2005年11月27日

国立博物館と美術館の民営化ー実現されれば日本はますます文化後進国となるー

政府がすすめる公務員削減と行政組織スリム化の一環として、標記の試みが検討されているらしい。平山郁夫氏と恩師の高階秀爾先生が、11月9日文部科学省に、民営化を国立博物館と美術館へは導入しないよう訴えた、ということだ。(日経新聞11月26日40面による)

お二方の主張は、文化芸術の振興は市場原理や効率性・採算性とは相容れない面があるので効率性を追求するのは極めて危険で、文化芸術の衰退に通じる、というものだ。高階先生は”民営化の最大の問題は運営主体が数年毎に替わる可能性があることで、長期的な視野を必要とする美術館経営にそぐわない””美術館のコレクションは100年単位で形成され評価は未来に問われる、フランスの美術館が短期的評価のみで作品を集めていたら、今頃ゴッホもセザンヌも残っていない”と述べられている。異論を挟む余地はないだろう

政府からの交付金自体、来年度以降の中期目標では減額率が3%ほどに引き上げられる見通しらしく、東京博物館では出費のかさむ企画展の数を減らし、イベントへの施設貸し出しに力を入れ、それでも経営が苦しければ現在北斎展が開催されている平成館、表慶館の一時閉鎖も検討するということだ

お二方の主張に対し政府の行革推進グループは”公共サービスの提供にあたっては質の維持・向上を前提に官民問わず、最もコスト効率性の高い事業者を選定する、公的組織が優れているというのは官尊民卑に他ならない”と反論している。美術品の価値などは計算できるものではなく、質の維持などというのは全く計りがたいものであり、何とでもいえる。となれば、判断基準は自ずとコストのみとなるのは自明であろう

政府の主張がとおれば採算重視の企画展ばかりとなり、先ほど東京で開催され、現在韓国で開催中の”アジアのキュビスム展”のような、植民地時代の記憶に触れる戦前・戦中の日本の油彩画をクローズアップし、日韓の国民感情を和らげるような意義があるが、採算的には合わないような画期的な試みも開催不可能となるだろう

そもそもこのような案が政府から出されること自体が、いかに日本が文化後進国となったかを物語っている本来はインテリであり、文化の振興を促進すべきエリートであるべき官僚が、全く文化を理解しない、実学のみに通じ、趣味はカラオケ、ゴルフという輩に成り果てていることが根本原因だろう上野で開催される美術展に行っても、ほとんどの人は主婦、若い女性、そして引退した老夫婦であり、現役世代の男性は少数だ。上野の美術展に足しげく通うエリートはほとんどいないというのが日本の現状ではないだろうか

戦後の復興教育の中で、法学部、経済学部などの実学が尊ばれ、哲学を語るインテリなどはほとんど現存しない。学生運動に花をさかせた団塊の世代より若い受験戦争以降の世代は、いかにしてよい大学に入り、いかにしてよい省庁、会社に入るかしか考えてこなかったからだ印象派を創始したのはモネかマネかという2択の質問には答えられても、”モネはどういうところが素晴らしい画家でルノワール、シスレー、ピサロなどとはどういう点が異なる、だからモネは好きだ、特にどの作品が好きだ”などと語れるエリートはどれほど存在するのだろうか

受験戦争により文化後進国となった日本は、受験戦争で育った世代が決定権を持つ時代に至り、さらに文化後進国になろうとしている日本は経済では既に世界で2番目の大国となった。かつてのように文化でも先進国になることを目指す必要があるのではないだろうか


cornell5553 at 03:53|この記事のURLComments(1074)TrackBack(6)社会評論 

2005年11月26日

北斎展ー作品は素晴らしいけど込みすぎですー4

hokusai北斎展に2度でかけた。一度目は平日の昼間だったが、予想外の大混雑だった。余りの込み具合に、前期のみに出展される作品を中心にじっくり見て、残りは後ろから除いた程度だった。二度目は金曜の夜の時間を狙っていったのだが、相変わらず込んでいたさすがに前回よりはましだったが、一番前でじっくりに見るために並んでいたら500作品のうち最初の100作品は飛ばしたのに、3時間もかかってしまった。終わったときはもうくたくただった

北斎展は作品自体は素晴らしいのだが、運営その他に不満が残る

欧米の美術館ではこのように大掛かりで混雑が予想される展覧会では、予約制をとる。チケットショップなどで事前に何月何日の何時という券をとる、または当日美術館で予約をする。予約制により、館内の入場者数を制限している。日本でも是非このやり方を採用していただきたいそれから、陳列された作品がガラスケースから遠すぎて細部が見えないのにも不満が残った。もっと距離を短くしていただきたいものだ。近視の方ならなおさら見えないだろうガラスケースが指紋だらけで絵がよく見えないのにも、閉口した毎日ちゃんと磨いているのだろうか?それとも入場者のマナーの問題か

そうはいっても展覧会自体は、その不満を超えて余りあるほど素晴らしいものだった北斎は北斎漫画をはじめ19世紀後半の欧州絵画に影響を与えた作家として、他の浮世絵師とは一線を画す。彼についてはある程度は詳しいつもりだったが、今回の展覧会でまるで理解していなかったと反省させられた浮世絵師でこれほど画風を変え続けた人は他にもいるのだろうか?デッサン力、ユーモアのセンス、伝統にとらわれない新様式の確立など、本当に型にはめられない、改革者だったことが読み取れる信長好きの人は北斎がお気に入りなのではないだろうか

