのがユーフォリーヨットクラブです。高柳広君という東大医学部出身の医者が中心になって結成されました。メンバーは彼の東大での教養学部時代(すべての東大生は1年、2年は教養学部に属する)のクラスメイトとその博報堂の同期、医学部での同期、彼が所属していた東京大学シーラークヨットクラブの仲間、そのソロモンブラザースでの同僚、その大学の同期でした。その後私や、弁護士のメンバーなども加わりましたが、個性も豊かで、いろいろな職業についているメンバーが集まり、ヨットを楽しむだけでなく、様々な話ができて非常によいチームでした。一時人脈作りのための異業種交流会などが流行しましたが、我々はヨットを楽しみながらそれができたので、ある意味非常にラッキーだったと思っています。フランスベネトウ社のFAST35.7という船を二艇乗り継ぎましたが、特に最初の船は有名デザイナーフィリップ・スタルクの作品で、四角でなく丸い窓が特徴の非常に美しい船でした。
 
メンバーの多くが結婚して船に来ることも少なくなり、2001年に船を売却しました。しかしその後もたまにメンバーで集まっています。今回もメンバーの一人でL.A.のKIRKLAND & ELLIS LLPに属する弁護士が、一時帰国したのを機に集まりました。高柳君は欠席でしたが、UBS,日興シティグループの二人と5人が集まりました。皆のタイトルがエグゼクティブ ディレクターとかマネジング・ディレクターとかになっているのを見ると、皆偉くなったものだとか、年をとったものだと感傷的になりました特に高柳君はNATUREという1度でも載ることが名誉だというイギリスの最高権威の研究雑誌に、最近ついに3度目の掲載を果たしたそうです。皆に負けずにまだまだ頑張らなくてはという思いが強まりました
 

2005年02月02日

スポーツ上達はオフシーズンの頑張りで決まる!!

三崎マリンスポーツといえば、やはりオフシーズンの冬にライバルに差をつけたり、縮めたりするのが常道でしょう。大学在学中に、油壺三崎マリンにおかれていたリップルという横山31のレーシングクルーザーにクルーとして乗船していた時期も、この冬の練習でライバルに追いつくことができました。前年のシーズンでNORCの外洋レースに初参加した我々の成績は、散々たるものでした。硲オーナーは大の負けず嫌いで、東京大学シーウインドヨットクラブのメンバー二人(私を含む)、OBの三井物産新人、その物産での同期の東大体育会ヨット部OB、慶応大学学生からなる我々5名のクルーに、冬の猛練習を課しました。11月から2月のレースが開催されないオフシーズンにも、毎週日曜日、雨どころか雪の日も、朝から夕方まで練習を行いました。大雪で首都高速道路にチェーン装着が義務付けられた日にさえ、練習は行われました。入り口で警官に止められた際に、硲オーナーが愛車のBMW735のタイヤを指差し、”これはスノータイヤだから大丈夫だ”と告げて無理やり首都高に入り、スリップしながら命からがらハーバーにたどり着いたのも、今ではよい思い出です。実際は、強風、大波の中、あられがほほに突き刺さる中での猛練習は相当きつかったですがその猛練習の甲斐もあり、またノースセールの川島さんという名ヨットマンをスキッパー兼コーチに迎えたこともあり、リップルは3月末の初島弥生レースでクラス3位入賞の快挙を成し遂げました前シーズンの下から3位ぐらいから本当の3位への躍進でした。

この成功経験により、今回の冬のゴルフレッスンを決断したわけです。週に1回レッスンに通うことなど、この時の経験とは比べようもありませんが、まあもう若くないから簡単ではないですね。


2005年02月01日

理論的なゴルフスクールをついに発見!!

GSI先週末は今年の抱負にあるように私生活も充実できたと思う。満足。まずゴルフを春シーズンから再開するため、特訓開始!業界友達の楽天執行委員に紹介してもらったゴルフ科学研究所のレッスンに通い始めた。私が通っているのは恵比寿の支部のほう。駅の向いの三井住友銀行のビルにあり通いやすのはもちろんだが、なんといっても決め手となったのは、その指導が理論的であるところ。まず何球か打ってみて、その後に自分のフォームを画面で見られる。この教室では、ゴルフは3点のチェックポイントが基本と教える。1.左上方から右下方に45度に引かれた線に自分のスイングが重なるか2.打つときのフェースが前を向いているか3.打点はいつか 私は1.についてはほとんど合格。45度線にスイングがほとんど重なった。問題は2.と3.がよく分かっていないので、ドローやフェード、ボールを低く打ったり、高く上げたりと打ち分けられないこと。最初のトライアル講座で自分の問題点がよく理解できた。以前、あるゴルフ練習所でレッスンを受けたことがあるが、そのレッスンは非論理的で、頭をアイアンで抑えつけられながら”頭動かすな”とか言われるような類だった。そうした経験で、”もうレッスンは懲り懲りだ”と思っておられる、理論派の貴兄にお勧めのゴルフ教習所です。


会社設立1年で黒字化達成!!

Jlisting今年の抱負は私生活を充実させること。2003年の12月にジェイ・リスティングを起業以来、2004年は仕事に明け暮れた1年となった。2月の渋谷オフィス開設、ディレクトリー作成後の4月ビッグローブ様、6月エキサイト様とのパートナー契約、そして7月ライブドアへの株式譲渡、10月六本木ヒルズへの事務所移転とあっという間に過ぎ去った1年だった。ライブドアグループとなって以降も黒字達成のため息をつく暇もなかった。お蔭様で会社設立後1年で黒字を達成できました。これもひとえに多くの方々、従業員、ポータル様、代理店様、関係会社様など私を信じて支えてくださった皆様のおかげだと、言葉では表せないほど感謝しております。本当にありがとうございました。 というわけで2004年は暮れたわけですが、仕事に始まり仕事に終わった年だったわけです。2005年は、仕事ももちろん今まで以上にがんばりますが、スポーツ、食べ歩き、芸術鑑賞など多様な趣味と友人に支えられた私生活も充実させていこうと思っております。よろしくお願いいたします。