展覧会は年代順に構成されている。第1期が勝川派に属し勝川春朗と名乗った春朗期、第2期が俵屋宗理と名乗った宗理期。”夜鷹図”にはその叙情性に心を奪われた。”月下歩行美人図”の着物の質感も素晴らしい。たびたび登場する龍の表情も好みだ。第3期で読み本の世界になると、ついに北斎となる宗理期の美人像は涼しげで日本的で、余り個性がない。北斎期になると、力強く、肌も張りを帯び、独特の作風が形成される。”酔余美人図”の文机にもたれかかる女性の妖艶さ、その斜めに伸びたポーズは他に例がない。”江口の君図”は西行法師と白象に乗る普賢菩薩の化身の女性の読み合わせの図だが、表情、色彩、構図すべてが素晴らしい。“蛸図”の蛸のユーモラスさは北斎漫画を思わせる。ここまで紹介した絵はすべて版画ではなく、肉筆画である

第4期は戴斗と号した戴斗期。この時期は絵手本に熱中し、私の大好きな北斎漫画が登場する北斎の恐るべき観察力とデッサン力、ユーモアの精神が窺える。そこには人々の表情、仕草、その職業独特のポーズ、日常道具、生き物などあらゆるものが精妙に描かれている肉筆画にも傑作が多い。”列氏図”は絵なのだが、まるで一陣の風が吹いているのを見ているかのような錯覚にとらわれる羅漢図”でも煙が立ち上るのが目に見えるようだ。とにかく、動きがある。羅漢の表情もなんともいえずよい扇に描かれたなまこは生きているようだし、イカはかわいらしい雪中傘持ち美人図”の雪は盛り上がり、絵とは思えない個人的には最も好きな時代かもしれない

第5期は為一期。”冨ごく三十六景”、幽霊絵、武者絵など版画家としては最高の時期だろう冨ごく三十六景をこれだけ一時にみることができるのは、やはり楽しいその構図の素晴らしいさにただ、圧倒される3点ある”凱風快晴”を比較できるのも興味深かったも初版に近く、薄い色で刷られたギメ版やケルン版が東京国立博物館版の濃い色のものより、はるかに上品で、美しく見えた。旅をしていろいろな地域から富士山を眺めるだけでも楽しいだろうに、その地域のなかでも場所を選び、構図を考え、さらに絵にする楽しみはどれほどのものだったのだろう江戸時代は東京のどこからでも富士山が眺められたのかと思うと、非常にうらやましい動物を描いたものではギメの””、東京国立博物館の”群鶏図””ゆう亀図”が素晴らしかった。とくに亀図の3匹の亀の一番上の亀は、光の中を天に昇っていくような優美さをたたえていた

第6期の画狂老人期の多くの動物を描いた肉筆画は美しく、風雅がある。達人の域に達している。”月みる虎図”の虎は滑稽で、なんとも趣がある。”狐狸図”の狐狸も同様だ。絶筆に近いとされる”富士越龍図”はどっしりとした白い富士山と、黒煙の中を天に昇っていく龍が描かれている。なんともどっしりとして、落ち着きのある名作である。

朝早く、すいている時間に、2回か、3回に分けて訪れることをおすすめする。一度で見ようとすると、疲れといらいらで、北斎のよさを理解できずに終わるだろうから。


cornell5553 at 02:41|この記事のURLComments(190)TrackBack(0)美術評論 

2005年11月21日

シュツットガルト・バレエ団”オネーギン”−日本では無名だが実はトップクラスー5

oneginシュツットガルト・バレエ団を見るのは今回が初めて大好きなキリアンが所属していたので名前は知っていたが、ここまでレベルが高いバレエ団だとは想像していなかったパリ・オペラ座バレエ団エトワールのルグリが若いころクランコの”オネーギン”を見て以来ぜひとも踊りたいと思い続けていて、今回念願かなって客演するという話を聞き、”ロミジュリ”ではなく”オネーギン”を躊躇なく選んだ”ロミジュリ”は見なかったが、正しい判断だったと思っている

ルグリも四十路を越え、跳躍力などは往年と比べようがないが、その動きは優雅で無駄がなく、貫禄を感じさせた第1幕第二場の、タチヤーナの幻想の中で鏡の中から思いの人オネーギンが現れ、夢見た恋人オネーギンとタチヤーナが踊るシーンは、言葉に表せないほど素晴らしかった一途な乙女の恋心とそれに応える白馬の王子との美しすぎる、この世のものとは思えない情景を見事に表していたルグリの相手役のマリア・アイシュヴァルトは想像以上に素晴らしかったオネーギンに心をずたずたにされて嘆き悲しむシーンの切なさは客席に十分すぎるほど伝わってきた

第3幕第2場のタチヤーナの私室でのオネーギンとタチヤーナのパ・ド・ドゥはなんといってもオネーギンのハイライトだろうオネーギンの熱烈な求愛の思いと、その思いにゆれるタチアーナの心情をルグリとアイシュバルトはほぼ完璧に表現していた。心が揺さぶられ、感動した。表現力、技術力ともに文句のつけようがなかった

コール・ドもほぼ完璧で、この辺に日本のバレエ団との層の厚さがいやがおうでも感じさせられる日本のバレエ団でもソリストは世界でも通じる人材がいるのだが、コール・ドで踊る人材のレベルの低さは隠しようがない手の上げる角度どころが、まずそろってないわけだからやはり国立のバレエ団を創り、付属のバレエ学校を創立しないとこの問題は解決できないのだろうか

ともかくも再び至福の時でした